(閑話)談話室にて 前編
それは、学院の冬の休暇の、とある日のこと。
寮の自室で朝から続けていた試験勉強に疲れ、アルマークはため息をついて窓の外を見た。
北の人間の感覚からすると、やっと秋が深まってきてそろそろ冬になろうかという風情だが、南ではもう冬真っ只中だ。生徒たちは皆、寒い寒いと騒いでいる。
季節感の明確な違い。
それだけでも、自分がずいぶんと遠くまで来てしまったということが分かる。
窓の向こうに見える、少しくすんだ緑。
北の冬はほとんどが白と黒で、こんなにも色彩に溢れてはいなかった。
父さんは、黒狼騎兵団のみんなは、今でも元気にしているだろうか。
馬の匂いと冷たい鋼の感触を思い出して、アルマークは椅子にもたれかかると大きく伸びをした。
こうして北のことを思い出すのは、集中が途切れてしまった証拠だ。
この状態で無理に勉強を続けても、時間ばかりが過ぎてしまって、結局頭にはろくに入っていないことが多い。
アルマークもこの一年の学院生活の中でその辺りのことは学習していた。
今の僕には、少し気分転換が必要だ。
アルマークは立ち上がり、自室を出ると、人気のない廊下を歩いた。
どこか遠くから、笑い声が微かに聞こえてくる。
勉強にいきづまったとき、気分転換をする方法はいくつかある。
一番手軽で、アルマークもよくやるのが、庭園をぶらぶらと散歩することだ。
一人で物思いにふけりながら、広い庭園を当てもなく歩いていると、旅をしていたころの感覚が蘇る。アルマークは一人の旅で、自分との対話の方法を学んだのだ。
やがて、歩を進めるとともに考えがまとまってきて、頭の中がすっきりとする。
そうすれば、もう勉強を再開する時間だった。
時には旅の相棒である長剣を持っていって、庭園の隅で素振りをすることもあった。これは散歩では物足りず、身体をもっと動かして、汗をかいてさっぱりとしたいときに使う方法だ。
剣を振るうときが、アルマークには一番無心になれるときだった。剣を一振りするごとに、余計な雑念が削ぎ落され、シンプルな、必要なものだけがアルマークの中に残る。
アルマークが剣を振っているのを見かけたコルエンやポロイスが練習用の剣と防具を手に駆けつけてくることもあった。そんな時は、アルマークは快く彼らの練習相手を務めた。
誰かと少し話をしたいときは、一階の談話室を覗く。
休暇中は、たいてい知り合いの誰かしらがそこにはいて、アルマークの話し相手になってくれた。
ネルソンやレイドー。モーゲンやバイヤー。セラハやキュリメ、ノリシュやリルティ。
皆、好きな時間に思い思いの場所で会話を楽しんでいた。
今日は、ウェンディがいるといいな。
アルマークはそう思いながら階段を下りる。
ウェンディに用があるのなら、直接彼女の部屋を訪ねればいいのだが、今は取り立てて用事はない。ただ単にアルマークがウェンディの顔を見て、話をしたいだけなのだ。それだけのことで、真面目に試験勉強をしているであろうウェンディの邪魔をすることは憚られた。
しかし談話室にいれば、それはウェンディも休憩中ということなので、アルマークも遠慮なく彼女とのおしゃべりを楽しむことができた。
一階の廊下を歩き、談話室に近付くと、ぎゃあ、という大きな悲鳴と笑い声が聞こえてきた。
あの声は、フィッケだな。
アルマークはそう考えて、微笑む。
今日は1組の生徒たちが何か楽しそうなことをやっているみたいだ。
「ああ、そこでまた2かよ!」
両手で頭を抱えたフィッケが身体をのけぞらせて叫んだあとで、アルマークを見付けて手を挙げた。
「おう、アルマーク」
「楽しそうだね、フィッケ」
アルマークはそう言いながら、フィッケの座るテーブルに近付く。
「何をしてるんだい」
「ゲームだよ、ゲーム」
フィッケのテーブルには、ほかにアインを含めた1組の生徒三人が座っていた。
すっきりと整った顔の生徒はムルカ。武術大会でデグと対戦した生徒だ。もう一人の穏やかな顔立ちの生徒はアルマークには名前が分からなかった。
テーブルの上には鮮やかな絵柄の遊戯盤が広げられていた。
たくさんのマス目ごとに絵が描かれており、そこにそれぞれ数字が振られている。
「次は僕の番だ」
アインがそう言ってフィッケに手をつき出す。
「フィッケ。賽子をよこせ」
「ああ」
フィッケが思い出したようにアインに賽子を手渡す。
このゲームは、アルマークもネルソンやレイドーたちと何度か遊んだことがあった。
賽子を振って自分のコマを進め、一番先にゴールまでたどり着いた人が勝ち、という単純なゲームだ。途中のコマに、何マス進む、とか何マス戻る、とか書かれている。
基本的には賽子による運だけのゲームと言ってよかった。
「アイン。君もこういうゲームをするんだね」
少し意外に思って、アルマークは言った。
「君は賽子とかを使わないゲームの方が好きなのかと思っていたよ」
「もちろん僕はそっちの方が好きだ」
アインは答えた。
「運に頼らない、“狐と狩人”とか“王の渡河”とか、そういう頭を使うゲームの方がな。だが、それだと僕が勝つばかりでゲームにならないからな」
言いながらアインが賽子を振る。
「5だ」
そう言って自分の赤いコマを動かす。
「ふむ、3進むと書いてあるな」
そう言ってさらにコマを進める。
「なんだよ、またアインが先頭になっちまった。おい、ルタ。頑張れよ」
フィッケが叫んで、隣に座る穏やかな表情の生徒の肩を叩く。
「今度こそアインに勝つぞ」
「フィッケ。別に僕じゃなくて、君が勝ったっていいんだけどな」
ルタと呼ばれた生徒はそう言って賽子を手に取る。
「君はどうしていつも途中でスタートに戻るんだ」
「仕方ねえだろ。そのマスに止まっちまうんだから」
フィッケが口を尖らせる。
なるほど、さっきの悲鳴はどうやらフィッケがスタートに戻されたときにあげたものだったらしい。
「フィッケはもう三回連続で、そのマスに止まってるんだ」
ムルカがアルマークに教えてくれた。
「調子いい時は6ばっかり出してあっという間にゴールしてしまうんだけどね。本当に魔法もゲームもむらがあるやつさ」
そう言ってフィッケを見る。
「なるほど」
アルマークは頷いて、しばらく1組の生徒たちがゲームに興じるさまを見ていたが、やはり今回もアインが勝ちそうだった。
「5回に4回はアインが勝つんだ」
ルタがアルマークに言う。
「何の作戦もないゲームなのに、不思議だね」
「こういうゲームでも、アインは強いんだね」
アルマークの言葉に、ちぇっ、とフィッケが舌を鳴らす。
「こんなところで運を使わねえほうがいいぜ、アイン」
明らかに悔し紛れという感じでフィッケは言った。
「いざというときに、つきに見放されるかもよ」
「君は、運に総量があるという考え方か」
アインは涼しい顔でそう言うと、賽子を手に取る。
「僕は違う。運というのは、自分で引き寄せるものだ。いざというときが来たら、自分の力で運を引き寄せればいい」
アインは賽子を振った。出た目は4。
スタートへ戻るマスを華麗に回避したアインを見て、フィッケが悔しそうに顔を歪める。
「ちくしょう、またかわした」
「アルマーク、少し待っていてくれ」
遊戯盤から顔を上げるでもなく、アインは言った。
「このゲームにけりを付けたら、僕と勝負しよう」
「君と勝負? このゲームでかい」
アルマークが目を見張ると、アインは首を振る。
「いや、“王の渡河”だ。ルールは知っているな?」
「ああ。何度かやったことはあるよ」
「それならよかった」
アインは頷いた。
「うちのクラスの連中じゃ相手にならないので、しばらくやっていないんだ。君に勝って、ぜひ武術大会と魔術祭の雪辱を果たしたいね」
「魔術祭は君たちが勝ったじゃないか」
「あの勝利には、僕は納得していない」
アインはそう言ってアルマークを見た。
「それに僕は、個人として君に勝ってみたい」
アルマークがその言葉に答えようとすると、その横でフィッケがまた悲鳴を上げた。
「またスタートに戻った。もうだめだ」
「本当に役に立たないな、君は」
「もう賽子を振らない方がいいんじゃないか」
ルタとムルカに非難されながら頭を抱えるフィッケを一瞥して、アインはもう一度アルマークに微笑んだ。
「ほら。お姫様も来たぞ」
その言葉のとおり、談話室にウェンディが顔を覗かせた。
「なんだかすごく盛り上がってるね。楽しそう」
そう言って、テーブルを囲む男子の中にアルマークを見付けて嬉しそうに笑う。
「アルマークもいるのね。珍しい」
「やあ、ウェンディ」
アルマークは手を挙げた。その笑顔を見ただけで、胸がじわりと温かくなる。
「君も休憩かい」
「うん」
ウェンディは頷いて、アルマークたちのテーブルに歩み寄った。
「談話室に来てみてよかった」




