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【書籍化】アルマーク ~北の剣、南の杖~  作者: やまだのぼる@ナンパモブ2巻12/5発売!
第二十三章

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感謝

 春だ。

 アルマークは、そう思った。

 暖かい風と、緑の匂い。

 やわらかな日差しと、それに照らされる足もとの草の鮮やかな色。

 アルマークの目線の少し先に、少女がいた。

 濃紺のローブ。

 こちらに背を向け、地面に両足を揃えて横座りしているその少女の髪が、風に揺れた。

 ああ。

 アルマークは自分の表情が自然と穏やかになるのを感じた。

 ここにいたんだね。

 少女の手が規則的に動き、それに合わせてローブが揺れる。

 草を編んでいるようだった。

 アルマークはゆっくりとそちらに歩み寄った。

「ウェンディ」

 そう声をかけると、少女がゆっくりと振り返る。

「アルマーク」

 ウェンディは微笑んだ。

「いつからそこにいたの?」

 そう言って、少し恥ずかしそうにアルマークを見上げる。

「いつからいたのか、僕にもよく分からないんだけど」

 アルマークが答えると、ウェンディはきょとんとして、それからくすくすと笑った。

「なあに、それ」

 その笑顔が愛おしくてたまらず、アルマークの胸は詰まった。

 けれどそれをどう言葉にしていいのか分からず、感情を押さえてウェンディの手元を覗き込む。

「何を作っていたんだい」

「ああ、これ」

 ウェンディは自分が編んでいた草に目を落とし、それからアルマークの腿を優しく叩いた。

「アルマークも、ここに座って」

「え? 僕もかい」

 アルマークは戸惑いながらも、ウェンディの隣に腰を下ろす。

「ちょっと待っててね」

 ウェンディはそう言って微笑んだ。

 すぐ間近で見る、ウェンディの笑顔。

 アルマークはなぜだか泣きそうになった。

 今日も、さっきまで講堂で一緒に座って試験の開始を待っていたのに。

 なんでだろう。すごく久しぶりな気がする。

 ウェンディの隣に座ると感じる、この感覚。

 自分の居場所は間違いなくここなのだという、心の奥底から湧いてくるような誇らしさと安心感。

「そんなにじっと見ないで」

 ウェンディは照れたようにまた手元に目を落とし、草を編み始める。

「もう少しでできるから」

「うん」

 アルマークは頷いて、静かに待った。

 ウェンディが、ぱらりと落ちてきた髪をかき上げて、耳にかける。

 そんな仕草の一つまで、愛おしかった。

 このままずっとこうしてウェンディの横顔を見ていたかった。

「アルマーク」

 下を見たままでウェンディが、ぽつりと名前を呼んだ。

「ごめんなさい、心配かけちゃって」

「え」

 アルマークは目を見張り、それから首を振る。

「何を言ってるんだ。君が謝ることなんてないよ」

「でも、私のことは気にしないでね」

 真剣な表情で一心に草を編みながら、ウェンディは言った。

「私のためにあなたが判断を誤ることが、何よりも辛いの」

 言葉もなくウェンディを見つめるアルマークの横で、ウェンディは自分の手元を見つめながら言葉を継ぐ。

「あなたはあなたの直感を信じて。いつものかっこいいアルマークのままでいて。心を曇らせたりしないでね」

「ウェンディ」

 アルマークはやるせない気持ちでその名を呼ぶ。

「君は」

「大丈夫。私は私で、何とかなるから」

 きっぱりとした声でウェンディはそう言うと、自分の言葉に自分で頷く。

「うん。私は大丈夫」

 アルマークはそれに何と答えていいのか分からず、口を開きかけて、また閉じた。

 代わりにウェンディが顔を上げ、アルマークを見て、にこりと微笑む。

「はい。できたよ」

 そう言って、ウェンディが手を伸ばした。アルマークの頭の上に、草で編んだ冠が優しく載せられた。

「本当は花も入れてもっときれいにしたかったんだけど、草しかなくて」

 ウェンディはそう言って少し身体を離し、冠を載せたアルマークをじっと見る。

「でも、素敵」

 ウェンディは言った。

「素敵だよ、アルマーク」

 その目が潤んでいた。

「ウェンディ」

 どうしようもない気持ちに駆られて、アルマークはウェンディに腕を伸ばそうとした。

 だが、それと同時にアルマークは夢から覚めた。



 そこは、見覚えのある原っぱだった。

 木製のベンチとテーブル。

 緑のベルデと出会い、パイを食べた場所だった。

 アルマークはそっと頭に手をやり、そこに何も載せられていないことを確認する。

 ウェンディ。

 心の中でアルマークは誓う。

 ありがとう。君の言う通りだ。

 僕は、僕の戦いをするよ。そしてまた君の隣に座って、話をするんだ。

 アルマークは上体を起こし、深く息を吸う。

 毒に侵されたときの強烈な不快感は、もうなくなっていた。

 ゆっくりと立ち上がり、ベンチに近付く。

 そこに、緑色の髪の女性が座っていた。

「ご苦労様」

 ベルデはそう言って微笑んだ。

「やり遂げたのね。私の予想よりもずいぶんと苦労したようだけど」

「途中でパイの効果が切れました」

 アルマークは答えた。

「モーゲンよりもずっと先に、僕のほうが。それで動きが制約されてしまった」

「そうみたいね」

 ベルデは静かに頷く。

「あなたの方がずっと早くパイの効果が切れたわね」

「個人差があるんですね、あのパイには」

 アルマークはそう言ってから、辺りを見回す。

「モーゲンは、どこですか」

「あそこよ」

 ベルデが細い腕を伸ばして、原っぱの先を指差した。そこに、モーゲンが横たわっていた。

 その大きなお腹が上下している。穏やかな顔で小さくいびきもかいているのを見て、アルマークはほっと息をついた。

「もうすぐ目を覚ますわ」

 アルマークの心を読んだように、ベルデが言った。

「でも、疲れていると思うわ。魔力をほとんど使い果たして、怪我もしているのね」

「最後はもう、モーゲンに任せっぱなしでした」

 アルマークは答える。

「でも、さすがモーゲンだ。ちゃんとフォーンベリーを見付けてくれた」

「そうね」

 ベルデは頷いて、ベンチに座ったままアルマークを見上げた。

「あなたは、個人差と言ったわね」

 ベルデは言った。

「パイの効果には、個人差が、と」

「ええ」

 アルマークは頷く。

「明らかに個人差がありました。僕が毒に侵され始めたのは、モーゲンよりもずっと前でした」

「アルマーク」

 ベルデの目が、アルマークの持つマルスの杖に向けられた。

「鍵を護る少年よ。あなたに大事なことを教えます」

 そう言うと、ベルデはゆっくりと立ち上がった。

「魔術師を志す者であれば、きっとあなたも聞いたことがあるでしょう」

 ベルデがアルマークを真っ直ぐに見る。その緑色の瞳が、穏やかな表情に似合わない威厳を湛えていた。

「魔法の力は、誰に対しても平等だわ」

 ベルデは言った。

「王であろうと、貴族であろうと、平民であろうと、人の身分によってその効果に違いなどない」

「知っています」

 アルマークは答えた。

 その言葉は、イルミスからも聞いていたし、ウェンディが口にしたこともあった。アルマークにとって、忘れるはずなどない言葉だった。

「確かに、個人差がないわけではないわ」

 ベルデは静かに認めた。

「けれど、それはごくわずかな誤差のようなもの。こんなにあからさまに違いが出るものではない。わざと魔法に抵抗したりしなければね」

「えっ」

 意外な言葉にアルマークは眉を上げる。

「抵抗したのよ、あなたは」

 ベルデは言った。

「あなたは私を信用していなかった。だから、無意識にパイに込められた魔法に抵抗したの」

「僕が、抵抗を?」

 ベルデは、言葉を失うアルマークを憐れむように見た。

「モーゲンはそんなことはしなかったわ。出されたものを素直においしいと味わった。だから、パイの効果を十分に享受できた。いいえ、モーゲンもあなたの警戒心のせいで、少し無意識の抵抗があったかもしれない。私の計算では、あそこまで時間が短くなるはずはなかったのだから」

「僕が、無意識に抵抗を」

「あなたたちの力をもってすれば、緑の森でここまで追いつめられることなどあり得ないのよ。特に、インセルムジュさえ問題にしない、あなたの戦闘能力をもってすればね」

 その言葉に、アルマークは呆然とベルデの顔を見返す。

 僕のせいで、僕らは不必要な苦戦を強いられたというのか。

 モーゲンにあんな怪我までさせて。

 そんなことはない。

 アルマークはそう反論しようとした。

 だが確かに、毒の影響さえなければ、森の魔物に苦戦することはなかったし、モーゲンの味覚をもってすれば材料探しも容易だったはずだ。

 途中までは、順調そのものだった。

 それがあそこまで追いつめられた原因は、間違いなく毒によるアルマークの不調にあった。

「本来のあなたであればきっと、警戒すべきもの、そうでないもの、もっと明確に見分けられたはずよ。あなたは聡明な子だもの」

 ベルデは言った。

「何があなたの目を曇らせたのかしら。大事なお友達の危機?」

 そう言って、アルマークの目を覗き込む。

「そうね。あなたが鍵の護り手である以上、それはとても重要なことだわ。けれど、それはそのお友達の望んだことなのかしら」

 ベルデの口調は穏やかだった。だが、その言葉は鋭い刃のようにアルマークの心を抉った。

「自分を心配するあまりに目を曇らせて、しなくてもいい苦戦をするようなことを、あなたの大事な“門”の少女が望んだのかしら?」

「……ウェンディが」

 アルマークは唇を噛んだ。

 ウェンディ。君の言いたかったことは、これか。

 夢の中で見たウェンディの笑顔が、脳裏をよぎる。


 苦戦なんてしないでね。これ以上ウェンディを辛い目に遭わせるわけにはいかない。


 不意に、レイラに言われた言葉が蘇った。

 ごめん、レイラ。僕はまたやってしまった。

 自分では、冷静なつもりでいた。

 ウェンディを助けるために、必要なことを最短の時間、最短の距離で。

 そう考えていた。

 だけど、そう考えている時点で、僕はもう冷静ではなかったのかもしれない。

 それが思わぬ苦戦を呼び、モーゲンを傷つけることになった。

 アルマークはマルスの杖を握る手に力を込めた。

 自分が情けなかった。

 その表情を見て、ベルデが表情を緩める。

「モーゲンに感謝なさい」

 ベルデは優しい声で言った。

「とても臆病なのに、とても勇敢な子。過酷な運命の陰で、どんな運命にも縛られない子。私の石は、彼の友情に捧げましょう」

 その身体が、徐々に薄くなっていく。

「とても良い仲間を持ちましたね、鍵の護り手」

 ベルデは言った。

「緑の森にある植物の大半は、もうこの世界には存在しないものよ。モーゲンが目を覚ましたら、伝えてあげて」

 ベルデは優しく微笑む。

「その蜜とベリーは、勝利の証としてあなたに差しあげます、と」

「ありがとう、緑のベルデ」

 アルマークは消えゆくベルデに言った。

「大事なことに気付かせてくれて。僕はあなたをずっと疑っていたのに」

「自信を持ちなさい、アルマーク。あなたはとても強いのだから」

 まるで教師のような口調で、ベルデは答える。

「いつだってあなたの身体には、前に進む力が秘められている。だから、もう前を向きなさい」

 ベルデはその緑の瞳をきらめかせて、最後に言った。

「あなたの為すべきことを為しなさい。気高き鍵の護り手、アルマーク」

 その言葉とともに、ベルデは消えた。

 僕の、為すべきこと。

 アルマークは深く息を吸うと、緑に輝く石をそっと拾い上げた。





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― 新着の感想 ―
うーん。警戒すること自体は普通だと思うんだよ。警戒しなければならない生い立ちを持つアルマークなら尚更ね。流石に警戒するな、は要求として結構無理なものな気がする。瞬時に悪人も善人を見分ける力を持ちなさい…
[一言] 警戒するのが普通 けど悪人と善人を見極められるアルマークは判断出来たということなのかな それにしてもベルデさんの意地が悪いような気もするけど
[一言] ウェンディは本物のウェンディ精神体なのか(少し石が戻った?)、ベルデさんのみせた内面世界なのか。 しかしこういう優しい相手、ウォリスが会ってたら拍子抜けだったろうな…というかモーゲンのいな…
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