蜜
アルマークとモーゲンは、森の中を走った。
方角をこちらと定めていても、道はその通りまっすぐには進んでくれない。
曲がりくねった薄暗い道を、それでもアルマークはまるで目的地を真っ直ぐに指し示す羅針盤でも持っているかのように迷いなく走っていく。
時折足を止めて、モーゲンが追い付いてくるのを待つ。
心配そうに自分を見るアルマークに、必死に走るモーゲンは息を切らしながら言った。
「ごめん、アルマーク。先に行ってよ。僕は後からきっと追いつくから」
「いや」
アルマークは首を振る。
「こういう森では別れない方がいい。一度はぐれたら、もう出会えなくなることもあるから」
「でも」
モーゲンは言った。
「君が僕を待つための時間がもったいないよ」
「僕は君と行く」
アルマークはきっぱりと言った。
「ちょっとくらい遅くなってもいい。二人で行こう、モーゲン」
それからモーゲンを気遣うように付け足す。
「どうせ僕一人で着いたって役には立たないんだ」
「ごめん、アルマーク」
モーゲンは喘ぎながら、頷いた。
「分かった。君の言う通りにするよ」
小太りの身体を揺らして必死に走りながら、モーゲンは頭の片隅で後悔する。
ああ、やっぱりもう少し痩せなくちゃだめだ。これじゃアルマークの足を引っ張っちゃうじゃないか。
きっと、食べる量を減らして運動すればいいんだろうけど。
でも今回は、僕が食べるのが好きなおかげで役に立ってるし、難しいところだな。
同じ役に立つなら、食べて役に立つ方がいいな。
そんなことを考えているうちに、またアルマークの背中が遠ざかり、そしてしばらく行ったところでアルマークが足を止めて振り返る。
アルマークは鼻にしわを寄せて顔をしかめた。
「アルマーク。また、匂いが」
モーゲンは息を切らしながら、言った。
「強く、なってるの、かい」
「ああ」
アルマークは頷く。
「君の方はまだ変わらないかい」
「僕は」
モーゲンは首を振る。顎から汗が飛び散る。
「今は、分からない。また後で、確認するよ」
「分かった」
アルマークがまた道を走り、それから心配そうにモーゲンを振り返る。
そんなことを数回繰り返した後。
ついにアルマークが笑顔でモーゲンを振り返った。
「モーゲン、見えたよ。あそこだ」
「本当に? やったぁ」
モーゲンは頭をぐらぐらと揺らしながら、必死に走る。
アルマークは先に目的の木の下にたどり着き、モーゲンを待っていた。
「ほら」
アルマークが木を見上げる。
「これ。君の絵の通りだろ」
「ちょっと、待ってね」
モーゲンは両膝に手をついてぜえぜえと喘いだ後で、うぐ、という声とともに顔を上げた。
「そう、これだよ」
モーゲンは木を見上げて葉っぱを一瞥して、アルマークに頷く。
「この葉っぱは、ユウセノイズミにそっくりだ。それにこの幹の、白い斑点。きっとこれが」
「ユキメイズミなんだね」
アルマークはそう言って木の幹に向き直る。
「これが本物なら、きっと」
そう言いながら、マルスの杖を幹にこつんと当てる。
「この中に、蜜が」
杖の先端に風が渦巻き、木の硬い表皮がざくりと切れた。
その途端、切り口から樹液がだらりとこぼれ落ちてきた。
「出た」
アルマークはほっと息を吐いた。
「モーゲン」
モーゲンを振り返り、手招きをする。
「味の確認を」
「うん」
モーゲンは汗をふきふき木に近寄ると、指を伸ばして樹液をすくいとった。
匂いを嗅いでから、ぺろりと舐める。
「ああ」
すぐにモーゲンは頷いた。
「これだよ、間違いない。痺れてたってこのくらいは分かる。この味だ」
「これが、パイに使われてた蜜なのかい」
アルマークもモーゲンと同じように樹液を舐めてみるが、
「甘いね」
とだけ言って軽く頷く。
「これに間違いはないけど」
モーゲンは汗まみれの顔でアルマークを見た。
「どうやって持っていこうか」
「ああ、それなら」
アルマークは懐から木の筒を取り出す。
「君に会う前にベリーを集めているとき、中が空洞になってる細い木があったからね。ちょうどいいと思って、切っておいたんだ」
「さすがだね」
モーゲンは目を見張る。
「そんな準備まで」
「僕も木工の匠じゃないけど、この程度はできるよ」
そう言いながらアルマークが蜜をすくいとって筒に入れる。
「よし、こんなものかな」
そう言ったときだった。
不意に、強い風が吹いた。
ユキメイズミの枝がざわざわと揺れる。
それにあわせて、緑の帽子のような無数の葉っぱが、波のような音を立てる。
……が、来る
「え?」
モーゲンが声を上げた。
「アルマーク、何か言ったかい」
「いや」
アルマークは首を振る。
「僕は何も」
……ジュが、来るよ
「えっ?」
モーゲンが顔をしかめる。
「アルマーク。君、本当に何も言ってないかい」
「木だ、モーゲン」
アルマークは言った。
「葉っぱが、喋ってる」
「葉っぱが?」
モーゲンが目を丸くする。
風が吹く。
二人のローブもばさばさとはためいた。
頭上の葉っぱがざわざわと揺れ、その中に意味を持つ言葉がはっきりと混ざる。
インセルムジュが、来るよ
インセルムジュが来る
もうすぐ、インセルムジュが来るよ
ユキメイズミの葉は、そう言っていた。
「インセルムジュって」
モーゲンがアルマークを振り返る。
「確か」
「ああ」
アルマークは頷いて、周囲を見まわした。
「緑のベルデが言っていた。緑の森の魔物の中でも、特にインセルムジュには気を付けろって」
「そ、それじゃあ」
「気を付けろ、モーゲン」
アルマークは杖を構える。
「どこから来るか分からないぞ」
来るよ
来る
インセルムジュが、来るよ
歌うように、葉っぱが告げる。
次の瞬間、轟音とともに目の前の地面が裂けた。
「わあああ」
モーゲンが悲鳴を上げる。
地面から噴き出すように伸びてきたのは、何本もの、太い木の根。
それが意志を持つように、ぐねぐねと不気味に動いた。
「ね、根っこ?」
モーゲンが叫ぶ。
「インセルムジュって、根っこの化け物なの?」
「いや」
アルマークは杖を構えたまま微動だにしなかった。
北の森での無数の魔物との戦いで磨かれたその目は、この魔物の本質を捉えていた。
「あれは根っこじゃないよ、モーゲン」
「え?」
「あれは、脚だ」
アルマークの言葉と同時に、噴き出していた根っこが全て、べきりと曲がり、地面を掴んだ。
それに続くように、土を撒き散らしながら巨大な胴体が姿を現した。
左右非対称、奇怪な形態の外殻。
「む、虫か」
モーゲンが叫ぶ。
「インセルムジュって、虫の魔物なのか」
それはアルマークがかつて戦った闇の魔獣エルデインを優に凌ぐ大きさだった。
緑の森の地中に潜む、巨大な甲虫。
インセルムジュの、感情を宿さない目がぎらりと赤く光った。




