木登り
「この辺がいいんじゃないかな」
ぐねぐねと曲がる坂道をしばらく上った後で、アルマークは足を止め、モーゲンを振り返った。
「他の場所よりもせり上がってるから、きっとこの辺の森全部を見渡せると思うんだ」
そう言って、ひときわ高い木の幹を叩く。
「登るなら、この木あたりかな」
杖をつきつき、息を切らしながら坂を登ってきたモーゲンは、アルマークの隣まで来ると汗を拭って頷いた。
「うん。君が見てそう思うなら、いいんじゃないかな」
「それじゃあ、ユウセノイズミの葉っぱの特徴を教えてよ」
「ああ、うん。ちょっと待ってね」
ふうふう言いながらモーゲンは地面にしゃがみこむと、杖の先で地面に絵を描き始めた。
「葉っぱの形は、こんな風だよ。こことここが尖ってて、きっとこの気温ならこんな風に反ってると思う」
「分かりやすいね」
アルマークは微笑む。
「葉っぱの数はどれくらいだろう」
「大きな木なら、相当たくさん葉っぱが付くよ。全部まとめて緑の帽子みたいに見えるくらい」
「分かった」
アルマークは頷くと、自分が登る木に手をかけた。
「幹はどうだい。真っ直ぐなのかな。それとも曲がってる?」
「ぴんと真っ直ぐってわけじゃないね。こんな感じの木が多いよ」
そう言いながらモーゲンは葉っぱの絵の隣に木の絵を描く。
「なるほど」
アルマークは感心したように絵から目を上げてモーゲンを見た。
「君は絵もうまいんだね」
「こんなのうまいうちに入らないよ。ぱっと描いてうまいのはネルソンさ」
モーゲンは恥ずかしそうに手を振る。
「そりゃ僕だって木の絵くらいは描けるけどね。難しいものは無理だよ」
「そうかな」
アルマークはもう一度改めて地面の絵を見た。
「特徴がちゃんと分かるし、すごく良く描けてると思うけどな。戦いが全部終わって、学院に帰ったら、君のほかの絵も見せてくれ」
「見たければ見せるけどもね。別に、そんなわざわざ見るほどのものでもないよ」
モーゲンが答えた時には、アルマークはもう木に足を掛けていた。
「それじゃちょっと見てくるよ」
そう言うと、するすると登り始める。
モーゲンの目には、とても登りやすい木のようには見えなかったが、アルマークはまるで手と足に吸盤でも付いているかのように滑らかに上へ上へと登っていく。
「大丈夫かい」
モーゲンは汗を拭いて立ち上がると、木の下から見上げる。アルマークの姿は早くも、枝に付いた葉っぱに遮られてほとんど見えなくなっていた。
「速いね。僕が地面を歩くよりも、君が木を登る方がよっぽど速いじゃないか」
モーゲンは感嘆の言葉を漏らし、時折葉の間から覗くアルマークの背中に声をかける。
「どうだい。上まで行けそうかい」
「ああ」
上からアルマークの声が降ってくる。
「大丈夫。枝の上まで出られそうだよ」
がさがさとモーゲンの頭上で枝と葉っぱが揺れた。見上げながら、しばらく待っていると、アルマークの大きな声がした。
「うわ、モーゲン。ここはすごいよ」
「どうしたんだい」
「どこを見ても、地平線の彼方までずうっと森だ。森以外に何もない世界だよ」
その言葉にモーゲンはアルマークが目にしている景色を想像し、それからぶるりと身体を震わせた。
果てのない大森林の中に、ろくに食べ物もなしに放り出されているだなんて、考えただけでぞっとする。ましてや、ここは動く植物が跋扈する毒の森なのだ。
「緑のベルデが作った世界なのかもしれないね」
モーゲンは下から声を張り上げた。
「さっきまで僕らがいた場所と同じで、ここも本当は存在しない場所なのかも」
「そうかもしれない」
アルマークの声がする。
「つまり、今見えているこれが全部魔法でできているってことか」
そう言うと、アルマークの声が途切れた。
「アルマーク?」
怪訝に思ってモーゲンが声をかける。
「どうしたの」
「モーゲン」
アルマークの声は、素直な驚きを湛えていた。
「魔法ってすごいんだね」
「そりゃそうだよ」
モーゲンは答える。
「魔法の力はすごいんだ。僕らが学んでいるのは魔法の使い方だけじゃない、魔法を使わなくて済む方法も学ばなきゃだめだってイルミス先生も言っていたでしょ。魔法は絶対に悪用しちゃだめなのさ」
「ああ。そうだね」
アルマークの声が低くなる。
「君の言う通りだ。こんな力を、誰かを不幸せにするために使っちゃいけないね」
「うん」
モーゲンは頷いて、しばらくアルマークの反応を待つ。
だが、返事がないのでまた声をかけてみる。
「どうだい、ユウセノイズミに似た葉っぱの木は見付かったかい」
「登ってからずっと探してるんだけど」
アルマークの声が答える。
「木があまりに多すぎて。ちょっと待ってくれ」
「分かった」
そう答えたモーゲンの視界の隅で、何かが動いた。
嫌な予感がして、モーゲンは杖を構えた。
見慣れない鮮やかな緑色が、地面の一角に現れていた。
「え?」
モーゲンは目を見張る。
いつの間にか、モーゲンたちがここまで上がってきた道が全て、鮮やかな緑色に包まれていた。
モーゲンの見守る中、剥き出しの地面がまた、ざわざわと緑の絨毯に覆われていく。
「……ツタ」
モーゲンは呟いた。
それは、びっしりと幾重にも絡み合ったツタ植物の群れだった。
ずるずると地面を這うようにして、ツタの群れがモーゲンの方に迫ってくる。
「どうしてここの植物はみんな動くのさ」
ぼやきながらモーゲンは杖に魔力を込めた。その瞬間、ずしりと疲労感が襲ってくる。
アルマークを呼ぼうか。
だがモーゲンは躊躇した。
アルマークは今、必死に目を凝らしてユキメイズミの木を探しているところのはずだ。邪魔はしたくない。
それに、今呼んだところで木の遥かてっぺんにいるアルマークが地面に下りてくるまでには時間がかかる。結局は自分が対処するしかない。
風で散らしてみようか。
そう決めて、モーゲンは迫るツタに魔法を放ちかけたが、不意にさっきのアルマークの言葉を思い出した。
魔物の相手は、僕に任せてくれ。
友人の言葉が、モーゲンを無意識に動かした。
そうだ。アルマークを信じて、任せるところは任せる。それがきっと、最良の方法だ。
「アルマーク!」
モーゲンは叫んだ。
「下に魔物が出たよ!」
「分かった」
アルマークの声とともに、モーゲンの頭上の枝が大きく揺れた。
「モーゲン、君は魔法を使わなくていい」
その言葉とともに、アルマークの身体が降ってきた。
途中の枝に手をかけ、身体を揺らして衝撃を逃しながら、それでもまるでそのまま落下してきたかのような速度で、アルマークはモーゲンの前に着地する。
「火はだめだよ」
モーゲンはとっさに叫んだ。
これだけのツタをこの場で燃やしたら、自分たちまで燻されてしまう。
「分かってる」
アルマークがマルスの杖を振るった。
伝説に近い魔法具に込められた強い魔力が、その力を顕現する。
霜下ろしの術。
もはや凍結の術に近い冷気が、伸びてくるツタを包み込んだ。
最前列のツタはたちまち枯草のように色を変え、後続のツタの動きも目に見えて鈍くなる。
「行こう、モーゲン」
アルマークはモーゲンを振り返った。
「見つかったよ。ユキメイズミの木が」
「えっ、あれだけの時間でかい」
目を丸くするモーゲンの肩を叩いて、アルマークは走り始める。
「君の絵のおかげだ。すごく分かりやすかった」
アルマークはそう言って、前方を指差した。
「君の描いてくれた絵にそっくりの葉っぱの生えた木が、こっちの方角に見つかったんだ。幹に、白い斑点がいくつも浮き出ていた」
「ああ、それでユキメ……」
アルマークの後ろを走るモーゲンが頷くと、アルマークも走る速度を落としながら周囲に目を配る。
「少し回り込むよ」
そう言って、地面で蠢き続けるツタ植物の群れをちらりと振り返った。
「あいつらの相手をしていたら、きりがなさそうだからね」
「うん」
モーゲンは頷く。
「確かに」
後から後から伸びてくるツタ植物にまともに対処していたら、時間も魔力もいくらあっても足りないだろう。焼き払うのが危険である以上、迂回するに限る。
「それに」
アルマークは言った。
「甘い匂いが強くなっているんだ」
「え?」
目を見張るモーゲンを、アルマークは鋭い目で見返す。
「君はまだ感じていないんだね。じゃあやっぱりこれは僕だけか」
「ど、どういうことだい」
「僕の方が君よりも先にパイを食べ終わったからかもしれない」
アルマークは言った。
「この森に漂っている甘い匂いが、強くなっているんだ。食べたパイの効果が少しずつ切れ始めているんだと思う」
「それって、つまり」
モーゲンが言葉を詰まらせたのは、息を切らせて走っているせいばかりではなかった。
「ああ」
アルマークは厳しい顔で頷いた。
「この森でパイの材料を探すのに、もうあまり猶予はないってことさ」




