合流
しゃがみこんだモーゲンが自分の脇腹に治癒術の光を当てるのを、アルマークは心配そうに見つめた。
モーゲンは深く長い息を吐く。
切り裂かれたローブには、ぐっしょりと血が浸み込んでいる。
濃紺のローブなのでその赤が目立つことはないが、それでも魔物に受けた傷が決して浅いものではないことは一目瞭然だった。
そこに手をかざすモーゲンの額には、玉のような汗が浮かんでいる。
「大丈夫かい」
アルマークは自分まで痛そうな顔をして、モーゲンに尋ねた。
「治癒術、僕も少しはうまくなったんだ。手伝わせてくれ」
「ありがとう」
モーゲンは苦しそうな顔を少し綻ばせた。
「アルマーク。君、なんて顔してるのさ。自分がどんなに怪我をしてもそんな辛そうな顔しないのに」
「自分の怪我なんて、いくらあったっていいんだ」
アルマークはモーゲンの治癒術の光をもどかしそうに見つめながら、そう答える。
「僕がその痛みに耐えればいいだけだろ。でも君の怪我は、僕が代わりに我慢はできないじゃないか」
「本当に君は面白いね、アルマーク」
そう言って微笑むと、モーゲンは真剣な表情になった。
「大丈夫。僕だけで治せるよ」
そう言って治癒術に集中する。
傷の深さと魔力の流れは掴めた。
うん、大丈夫。セリア先生に習った治癒術は、ちゃんと効果を発揮している。
事実、傷の痛みは徐々に和らいでいた。
いつまでもゆっくりとしてはいられない。
緑のベルデに食べさせられたパイの効果が、いつまで続くのかは分からない。
だが、この森に充満する香り。ただの甘い香りではない。その奥に隠されたものが牙を剥く前に、急いで目的を果たさなければならない。
「アルマーク」
治癒術の光が安定したところで、モーゲンはなおも心配そうに自分を見つめるアルマークを安心させるようにそう声をかけた。
「君の偽者が出てきたんだ。びっくりしたよ」
ちらりと、葉っぱの魔物が崩れ落ちた辺りに目をやる。そこには無数の葉っぱがばらばらに散らばっているだけで、もうひと塊になって立ち上がることはなかった。
「君の方にも、僕の偽者が出たりはしなかったかい」
「ああ。出たよ」
こともなげにアルマークが頷くのを見て、モーゲンは思わず顔を上げる。
「え、出たのかい」
「ああ。姿は君によく似ていた」
アルマークは眉をひそめてそう言った。
「この森で目を覚ましてすぐさ。君の真似をしていたよ。下手だったけどね」
「それじゃ、すぐに僕じゃないと気付いたのかい」
「それはそうさ」
アルマークは、どうしてそんなことを聞くのかと言わんばかりに肩をすくめる。
「君だってそうだろ。その偽物が僕じゃないってすぐに気付いただろ」
「うん。それはそうだけど」
モーゲンは口ごもった。
アルマークの偽者。違和感は最初からあった。だが、それが確信に至ったのは少し経ってからだ。
「君は、どうして気付いたんだい」
そう言って、アルマークを見る。
「そいつが、僕じゃないって」
「どうしてって言われてもな」
アルマークは困ったように腕を組んだ。
「難しいな」
「ほら。たとえば、何かそいつの話したことがおかしかったとか」
「いや、それはないよ」
アルマークは首を振る。
「だって、ほとんど話してないからね」
「え?」
意外な言葉に、モーゲンは思わず治癒術を中断してしまった。
「あ、いけない」
そう言って再び傷口に手をかざす。
「ほら、余計な話をしたから」
アルマークが顔をしかめた。
「治癒術に集中した方がいい。それとも、僕が手伝おうか」
「いや、本当に僕一人で大丈夫」
モーゲンは光が安定したところを見計らって、また先ほどの疑問を口にする。
「そいつとほとんど話さないで、どうして僕じゃないって分かったんだい」
「だって、見ればすぐに分かるじゃないか」
困ったようにアルマークは答えた。
「一目見て、ああ、こいつは僕の友達のモーゲンじゃないなって思ったんだ」
「一目見ただけで」
モーゲンは光を途切れさせないよう注意しながら、それでも驚きに小さく首を振る。
「具体的な理由はないのかい」
「君がおいしいものが好きだってことに、何か理由があるのかい」
突然アルマークにそう尋ね返されて、モーゲンは目を瞬かせる。
「え、僕がおいしいものを好きな理由だって」
モーゲンはしばらく考えて、それから首を振った。
「理由なんかないよ。いや、ええと、あると言えばあるんだけど、それを言葉にするのは難しいな」
「そうだろ」
アルマークは我が意を得たりとばかりに、モーゲンに頷いてみせた。
「つまり、そういうことさ。僕は君という人間を知っている。だから、あの程度の魔物の下手な芝居なんかには騙されやしないさ」
「うーん」
モーゲンは唸った。
理由は分からないが、アルマークの自信満々な顔を見ていると、それで間違いはないのだろうと思えてくる。不思議なものだ。
「それで、その魔物をどうやってやっつけたんだい。さっきやってみせたみたいに、マルスの杖でぽかりとやったのかい」
「ああ、うん」
アルマークは頷く。
「まあ、そんな感じさ」
「うへ」
モーゲンは首をすくめた。
「目が覚めた時、君の隣にいたのが僕じゃなくてよかったよ」
「どうして君を殴るのさ」
アルマークはそう言いながら、モーゲンの口調が余裕を取り戻してきたのを感じて表情を和らげた。
「本当の君がいたら、すぐに君だって分かるよ。君だってそうだろ。すぐに僕じゃないって見抜いたんだろ」
「うん。まあね」
アルマークに当然のようにそう言われることが、モーゲンには何だか誇らしかった。
そして、アルマークが一瞬で自分の偽者を見抜いていたということも。
「モーゲン、そんな魔物のことなんかどうでもいいよ。治療しながらでいいんだ。ちょっと見てくれないか」
アルマークがそう言いながら、自分のローブの袖に手を突っ込んだ。
「ここに来る途中に、それっぽいものを手あたり次第に採ってきたんだ」
「え?」
きょとんとするモーゲンに構わず、アルマークが袖から次々に何かを取り出す。
「えっ」
今度こそモーゲンは絶句した。
アルマークが取り出したのは、大きさも色も様々な、植物の実や果実、ベリーなどだった。
「僕には味が分からないから」
アルマークは少し悔しそうに言う。
「君に確かめてもらうしかないと思ってね。目についたものをとりあえず全部採ってきたんだ」
「ぜ、全部かい」
「だって、時間がもったいないじゃないか」
そう言いながら片方の袖から全て出し終わると、次はもう片方の袖に手を突っ込む。
色とりどりのベリーや果実が自分の目の前に積み上げられていくのを、モーゲンはしばらく呆然と眺めていたが、やがてこらえきれなくなってくすくすと笑い出した。
そのせいで治癒術の光がゆらゆらと明滅する。
「モーゲン」
アルマークは手を止めて、モーゲンを見た。
「大丈夫かい。食べてもらうのは、治療が終わってからでいいんだ。ただ、とりあえず早く見てもらおうと思って」
「うん」
モーゲンは笑顔で頷いた。
笑うたび、まだ脇腹がちくちくと痛むが、さっきまでとは比べものにならない小ささだ。
治癒術は成功している。
「大丈夫。ちゃんと確かめるよ」
モーゲンはそう言って、まだ心配そうに自分を見つめる友人の顔を見た。
「君は本当に僕の予想のずっと先を走っているね。頼もしいよ」
「何が頼もしいもんか」
アルマークは真剣な顔で首を振る。
「僕にはベリーはベリーの味、果物は果物の味としか分からない。情けないよ。君がいなきゃ僕には何もできない」
「そんなことないよ」
モーゲンは目の前の果実を一つ手に取った。
「僕には、これだけの果物をこの短時間で集めるなんて不可能だ。アルマーク、ありがとう。あとは僕に任せて」




