実
アルマークとモーゲンが森を歩く音が、やけに大きく響く。
巨大キノコの化け物をモーゲンが撃退してから、森は静まり返っていた。
葉擦れの音もほとんどなく、時折頭上で聞き覚えのない鳥のさえずりが聞こえるくらいのものだ。
「緑のベルデが集めて来いって言ったパイの材料の二つ」
しばらく黙々と歩いた後で、アルマークがそう言ってモーゲンを見た。
「ユキメイズミの蜜とフォーンベリーの実だったよね。僕は両方とも聞いたことのない名前だけど、君はどうだい」
「僕も初めて聞く名前だよ」
モーゲンは答える。
「この森の植物、みんな初めて見るもの」
「確かにね」
アルマークは頷く。
「じゃあ、どんな味だったか覚えてるかい」
「うん。まあ大体はね」
モーゲンは頷いて、アルマークを見た。
「君は?」
「僕が覚えているわけないじゃないか」
アルマークは肩をすくめる。
「味のことはお手上げさ。君に任せるよ」
「まあ、君の場合はそうだよね」
モーゲンは苦笑いする。
「あのパイに入ってたベリーのほとんどは、フルベリーだったんだ。君も知っているでしょ、フルベリー」
「ああ。それくらいは知ってるよ」
アルマークは頷く。
「紫の小さい実がいっぱいなるベリーだろ」
「そう。ベリーの中でも甘みが強いから、パイの中に入れるには最適なんだけど」
モーゲンはそう言って周囲の茂みをぐるりと見る。
「さっきのパイにはフルベリーの甘みの中に、爽やかな酸味が混じっていたんだ。それがまたすごくおいしかったんだけど、きっとあれがフォーンベリーの実だと思うんだよ」
「酸味か」
アルマークはマルスの杖で近くの茂みをがさがさとつつく。
「色はどうだろう」
「色まではよく見なかったんだよね」
モーゲンは心から残念そうに言う。
「パイを食べるのに夢中で。まさかそれを探すよう言われるなんて。僕の一生の不覚だよ」
「一生の不覚ってことはないだろうけど」
アルマークは微笑み、それから困ったように眉を寄せた。
「でも、頼みのモーゲンが見ていないんじゃな。僕もまるで見なかったし、何の手掛かりもないのか」
そう言って、顔を上げて森をぐるりと見回す。
「こんなに広い森の中で、見たこともないベリーを探すのか。いくら時間があっても足りないじゃないか」
「手掛かりはないわけでもないよ」
「え?」
モーゲンの意外に力強い言葉に、アルマークは彼の顔を見た。
「だってさっき、色も見なかったって」
「色は見なかった」
モーゲンは認めた。
「でも、口の中で大きさは分かったよ。フルベリーよりも一回り大きい粒だった」
「そんなこと、あんなに夢中で食べながらよく分かったね」
「まあね」
モーゲンは胸を張る。
「夢中で食べてるってことは、口の中に全神経を集中してるってことじゃないか。だから僕がおいしいものを食べてるときにだらしない顔をしてたとしても、それはしょうがないことなのさ。だってそっちに神経が行ってないんだから」
「別にそんなことは言ってないけど」
アルマークは苦笑する。
「でも大きさは分かってるわけだね。あとはまだ何かあるかい」
「そうだね」
モーゲンは人差し指をぷくぷくした頬に当てる。
「ベリーってほとんどは日当たりのいいところで育つんだ。だからフォーンベリーもきっとこんな鬱蒼とした森には生えていないと思う」
「なるほど」
アルマークは感心したように頷く。
「それじゃあ、まずはもっと樹の少ないところを探すってことか」
そう言ってさっそく走り出そうとするアルマークを、モーゲンは笑顔で制止する。
「まあ、そう慌てないで。暗い森は暗い森で、やることがあるんだ」
「え?」
訝しげな顔のアルマークに、モーゲンは自信たっぷりに告げる。
「もう一つの材料のほうを探すのさ」
「ああ。ユキメイズミの蜜、だっけ」
アルマークは曖昧な表情でそう言うと、モーゲンの顔を見る。
「ユキメイズミって何だい」
「さあ」
モーゲンも首を振る。
「さっきも言ったけど、聞いたことのない名前だね」
「それじゃあやっぱり、どこにある何なのか分からないじゃないか」
「でも」
モーゲンは微笑む。
「なんとなく、想像はつくよ」
「さすがだね。どんな想像だい」
そう言って笑い返したアルマークの目が不意に鋭くなって、モーゲンの背後に向けられた。モーゲンも後ろを振り返って、
「わあ」
と悲鳴を上げた。
「また変なのが来た」
茂みから姿を現したそれは、太い緑色の茎をもった植物だった。地面から真っ直ぐに伸びたその茎からは、大きな釣鐘のような実が一つぶら下がっている。
その植物も先ほどの巨大キノコと同じく、足もないのにするするとアルマークたちに近付いてきた。
「どうしてこの森の植物はみんな動くのさ」
モーゲンが慌てて距離を取りながら杖を構える。
「僕が切るよ」
アルマークが、モーゲンが魔法を使うよりも早く、杖を突き出した。
巻き起こった風が、釣鐘のような実を切り裂く。
「あっ、アルマーク。切るのは多分そっちじゃないよ」
モーゲンが声を上げた時にはもう遅かった。
切られた実の下半分がぼとりと地面に落ちた。ぶらさがったままの実の上半分の切断面から地面の下半分の実まで、ねばねばの液体が糸を引く。
と、地面にぼたぼたと無数の丸い種のようなものが落ちてきた。
「うげっ」
モーゲンは顔をしかめて後ずさった。
「虫だ」
その言葉通り、最初は種に見えたそれらは全て、小さな虫だった。
地面の一角にうず高く重なり合った虫たちは、一斉にねばつく羽を広げた。
「うわ、飛ぶの?」
モーゲンは悲鳴を上げる。
羽虫たちはきらきらと光る糸を引きながら、モーゲンたちに向かって飛び立った。
「モーゲン、火だ」
アルマークが叫んで杖を振るう。
杖から噴き出した炎は、飛んできた虫たちをたちまち焼き払った。
虫が炎に焼かれるたび、青白い煙が上がって異臭が漂う。
「ああ、臭い」
そう言いながらモーゲンも杖を突き出して、自分の方に向かってきた虫たちを焼いた。
だが、実の切断面からはなおも、ぼたぼたと種のような虫たちが降ってくる。
「あの実を潰さなきゃだめだ」
アルマークがそう叫んで、光の矢を放った。
矢は狙い違わず、茎と実の連結部分を打ち抜く。
実の上半分も地面に落ち、茎の切断面からは、蜜のようなどろりとしたものが垂れた。
「まさかあれじゃないだろうね」
アルマークがモーゲンを振り返る。
「ユキメイズミの蜜ってやつ」
「冗談じゃないよ」
モーゲンはぶるぶると首を振った。
「あんなもの食べたら、お腹をあの虫どもに食い破られるよ」
それが合図だったかのように、地面に落ちた実から再び無数の虫が飛び立った。
「ああ、もう。気持ち悪いなあ」
そう言いながら、モーゲンは杖に込めた魔力を解放する。
光の網。
虚空から突如現れた輝く網は、きめ細かい網目で空中の小さな虫たちを一匹逃さず捕らえると、そのまま地面に転がる実を掬い上げた。
「えい」
モーゲンが胸の前で拳を握ると、網はぎゅぎゅっとすぼまって実をしっかりと締め上げる。
流れるような動作で、モーゲンは腕を振るった。
光の網が実を包んだままで茂みのはるか向こうまで飛んで行ったときには、残った茎もアルマークの放った炎で焼き尽くされていた。
粘液が焼かれるとひどく臭い煙が上がり、元から森全体に漂っている甘い香りと相まって異様な臭いとなった。
「ああ、これはひどいや」
モーゲンはローブの袖で鼻を押さえて首を振る。
「こんな臭いを嗅がされてたら、頭が痛くなっちゃうよ」
「そうだね」
アルマークは頷いた。
「ここからまずは離れよう」
そう言ってアルマークは歩き出したが、モーゲンが付いてこないのを見て首を傾げる。
「どうしたんだ、モーゲン」
アルマークは言った。
「こんな臭いところ、早く離れよう」
「うん。僕もそうしたいのはやまやまなんだけどね」
モーゲンはそう言うと、腕を下ろしてアルマークを見た。
「さっきから、君にずっと聞こうと思ってたんだ」
「え?」
アルマークは顔をしかめる。
「僕に? 何をだい」
「うん。あのね」
モーゲンはアルマークに向けて杖を掲げた。
「君、いったい誰なんだい」




