知者
「……ふむ。本質、か」
フィラックはそう呟くと、そのまま沈黙した。
ウォリスはそのまま、氷に包まれた細い通路をまっすぐに歩く。
やがて、繊細なガラス細工を散りばめたような美しい階段が見えてきた。
だがやはり近付いてみればそれは全て氷でできた階段であった。
「いい趣味だな」
ウォリスは言った。
「いかにも、成り上がりの新興貴族の屋敷にありそうなデザインの階段だ。自分の背景の後ろ暗さを豪華な装飾でごまかして、大きく見せようとする」
そう言いながら、ウォリスはその階段にためらうことなく足を掛ける。
意外に薄い氷でできた階段は、ウォリスが体重をかけるとぐらりと揺れたが、割れるところまではいかなかった。
「普請が甘いところまでそっくりだ」
ウォリスは涼やかに笑ってそう言うと、階段を上がっていく。
フィラックからは何の反応もなかったが、ウォリスは気に留めもしなかった。
階段は途中から歪な螺旋を描き、上の階層へと続いている。
「ウォリスよ」
不意に、フィラックの声が響いた。
「お前のその自信が、実力に裏打ちされたものであることは分かる。だが、その力そのものはどこで手に入れた?」
階段を上るウォリスはちらりと眉を寄せる。
「なに?」
「その子供離れした力だ。いや、たとえ成人した魔術師であってもお前ほどの使い手はそうはいまい。その卓絶した魔法の力は、どこで身に付けた」
「ノルク魔法学院だ」
ウォリスは即答する。
「古代の魔術師に作られたお前は知らないだろうが、僕の生きる時代には、魔術師を養成する専門の機関が存在する」
「ノルク?」
フィラックの声が訝し気に揺れた。
「それは、ノルク島のことか」
「ああ、そうだ」
ウォリスは頷く。
「学院はそこにある」
その答えに、フィラックはしばし沈黙した。
「エリグモドの南、フオルレムンの北」
やがてそう呟いた。
「そうか。ノルク島に、そのような機関が」
「思わせぶりなことを言うな」
ウォリスは微かに笑う。
「何の意味もない場所に学院が建つわけはないからな。古代からその名は有名だったのか」
だが、フィラックはそれに答えなかった。
「その学院とやらが、たとえどんなに優れた魔術師養成機関であろうとも、お前のような者を簡単に生み出せるわけはない」
代わりに、そう言った。
「答えよ、ウォリス。学べば誰でもそんな力を手に入れられるというものではない。人はそのようにはできていない。お前の魔法の源は何だ」
「学院だと言っているだろう」
ウォリスは呆れた声を出す。
「百を聞いて一しか理解しない者もいれば、一を聞いて百を知る者もいる。学びとはそういうものだろう」
「お前の言葉は正しい」
フィラックは認めた。
「一般的な意味においてはな。だがお前は異質だ、ウォリス。この銀のフィラックが警戒せねばならぬほどに」
階段の先に、扉が見えてきていた。
「お前の言を借りるなら、少なくとも一を聞いて万を知らなければ、その年齢でその実力は持てぬ」
「ならば僕はそういう人間だということだろう」
「それは人間の所業ではない」
ウォリスはフィラックの言葉を笑って聞き流すと、扉に手をかけた。
「下らない問答に付き合っている暇はない。僕はこう見えても焦っているんだ」
そう言いながら、扉を開け放つ。
「大事なクラスメイトが死にかけているのでな」
そこは、反対の壁が霞むほどの大きな広間だった。
床一面に、正方形の氷のタイルが敷き詰められている。
遥か先に、氷の台座に載った王冠のようなものが見えた。
「氷の迷宮、第二階層へようこそ」
フィラックの声が言った。
「迷宮?」
ウォリスは鼻で笑う。
「このだだっ広い広間を、迷宮と呼ぶのか」
「迷路の壁は目に見えるとは限らない」
フィラックの声が楽しそうに揺れる。
「お前でも分からぬか、ウォリス」
その言葉に、ウォリスは遥か前方の王冠に目を向け、それからぐるりと広間を見まわした。
「なるほど」
ウォリスは頷いた。
「迷宮、か」
「意味が分かったか」
フィラックの声に、ウォリスは杖を床に向けた。
「この床のタイルだな」
そう言いながら、一歩踏み出す。
ウォリスが足を載せると、氷のタイルは青く輝いた。
続いてその次のタイルに足を載せると、ばちり、と電撃のようなものが走る。ウォリスは顔をしかめて足を戻した。
そのタイルは、赤く輝いていた。
「魔力を奪う罠か」
「その通り」
フィラックの声が答える。
「さすがに賢い」
「ふん」
ウォリスは赤く光った前方のタイルではなく、右側のタイルに足を載せる。そのタイルは、青く輝いた。
「青は安全、赤は罠ということか。そして、正しいタイルのみを踏んで、あの王冠のもとへたどり着けばいいんだな」
「説明の手間が省けて助かる」
フィラックは笑った。
「補足するならば、タイルを飛び越したり斜めに進んだりすることは認めぬ。もちろん宙に浮いて台座まで直接飛んでいくような真似は論外だ。そういう手段を選んだ時点で、お前にはこの迷宮を攻略できぬと、すなわち負けを認めたと私は判断する」
「心配は無用だ」
ウォリスはそう言いながら、杖を次のタイルに向ける。
杖の先が微かに光る。
その氷の中に隠されたごくわずかな魔力の牙を探り当てようとしているようだった。
「罠は、最初だったからその程度で済んだが、台座に近付くほどに強さを増す。台座の周囲の罠は一撃でお前の命を奪うほどのものであると覚えておけ」
「それはご親切に、どうも」
言いながらウォリスは次のタイルに踏み出した。
タイルは青く光った。
「ほう。正解だ」
「大体、分かった」
ウォリスはそう言うと、ためらわずに次のタイルに足を踏み出す。
青く輝いた足元を見もせずに、次のタイルに。その次に。
迷うことなく、ウォリスは前に、右に、左にと足を踏み出し、広間を進んでいく。
その後ろには、青く輝く一本の道が続いていた。
ウォリスの足どりに迷いはなかった。
そのまま正しいタイルだけを選び続け、やがて台座の目の前にたどり着いた。
「……なぜだ」
フィラックが呻いた。
「なぜ、お前には正解が分かるのだ」
その言葉に、ウォリスは肩をすくめる。
「最初のタイルで、氷の中に隠された魔力の傾向を掴んだ。感覚的なものなので言葉にはできないが、あとはその波を感じながら足を進めれば、僕にはそれで十分だった。それに」
そう言ってウォリスは氷の台座の上の王冠を指差す。
「なぜゴールが王冠なのか。そこに、答えに至るヒントがあると思った。歩き出して五歩目くらいで気付いた。これは古代語のエオル、すなわち“王”という文字を描いているのではないか、と」
ウォリスは薄く笑うと、上を指差す。
「鳥の目、だ」
確かに、広間で歩を進めるウォリスにその光景が見えるわけはなかったが、仮に天井がもっと高く、鳥のように上から広間全体を眺めることができたならば、はっきりと見えたであろう。ウォリスの足によって、床いっぱいに青い線で“王”の文字が描かれたのが。
「そこまで見えるのか」
フィラックが唸る。
「底が知れぬ」
「下の鏡よりは、多少ましだった」
ウォリスは冷たく笑うと、台座の前の最後のタイルに足を載せた。
「まだ次はあるのか」
そう言ってウォリスが王冠に手を伸ばした時だった。
その足元のタイルが真っ赤に輝いた。
ウォリスが目を見張る。
「なに」
「外れだ」
フィラックの声はどことなく悲しそうでさえあった。
「策士は策に溺れ、知者は知に溺れる」
フィラックは言った。
「正解の道をたどると出てくるのは、“王”の文字。そんなことは聡明なお前ならば造作もなく気付くと思っていた」
ウォリスの身体には瞬時のうちに白い氷がまとわりつき、その魔力を根こそぎ奪おうとしていた。
「だが私はそんなことは一言も言ってはいない。正解の道が“王”という文字を描くなどとは。お前は最後まで愚直に魔力の感知をするべきだった。しかし、己の知に溺れ、美しい答えを導き出したつもりになったお前は、それを怠った」
魔力を奪われていくウォリスの身体を、床から突き出された何本もの氷の槍が貫いた。
「僕が、お前の罠に嵌っただと」
自分の身体から噴き出す血を、ウォリスは信じられないというように見た。
「ばかな。この僕が」
「私が罠に嵌めたのではない。お前が自ら罠に踏み込んだのだ」
フィラックの声は告げた。
「お前の負けだ、ウォリス。実に残念だ」




