絶叫
「トルクを、侮辱するな」
ガレインがそう言ったとき、イディムの目にちらりと好奇の光が宿った。
だが、ガレインはそれ以上何も言わなかった。
口を引き結んで、イディムを睨みつける。
鼻息荒く、肩を上下させる。
「言いたいことは、それだけか」
拍子抜けしたようにイディムが言うと、ガレインは、ぐうっ、と獣のように唸った。
「トルクを」
ガレインは叫んだ。
「侮辱するな」
才気煥発な少年少女の集まるノルク魔法学院。
初等部に入学してすぐに、ガレインもデグも、自分たちがひどく場違いな場所に来てしまったことに気付いた。
貴族とはもともと住む世界が違うことくらいは分かっていたが、平民の生徒たちも皆、二人の目には貴族の生徒と同じくらい聡明で、違う世界の住人のように見えた。
どいつもこいつも、難しいことをよく喋る。
喋らないやつは喋らないやつで、人を見下した冷たい目をして、相手にもしてくれない。
たまに優しいやつもいるが、そういうやつの周囲はきらきらしていて、とてもこっちから話しかけられる空気じゃない。
川での石切りが趣味のデグや猫の鳴きまねが特技のガレインが、彼らの輪の中に入っていけるはずもなかった。
放課後にやることもなく、森の川辺で座っているうちに、ガレインとデグは自然と仲良くなった。どちらもクラスであぶれていた。
ガレインは無口で、デグのほうがまあ喋るといえば喋ったが、クラスでは二人ともほとんど何の発言もしなかった。
リーダー格の生徒やクラスの中心的グループ、一芸に秀でたやつらが発言や発表をすることで授業というのは進むものだ、ということを二人は早くも悟っていた。そこに二人の出番はなかった。
そんなある日、二人は寮で、上級生に絡まれている同級生の男子を見かけた。
生意気だ、とか何とかつまらない因縁をつけてきた上級生に、その生徒はいきなりものも言わず殴り掛かった。
加勢に来た上級生のグループに三人がかりで結局は殴り倒されたが、最初に殴った相手だけはその生徒に何度も殴られて鼻血を流していた。
侮辱的な捨て台詞を吐いて上級生たちが去ると、ガレインとデグは彼に駆け寄った。
大丈夫か、と声をかけるデグをうるさそうに見て、その生徒は口に付いた血を、ぐい、と拭った。
「一対一なら俺の勝ちだ」
当然のように、彼は言った。
それがトルクだった。
そのままトルクは振り返りもせずに去っていったが、デグとガレインは、その姿に強烈な印象を受けた。
かっこいい。
端的に言えば、二人はそう思ったのだ。
ごちゃごちゃと難しい理屈をこねくり回す頭のいい連中はたくさんいた。
冷たい口調で、こちらには分からない世界の話を、さも知らないことが罪だとでも言わんばかりに話す連中も。
だが、トルクは違う、と思った。
ものも言わずに殴りかかるのがかっこよかった。
それに、一対一なら確かにあいつの勝ちだった。
あいつの言葉は正しい。
あいつの言葉は、俺たちにも分かる。
二人にとって、トルクはようやく見つけた学院の希望だった。
翌日から放課後にトルクの姿を見付けると、二人はその後をついて回った。
トルクはあからさまに嫌な顔をしたが、ついてくるな、とも言わなかった。
トルクから話しかけられることはほとんどなかったが、それでもよかった。
二人はトルクのやることを真似し、同じようにして過ごした。
だが、ある日のことだった。
その日のトルクは、やけに荒れていた。
理由は分からないが、たまにそういう日がトルクにはあった。
そういうときだけはトルクにも、二人には分からない貴族の暗い面が顔を出すように見えた。
「おい、ガレイン」
森で、トルクは後ろに付いてきていたガレインを不意に振り返った。
「けんかしようぜ」
唐突に、トルクは言った。
ガレインが思わず首を振ると、その頬をトルクが平手で張った。
ぱん、と乾いた音が森の中に響く。
「ほら、来いよ」
挑発的に手招きするトルクに、なおもガレインが首を振ると、トルクは今度は思い切りその足を蹴った。
「来いよ、おら!」
痛みに顔をしかめたガレインの目の色が変わる。
ふぐっ、という鼻息とともにガレインがトルクに殴りかかった。
トルクも獣のような表情でそれに応戦する。
トルクがガレインに殴られたのは、一発だけだった。
その身体からは信じられないほどの敏捷さで、トルクはガレインの拳をよけて顔面と腹に自分の拳を叩き込んだ。
ガレインが地面に崩れ落ちると、トルクは横を向いてぺっと唾を吐き、今度はデグを見た。
「次はお前だ。来い」
手招きされたデグにはもう選択肢はなかった。叫び声をあげて殴りかかっていく。
最初の一発、トルクは顔面でまともに受けた。当たった、とデグが思ったときには、天地が逆転するようなパンチを受けて目の前が真っ白になっていた。
トルクは、冷たい目で自分が殴り倒した二人を見下ろすと、言った。
「どうだ。懲りたか」
トルクは笑っていた。
「懲りたらさっさといなくなれ。二度と俺に付きまとうな。貴族にくっついて歩きてえなら、アインだのウォリスだの、ご立派なのが他にいくらでもいるだろう。そっちを当たれ」
そう言って、二人の顔を見る。
だがトルクは自分を見上げるデグの表情を見て、眉をひそめた。
「いや」
デグは言った。
「トルク。あんたの言うことはすげえ分かりやすい」
「なに」
意外な言葉にトルクが目を見開く。
「アインとかウォリスとか、あいつらの言うことは難しくて、俺たちにはよく分かんねえ」
デグは言った。
「でも、トルク。あんたの言うことは分かるんだ。言葉じゃ言えねえときに、こうやって殴り合ってくれるんなら、もっと分かりやすい。分からねえこと言われるくらいなら、殴り合った方がいい」
そう言って、デグはガレインを見る。ガレインも自分と同じ考えであることは、デグにはすぐ分かった。
「な、ガレイン」
デグが言うと、ガレインは大きく頷いた。
「だから、明日からも一緒にいてえよ」
デグはそう言ってトルクを見上げる。
「貴族だからじゃねえ。俺たちはトルクと一緒にいてえんだよ」
トルクは珍しいものを見るように、二人の顔をじっと見つめ、やがてふい、と身を翻した。
「勝手にしろ」
それが、デグとガレインがトルクの仲間に認めてもらえた瞬間だった。
「トルクを侮辱するな」
ガレインは叫んだ。
本当は、トルクには仲間なんて要らなかった。俺とデグが勝手について回っていただけだ。
自分たちのことをトルクの仲間だと思ってはいたが、トルクが二人を頼ることはほとんどない。
トルクは誰の力も借りずに、いつも自分一人で決断して、自分一人の力でそれを解決してきた。
俺たちは、ただそれを見ていただけだ。
でも、だからこそ知っている。
誰にも頼らないトルクの気高さを。
その狂おしい程の誇りを。
そのトルクが、よりによって闇の力を頼るだと。
ふざけるな。トルクを舐めるな。俺たちのトルクをばかにするんじゃねえ。
けれど、ガレインは自分の気持ちを言葉にはできなかった。
言葉は俺の本分じゃねえ。どう言っていいか、分からねえ。
だからガレインは叫んだ。
「トルクを侮辱するんじゃねえ」
森に響き渡るような大声。
だがイディムは、それが聞こえていないかのように薄く笑ってガレインの顔を見ている。
ガレインの叫びに打たれたのは、むしろトルクの方だった。
トルクを侮辱するな。
仲間の絶叫。
動けないトルクの手に、そっと何かが触れる。
それは、杖だった。
トルクの落とした杖を拾い上げたデグが、笑顔でそれを差し出していた。
「大事なもん落としたぜ、トルク」
デグはそう言ってにやりと笑った。
「頼むぜ。杖がなきゃ、戦えないじゃねえか」




