草原
森の中をまっすぐに続いていた道は、途中から少しずつ上り坂になり始めた。
歩くほどに勾配は徐々に急になっていく。
「おいおい」
デグが息を切らしてぼやく。
「なんだ、これ。俺たち山登りでもさせられてるのか」
そう言いながら首を伸ばして道の先を見ようとするのだが、鬱蒼と茂る木々に邪魔されて上り坂の向こうは見通せない。
「こんなに坂を登ってたら、石にたどり着く前に疲れちまうぜ。なあ」
先頭を歩くトルクはその言葉に答えない。最後尾を歩くガレインも同様だ。
だが、デグは二人の反応がないことを気にする様子もない。
「他のチームもこんな道を歩かされてんのかなぁ。俺たちだけだったらついてねえな」
緊張感のない、飾らない口調で自分の思ったことを話し続けるデグ。
「あ、あそこに見えるのアンチュウマソウじゃねえの」
そう言って、道端の草を指差す。
トルクもガレインもそちらに顔を向けるが、そうだともそうでないとも答えない。
「そういえば、俺たちが取りに来たのって黒の石だもんな。確かにアンチュウマソウの生えてるようなところにありそうだぜ」
夜の薬草狩りの採集目的の一つでもあったアンチュウマソウは、日中でも光の当たらないところに好んで生える草だ。鬱蒼とした木々の枝が隙間なく頭上を覆うこの場所は、生息地としては最適に見えた。
「まあ、そうとも言えねえな」
トルクがぼそりと言った。
「見ろ、そんなに色が濃くねえ」
その言葉にデグはもう一度アンチュウマソウに目をやり、おお、と声を上げた。
「本当だ。言われてみれば真っ黒じゃねえ」
地面にへばりつくように生えるアンチュウマソウは、紫色をしていた。
「闇が濃い場所であればあるほど、アンチュウマソウの色は濃く、黒に近くなる」
トルクは言った。
「だから、もしこの先にいる黒の石の魔術師とやらが闇を操るのなら、大した相手じゃねえってことだ」
「すげえ」
デグが嬉しそうにガレインを振り返る。
「さすがトルクだぜ。な」
ガレインは額に汗をにじませながら、無言で頷く。
「そうか。じゃあ敵は黒って言っても闇を操るやつじゃねえかもな。黒、黒、黒っぽいものってあと何があるかな」
そんなことを言いながら考えを巡らせ始めるデグに構わず、トルクが振り向いた。
「ガレイン」
トルクは最後尾のガレインを呼ぶ。
「少し休むか」
だがガレインは無言で首を振った。
「そうか」
それだけ言って、トルクはまた前に向き直る。
「そうだな、ガレイン。お前は体力がねえからな」
デグが遠慮のない口調で言った。
「これだけ上り坂が続いたらきついよな。俺の魔法で少し浮かせてやろうか?」
その言葉にもガレインは首を振る。
「魔力がもったいない」
ぼそりとそう答えるが、その息はもう乱れ始めていた。
「そうか。しかしいつまで続くんだろうなこの道」
デグはそれ以上ガレインの様子を気にすることなくそう言って、うんざりしたようにずっと続く坂を見上げる。
「まあ、帰りは楽だけどよ」
「ガレイン。無理だったらすぐに言え」
振り向きもせずに、トルクが言った。
「お前がいなきゃ始まらねえ」
ガレインは黙って頷いた後で、それだけではトルクに伝わらないと思ったのだろう、声を出した。
「ああ、分かってる。トルク」
「いいよな、ガレインはトルクに心配してもらえてよ」
デグがからかうようにガレインを振り向く。
「俺ももう少し体力がなきゃよかったぜ」
「二人も面倒は見ねえぞ」
トルクの言葉に、デグは気にした様子もなく笑顔で前を向いた。
「分かってるよ。俺はちゃんと歩くから、何かあったらガレインの面倒見てくれよ」
上り坂は突然に終わった。
視界を遮っていた木々が途切れると、そこは紫色の草原だった。
「すげえ、アンチュウマソウの群生地だ!」
デグが驚きの声を上げる。
「こんなにたくさんまとめて生えてるところ、初めて見たぜ」
口にこそ出さないものの、トルクもガレインも同じ感想を抱いていた。目を見張って周囲を見まわす。
「すげえな」
ガレインが汗を拭いながら、ぼそりと呟く。
腕力はあるが体力のないガレインにとっては、ここまで上ってくるのも一苦労だった。そのローブには、もう絞れそうなほどの汗が浸み込んでいる。
「貴重な薬草がこんなに。宝の山だ」
「だけど、見ろよ。日光を浴びちまってるから」
そう言いながらトルクがアンチュウマソウを踏みしめて前に歩き出した。
「色がすっかり薄くなっちまってる」
その通りだった。
頭上を覆っていた木々は、上り坂の終わりとともに途切れていた。そのおかげで、明るい昼の日差しが草原に降り注いでいた。
だが、それはアンチュウマソウにとっては生息するのに適した環境とは言えなかった。
アンチュウマソウは、育つ場所が暗ければ暗い程、その色を濃くする。その逆もしかりだ。育つ場所に光が入ると、徐々にその色は薄くなる。
燦燦と降り注ぐ日差しのせいで、草原はまるでごく薄い紫色の布で覆われているかのように見えた。
「もったいねえな。これじゃあ薬草にしたって薬効がほとんど出ねえじゃねえか」
デグが魔術師らしい感想を口にする。
「セリア先生が見たら、なんてことって言って卒倒するぜ」
「薬効が出ねえどころか、あと何日かこんな状況が続いたら全部枯れちまうだろ」
トルクはそう言いながら、紫の草を踏み踏み、草原を歩いていく。その後ろにデグとガレインが続く。
「つまり、こんな場所は現実にはありえねえってことだ」
「ああ。そうか」
やっとそこに気付いたようにデグが頷く。
「そうか。よくできてるけど、ここは全部、本当にあのライヌルとかいう魔術師の作り物なんだな」
「あいつが作ったのかどうかは分からねえが」
トルクは答える。
「気を付けろよ。何が起きたっておかしくねえ場所だ」
「ああ、分かった」
デグが頷いた時だった。
不意に、足元のアンチュウマソウが一斉にざわりと揺れたような感覚を覚えて、三人は足元を見た。
「ん?」
デグが顔を上げて二人の顔を見る。
「今、なんか……」
「色が、変わった」
ガレインが言った。
その言葉に、デグはもう一度自分の足元を見た。
「あっ」
思わず声を上げる。
言われてみると確かに、アンチュウマソウの紫が少し濃くなっているように見えた。
「なんだ、こりゃ」
デグが呟いた時、彼の目の前のトルクの背中がぐっと強ばった。
「気を付けろ」
足を止めたトルクが、低い声で言った。
「来たぞ」
その言葉にデグとガレインも顔を上げる。
前方を注視した二人にも、その姿が見えた。
ゆっくりと草原の向こうから歩いてくる、一人の男。
長い黒髪と、身にまとう漆黒のローブが、男が一歩踏み出すたびに風に揺れた。
「……なんだよ、あれ」
デグは思わず呆然と呟いた。
男が草原をゆっくりと進んでくる。それとともに、薄紫色をしていたアンチュウマソウの草原がその足元から円状に波及するように濃い紫色へと変化していく。
色の変化の波及は、やや遅れてトルクたちの足元にも届いた。
草の色が変わっていく。
どんどんと、濃く。
もはや、紫とは言えない濃度まで。
黒。
草原が全て闇のような漆黒に染まった頃、三人の前まで来た男が足を止めた。
「ようこそ、黒の草原へ」
男は静かな声で言った。
初老の、穏やかな表情をした男だった。
「我が名は、黒のイディム。汝らに、我に示せるほどの力はあるか」




