秘密
「くそ、あの野郎」
そう吐き捨てて、ネルソンが白い石を掴み上げた。
「逃げやがった。偉そうなことを言っておいて、口ほどにもねえ」
「いや、すごいよ。ネルソン」
そう声を上げたのはレイドーだ。
「君はやっぱりすごい」
レイドーの表情はネルソンへの賞賛に溢れていた。
「あの曲者のプーティを君は真正面から屈服させたんだ」
「よく分かんねえ」
ネルソンは要領を得ない顔で首を傾げる。
「俺はただ純粋にムカついただけなんだけどな。実は、何であいつが勝手にばらばらになったのかもよく分からねえんだ」
「自分が感じたムカつきをそのまま真っ直ぐに出せる君だからこそ、プーティは認めざるを得なかったんだ」
レイドーは微笑む。
「さすがだよ。やっぱり君は2組で一番正しい生徒だ。僕の言葉に間違いはなかった」
「やめてくれ、それ」
ネルソンは苦笑する。
「そんな立派なもんじゃねえよ」
「まあ僕もあの場の勢いで言ったんだけどね」
レイドーがそう言って、またちらりといたずらっ子の素顔を見せる。
「でも君はそれを証明してくれた。何でも言ってみるもんだよ」
「他のやつには言うなよ。特にトルクとかには絶対に」
ネルソンはレイドーにそう念を押すと、ノリシュに歩み寄った。
「ノリシュ。大丈夫か」
「あ、うん」
プーティが消滅した後でまたうずくまっていたノリシュは、声を掛けられてようやくネルソンを見上げた。
その目が潤んでいた。
「どうしたんだ」
ネルソンの顔が曇る。
「やられたところが痛むか」
「少し痛むけど」
ノリシュは首を振って立ち上がった。
「大丈夫。自分で治せる」
そう言ってネルソンを見る。
「あんたこそ、大丈夫?」
「俺は平気だ」
ネルソンは明るい顔で頷いた。
「ちょっと血が出てるけどな。なんてことねえよ」
「血が出てるなら、大変じゃない」
ノリシュが顔色を変える。
「見せて」
「大丈夫だって」
ネルソンは、ノリシュが慌てて伸ばした手を避けるように一歩後ろに下がる。
「俺だって自分で治すよ」
「そ、そう。それならいいんだけど」
ノリシュは手を下ろすと、赤い顔でうつむいた。
「何だ、どうしたんだよ。ノリシュ」
怪訝そうな表情でネルソンがその顔を覗き込もうとすると、ノリシュはぱっと顔を背けてしまう。
「お前、変だぞ。さっきプーティに言われたことをまだ気にしてるのか」
ネルソンは腰に手を当てた。
「あんなの好きに言わせときゃいいんだ。あんなやつにお前の良さが分かってたまるかよ。堂々としてろよ」
「う、うん」
頷いたノリシュの顔がますます赤くなる。
耳まで赤くなったノリシュを見て、さすがにネルソンも彼女の様子がおかしいことに気付いた。
「どうしたんだよ、本当に。お前らしくねえぞ。いつもなら、もっとこう、がーっと勢いよく」
「ネルソン」
レイドーが穏やかに口を挟んだ。
「ノリシュは照れてるんだよ」
「照れてる?」
ネルソンはきょとんとする。
「どうして」
「そんなの決まってるじゃないか」
レイドーは微笑んだ。
「君がさっきこの森全部に響くくらいの大きな声で言ったからじゃないか」
そう言うと、レイドーは楽しそうにネルソンの台詞を繰り返した。
「ノリシュを傷つけるやつは、絶対に許さねえ! それが俺の正義だ!って」
その言葉に、ノリシュがますます恥ずかしそうにうつむいて、両手で顔を覆う。
「え?」
ネルソンは一瞬ぽかんとして、レイドーとノリシュを代わるがわる見た後で、ようやくレイドーの言わんとしていることに気付いた。
「ちっ、ちがっ」
ネルソンは滑稽なほど慌てて、顔の前で両手を振る。
「ちが、レイドー、俺はそういう意味で言ったんじゃ」
「すごかったよ」
レイドーは感心したように頷く。
「ノリシュがプーティにやられたことを最初から全部逐一覚えててさ。一つずつ全部指摘して減点していって。途中途中には、優しいとかノリシュへの賛辞まで散りばめてさ。僕にはとてもあんなにうまくやる自信はないな」
「違う、待て、レイドー」
ネルソンはノリシュと同じくらいに顔を真っ赤にして腕を振り回す。
「俺はそういう意味で言ったんじゃねえよ。ただ、仲間が傷つけられたことを許せねえって言っただけだろ」
「僕だって傷つけられたんだけどね」
レイドーはつららが刺さってできた腕の傷を見せる。
まだその傷口からは痛々しく血が流れていた。
「でも君は、僕の分は減点してくれなかったじゃないか」
「それはお前、その、なんだ」
ネルソンは真っ赤な顔で、自分が握る白い石に指を突き付けた。
「プーティ。レイドーをよくも傷つけたな。減点1だ」
「いまさら遅いよ、ネルソン」
レイドーは苦笑する。
「でも、それでいいんだ。僕は別に自分が含まれなかったことを怒ってるわけじゃないよ。むしろ、君がノリシュに限定したからこそ、君の言葉がプーティの身体を打ち砕く力を持ったんだと思う」
レイドーはそう言って、まだ顔を上げないノリシュを振り返る。
「ね。ノリシュ」
「……恥ずかしかった」
ノリシュがまるでリルティのように消え入りそうな声でそう言うと、ネルソンは、ぐ、と声を上げて言葉に詰まる。
「すごく恥ずかしかったけど」
ノリシュは言った。
「すごく嬉しかった」
その顔を覆った手の間から涙がこぼれる。
それを見たネルソンが、はっと息を呑んだ。
「私もあの人に言い返したかった」
しゃくりあげて、かすれた声でノリシュは言う。
「あなたのそれは違う、おかしいって言いたかった。でも言えなかった。うまく言葉にできなかったの」
ノリシュの声は震えた。
「だけど、それを全部ネルソンが言ってくれた。これが俺の正義だって真っ直ぐに言ってくれた。それが嬉しかった。恥ずかしかったけど、本当に嬉しかった」
「……ノリシュ」
ネルソンが困ったように頭に手を当ててノリシュを見た。
その手がノリシュの頬に伸びかけて、それから躊躇うようにまた下ろされる。
「俺は別に、そんな難しいことを考えてたわけじゃねえよ。あいつを言い負かそうとか、そんなことは全然」
ネルソンは苦しそうな表情で言った。
「ただ、お前があいつに傷つけられて、あいつはそれを当然の報いだ、みたいな面してやがったから、それで頭に血が上っちまってさ。正義とか何とか、かっこいいこと言っちまったけど、別に立派なことを言ったつもりはねえんだ」
そう言うと、ネルソンは意を決したようにもう一度ノリシュの頬に手を伸ばし、その涙を拭った。
「だから、泣くなよ。ノリシュ。さっきも言っただろ。俺は、お前が泣いてるのを見るのが一番つらいんだ」
「……うん」
ノリシュは頷いた。
けれど、その頬には涙があとからあとから流れてきて、ネルソンの指を濡らす。
ノリシュは盛大に鼻をすすって、手で顔を覆ったまま涙声で言った。
「どうしよう。涙、止まらない」
「いいじゃないか。無理に止めなくたって」
レイドーが穏やかな声でそう言って、歩き出す。
「僕は向こうでこの傷を治してくるから、どうぞ二人でごゆっくり」
「おい、レイドー」
ネルソンが慌ててノリシュの頬から手を離し、レイドーを振り向く。
「変な気を回すなよ。こっちでやればいいだろ」
しかしその手はすぐにノリシュに掴まれた。
「行かないで、ネルソン」
「お、おう」
ネルソンはもう片方の手で頭を掻くと、ノリシュの肩を叩いて座らせ、自分も隣にしゃがみこんだ。
「……傷を治して、みんなのところに戻ろうぜ」
ネルソンは言った。
「ウェンディが待ってる」
「……うん」
ノリシュが頷く。
もう一度盛大に鼻をすすると、ノリシュはようやく顔から手を下ろした。
ローブの袖で涙を乱暴に拭って、ああ、泣いちゃった、ひどい顔だ、と呟く。
「どうやって勝ったのか、みんなには言えないね」
ノリシュの言葉に、ネルソンは真面目な顔で、おう、と頷く。
「三人だけの秘密だな。レイドーにも言っておかねえと」
ふふ、とノリシュが笑う。
「ありがとう、ネルソン」
ノリシュがもう一度言った。
しばらくして、森の中に三つ、治癒術の優しい光が灯った。
今年一年の感謝を込めて、「キリーブ少年の恋」を投稿しておりますので、どうぞそちらもご覧くださいませ。




