手紙
みんなが帰省してしまうと、寮に残っている学生は二十人にも満たなかった。アルマークとモーゲンは、がらんとした食堂で食事を取った。
普段はたくさんの学生で溢れている分、人気のほとんどない寮は寂しいものだった。
その上、最初は二十人くらいいた学生も、どうやら半分は試験で失敗した補習組だったらしく、五日もすると補習を終えて嬉々として故郷へ帰っていき、結局残りは十人ほどになってしまった。
アルマークはその中で、この休暇を出来る限り有意義に過ごしていた。
朝と夕方は瞑想、昼間はモーゲンと森に行って釣りをしたり、モーゲンの買い出しに付き合って街に行ったり。モーゲンが頻繁に誘いに来るのでアルマークも断りきれなかった。夜には図書館で借りてきたさまざまな書物を読みふけった。
こんな生活も悪くないな、とアルマークは思った。
そんな中、モーゲンは、毎日ウェンディからの手紙を待ちわびていた。家に着いたら手紙を書くね、と言っていた割りに、手紙はなかなか来なかった。
ようやくウェンディからの手紙が届いたのは、休暇が始まって12日後だった。
「きたきた、やっと来たよー」
アルマークと自分の名前が書かれた封筒を、モーゲンが大喜びで振りながらアルマークの部屋に入ってきた。
「届くのにずいぶんかかったなぁ」
アルマークが言うと、モーゲンも頷きながら
「きっと家が楽しすぎて僕らのこと忘れてたんだよ」
と応える。
そうだろうか。ウェンディが僕たちのことを忘れるだろうか。
アルマークは手紙の届いた日に、少し不自然なものを感じた。
何かあったのかな。
「開けるよー」
満面の笑顔で手紙を開いたモーゲンの顔がすぐに曇った。
「えっ……」
「どうした?」
アルマークが眉を潜める。
「アルマーク、これ」
モーゲンが顔を上げてアルマークに手紙を見せる。アルマークの目にも、手紙の最初にウェンディの字で、
「アルマーク、モーゲン、ごめんなさい」
と書いてあるのが見えた。
「……どういうことだろう」
すっかりしょげかえったモーゲンから手紙を受け取り、読んでみる。
手紙の文章には、たくさんの謝罪やウェンディらしい細やかな気配りが溢れていて、逆にそのせいで内容が分かりづらくなっていたが、簡単に言えばこういうことだった。
ウェンディの父、エルモンド卿はまだ三十代にも関わらず、現在、ガライ王国で大臣を務める大貴族で、いずれは宰相になるだろう、とも言われている人物だ。
しかし、若くして頭角を現した人物に往々にして見られるように、エルモンド卿にも多くの政敵がいた。
そのうちの誰かが、素性の分からない者共を雇い入れたらしく、エルモンド卿自身やその家族に危害を加えるためなのか、はたまた脅しのつもりなのかは不明だが、ガルエントルのバーハーブ家の屋敷の周辺で度々不審な人物の影が見られるようになった。
それだけで留まればともかく、最近では、屋敷の門に小動物の死体が置かれたり、家族への危害をほのめかす脅迫文が送りつけられたりするようになっていた。
エルモンド卿は、その程度のことで狼狽える人物ではないが、帰省してきた愛娘のこととなれば話は別だ。
ウェンディは帰って早々、父の指示で、父母と離れ、執事のウォードらとともに安全のため、王都ガルエントルのさらに北にある本来のバーハーブ家領の屋敷で過ごすことになってしまった。
「なんとか少しだけでもガルエントルにいさせてほしいと、父にお願いしたのだけれど、お前の安全のためだ、と頑として譲ってくれませんでした」
とウェンディの手紙には書いてあった。
ウェンディが今いるのは、バーハーブ領のミレトスという街だ。ガルエントルにはエルモンド卿夫妻と、ウェンディの兄しかいないそうだ。
手紙が届いたのがずいぶんと遅かったのもそれが理由だった。
「終わった……」
モーゲンが呟く。
「……僕の休暇が、今終わった。これから何を楽しみに生きていけばいいんだ」
「大げさだな」
と言いながらも、アルマークも落胆は否めなかった。
自分たちが行けなくなったのも残念だったが、それ以上にウェンディが手紙の中で繰り返し「ごめんなさい」「本当にごめんなさい」と書き綴っていたのが痛々しかった。
ウェンディは今、せっかくの休暇をどんな気持ちで過ごしているのだろう。
アルマークは、手紙のウェンディのきれいな字をじっと見つめながら考えた。
翌日、アルマークの方からモーゲンを釣りに誘った。
すっかり元気をなくしていたモーゲンはあまり乗り気ではなさそうだったが、気分転換に、と無理やり連れ出した。
いつもの小川で二人並んで釣糸を垂らしてみたものの、こういう日に限って全然魚は釣れない。
ため息をついたモーゲンがぽそりと呟いた。
「ナツミズタチアオイはあんなにきれいに咲いてるのに……僕の心は灰色だよ」
「……モーゲン、今なんて」
急にアルマークに振り向かれ、モーゲンはきょとんとした。
「え?」
「今さっき何て言った?」
「僕の心は灰色だよ」
「違う、その前」
「ナツミズタチアオイはあんなにきれいに……」
「そう、それ!」
アルマークはモーゲンに詰め寄った。
「どこに咲いてるって? ナツミズタチアオイが」
「え……ほら、あそこに」
モーゲンの指差す先を見ると、確かにこの間までただの緑色の茂みだった一角が、鮮やかな青色で彩られていた。
目に染みるほどの瑞々しい鮮やかな青色に、アルマークは目を奪われた。アルマークの生まれた北の地ではついぞ見たことのない花だ。
「きれいだな」
「僕の家の方でも咲くんだ。ここでも咲くって聞いてたけど、真夏はここにいないから見るのは初めてだな」
とモーゲン。
「僕は生まれて初めて見るよ。南の夏は初めてだから」
アルマークは言った。
そして、この花が見たかったと言っていたウェンディを思い出した。
ウェンディにも見せたいな。
自然にそう思った。
ガルエントルよりも北のバーハーブ領では自生してはいないだろう。
この花を、ウェンディに。
見送りの時のウェンディの顔を思い出した。
「行こう」
「え?」
急に立ち上がったアルマークを、モーゲンが見上げる。
「行こう、モーゲン」
モーゲンが戸惑った表情を見せる。
「ど、どこへ?」
アルマークはもう心に決めていた。
「ウェンディに会いに。ウェンディにあの花を見せに行こう」




