減点
純白。
その男の髪も、まとうローブも、そう形容するにふさわしい、一点の染みもない白だった。
だから、ノリシュやレイドーはもちろん、ネルソンにもすぐに分かった。
この男が、自分たちの探す白の石の魔術師なのだと。
森の中、太い木の幹に寄りかかって座り、男は眠るように目を閉じていた。
「……あれか」
ネルソンが緊張した声で囁く。
「白の石の魔術師」
三人と男との距離はまだ遠い。目を閉じているということは、男はまだ三人に気付いていないのかもしれなかった。
「よし。やるぜ」
ネルソンは言った。
「二人とも、準備はいいか」
「ええ」
「いいよ」
ノリシュとレイドーが頷く。
レイドーは、杖をかざそうとするネルソンをそっと制止した。
「よした方がいい」
「あ?」
「奇襲みたいな真似はどうせ通用しない。やるだけ無駄だよ」
「確かに俺もそんな気がするぜ、レイドー」
ネルソンは頷いて、にやりと笑う。
「だけど、試してみたって悪くはねえだろ」
そう言いざま、ネルソンが杖を振るった。
「どーん!」
ネルソンお得意の、風切りの術。
男との直線上にあった低木をすぱりと切って、鋭い風の刃が飛んだ。
ざくり、と男のローブが裂けた。
男はよけもしなかった。
風の刃をまともに食らい、切られた胸から溢れ出した血が、純白のローブをたちまち真っ赤に染めていく。
激しい出血。
その残酷な光景に、ノリシュが息を呑んだ。
「ちょっと、ネルソン」
「え、あ、おお」
魔法を放った当のネルソンも、戸惑った声を上げる。
「や、やられたら石に戻るんじゃねえのかよ」
男は相変わらず目を開けなかった。ただ、その胸から血は流れ続けた。
「あの人、死んじゃうんじゃない」
ノリシュが切迫した声を上げる。
「治療しないと」
「何言ってんだよ、ノリシュ」
ネルソンが反論する。
「あいつは、石の魔術師だろ。白の石だ」
「そうかもしれないけど」
ノリシュは真っ赤に染まっていくローブを見て首を振る。
「だってまだ何もされていないじゃない。敵なのかどうかも分からなかった。話せばわかってくれたかも」
「そんなわけあるかよ」
ネルソンは苛立った顔で叫ぶ。
「何甘いこと言ってんだ。ここは戦場だぞ。クラン島の浜辺と一緒だ」
「とにかく」
ノリシュがネルソンを押しのけて走り出す。
「私は治療する。もしも敵だったら、それからまた戦えばいい」
「待て、ノリシュ」
呼び止めるネルソンの声には、いつもの力がなかった。
ネルソン自身も動揺していたのだ。自分の使った魔法で、現に傷つき、血を流す人間を目の当たりにしたことで。
だから、ノリシュが治癒術でその血を止めてくれることを、どこか期待もしていた。
「大丈夫ですか」
ノリシュは目を開けない白髪の男に駆け寄った。
「しっかりしてください。今、治療を」
男が不意に目を開けた。
それを見たノリシュが、言葉を失う。
瞳が、白目よりも、さらに白かった。
男は、ノリシュに何か言おうとしたが、次の瞬間、口から真っ赤な血を吐いた。
「ああ」
ノリシュが呻いて傷口に手をかざす。その頬にも、男の血が飛んでいた。
男はずるずると崩れ落ちていく。
ノリシュの手が光る。
だが、もう治癒術が間に合わないことは明白だった。
男は血を失いすぎていた。
「待って。まだ、間に合う」
必死の表情のノリシュに、男がぼそりと言った。
「減点3」
「え?」
次の瞬間、男の姿は消えていた。
そこに流れていた大量の血も、ノリシュの頬に飛んだ血も、全てが消え失せていた。
「ノリシュ、気を付けて」
ネルソンとともに駆け寄ってきていたレイドーが、初めて鋭い声を発した。
「来るよ」
その言葉通り、男が寄りかかっていた木の裏から、先ほどと同じ純白のローブをまとった男が現れた。
真っ白い髪。白目よりも白い瞳。
「ひどいものだ」
男が言った。
冷たい、無機質な声だった。
「いきなり減点3とは。人の劣化は、年を経るごとに速くなっているのではあるまいか」
「なんだ、お前」
ネルソンが言った。
「さっきの奴と、同じ奴か」
「まず、汝」
それに答えず男は右手を挙げ、ネルソンを指差した。
「いきなり裂空の術を人に向けて放ったな。その者がどういう相手かも分からぬまま」
男は厳しい表情で言った。
「自分の魔法がどんな結果を招くのかも熟慮せぬまま」
「……な」
ネルソンは言葉に詰まる。
「なんだ、お前。何が言いてえんだ」
「挙句の果て、己のもたらした結果に慄いた。汝の行為に、正義はない。ゆえに、減点1」
男はそう言い放つと、呆気に取られているネルソンを尻目に、ノリシュを指差す。
「次は、汝」
ノリシュは目を瞬かせて後ずさる。
「仲間の行為を咎め、治癒術を施そうと私に駆け寄った。そこまでは、まあよかろう」
男は血色の悪い紫色の唇を歪めた。
「だが、汝の未熟な治癒術には私を救う力はなかった。仲間を非難しつつ、己も所詮は結果を変えることなどできなかった。力なき慈善は、偽善なり。ゆえに、減点1」
それから男は最後に、ネルソンの背後に立つレイドーを指差した。
「最後は汝だ」
レイドーは無言で男を見返す。
「汝は仲間の愚かな行為を止めなかった。かといって、無力な仲間の治療を手助けすることもなかった」
男は、鼻筋にしわを寄せ、吐き捨てた。
「主体性なき傍観。唾棄すべき邪悪だ。ゆえに、減点1」
「合せて減点3か」
レイドーは頷いた。
「それで?」
そう言って、挑戦的に男を見る。
「それが、何だっていうんだい」
「汝らの持ち点が減る」
男は言った。
「それは、つまり」
不意に、周囲の空気が震えた気がして、ノリシュは辺りを見回した。
周りの森に、目立った変化はない。
だが、なんだろう。少し息苦しいような気がする。
「正義無き者に住む世界はない」
男は冷たい声で言った。
「減点されるごとに、汝らの生きる世界は狭くなる。持ち点がなくなれば、汝らはこの世界から消滅する」
「なんだ、てめえ」
ネルソンが険しい声を出した。
「おかしなことを言ってやがるな」
「まだ名乗っていなかったな」
男はネルソンを見て、微かに笑った。
「我が名は白のプーティ。九つの兄弟石のうち、最も正しき石だ」
新連載「騎士ユリウスの文通」も、ぜひお読みくださいますと作者が喜びます。




