血
コルエンの剣が、またアスルの鎧をかすめた。
コルエンの攻撃がアスルを捉えかける回数は、加速度的に増えていた。
一方でアスルの剣はまるでコルエンにかすりもしない。
戦況は一気にコルエン有利に傾いているように見えた。
アスルの剣がまた空を切る。
勢いに乗ったコルエンの攻撃の速度とペースがさらに上がる。
三連撃。
アスルの技量であれば難なくさばけるはずの攻撃だったが、コルエンの持つ野性の、微妙なテンポのずれ。計算してできることではないそれが、アスルの防御を遅れさせる。
どうにか受けきったアスルの鎧に、コルエンが思い出したように付け加えた四撃目がまた一つ筋を作った。
「惜しイ」
猿が言った。
「あと少し深けれバ、有効打ダ」
「むう」
アスルが呻いた。
「ははっ」
笑って飛びずさったコルエンの額を汗がしたたり落ちる。
「自慢の鎧が傷だらけだな」
コルエンは剣をぶらぶらと揺らす。
「あんたの動きが見えてきた。もうすぐ、芯を捉えるぜ」
それに答えず、アスルが前に出た。
ポロイスとの戦いでも見せた、強烈な踏み込み。
一気にコルエンとの距離を潰そうとするが、間合いは縮まらなかった。
コルエンがアスルを翻弄するように軽やかに回り込んだからだ。
コルエンは決して真っ直ぐには下がらない。左に、右に。規則性のありそうな不規則さで後退し、一気呵成の踏み込みを許さない。
その顔が楽しそうに歪む。
自身の言葉通り、アスルの動きが見えているかのような身のこなしだった。
何度かの虚しい前進の後。
それでもアスルはコルエンの動きを捉え、タイミングを計って一気に詰め寄った。
だが、そこを待ち構えていたかのようなコルエンの斬撃が襲う。
とっさに足を止めてその一撃を受け止めた時には、もうコルエンはアスルの目の前にはいなかった。
「強い」
再び絶妙な間合いを保って自分を見るコルエンに、アスルは言った。
「これでは、捉えられぬ」
コルエンは緊張感のない足取りでアスルの周囲を歩く。
だが、その実、コルエンの筋肉はいつでも飛びかかることのできる瞬発力を溜めていた。
「こちらも変えねばならぬな」
アスルはコルエンの動きを目で追いながら呟く。
「いつまでも獣に驚いてはいられぬ」
その言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、コルエンが不意に踏み込んだ。
伸びてきた鋭い突きを、アスルは慎重に弾く。
続けて繰り出されたコルエンの追撃を、アスルはしっかりと見定めた。一つずつ丁寧に弾き返していく。
攻撃を終えて再び間合いを取ったコルエンに、今度はアスルが距離を詰めた。
といっても先ほどまでのような一息での踏み込みではない。
ずい、と一歩前に出る。そこにコルエンの攻撃が飛んでくるが、アスルはそれらを落ち着いてさばくと、また一歩前に出る。
愚直な前進。
まるで重戦士のように、防御を固めながらアスルは一歩ずつ前に出た。
コルエンが退き、アスルが進む。
コルエンは後退し、時に回り込みながら、軽やかに伸びやかにいくつもの攻撃を繰り出した。一方アスルは一歩ずつの前進を繰り返しながらコルエンの攻撃を弾き続けた。
アスルの鎧を剣がかすめる耳障りな音が、何度も響いた。
傍目に見れば、コルエンが自在にアスルを翻弄しているように見えた。
だが、コルエンの野性の勘が危険を告げていた。
アスルが、戦い方を変えた。
相手を格下扱いした、誰にでも見せる戦い方ではない。
コルエンの動きをしっかりと見据えた戦い方へ。
攻撃しているのはコルエンの方だ。だが、少しずつ、追い詰められ始めている。
これだけ攻撃を繰り出しても、アスルの鎧を捉えきれなかった。
かすめるまでがせいぜいで、決定的な一撃を与えられなかった。
逆に、踏み込んでくるアスルの一歩は今までよりもはるかに短いはずなのに、二人の間合いが徐々に近くなる。
コルエンの動きを読み、逃げる先を予測し、最短距離を潰す。そうすることで、アスルはコルエンを追い詰めていた。
コルエンの奔放な野性の動き。だが、翻弄されていたはずのアスルは、早くもそれに対応し始めていた。
また一歩、距離が近付く。
「ちっ」
焦ったコルエンの雑な一撃が、アスルに付け入る隙を与えた。
剣をかいくぐるようにアスルは一気に踏み込んできた。
危険な距離。
「くっ」
コルエンは大きく飛びのく。
だが、もうアスルはそれを逃さなかった。
馬鹿正直に真後ろに飛んだコルエンに、身体をぶつけんばかりの勢いで踏み込んできた。
アスルの剣が風切り音とともに突き出される。
その攻撃をぎりぎりでコルエンがかわしたとき、アスルは意外そうな顔をした。
コルエンが距離を取る。踏み込んでくるであろうアスルに追撃の一撃を振るおうとしたが、アスルはそこで足を止めた。
「勝ったと思ったのだがな」
アスルは訝しげに言った。
「あの一撃をよけられるとは思わなんだ」
「へっ」
コルエンは笑う。その顎を、汗の滴が伝う。
確かにやられる寸前だった。
最後の剣は、まともに喰らっていてもおかしくはなかった。
だが、この展開は以前に経験したことがある。
狩人のような相手に追い詰められ、最後に逃げ切れず、突きをまともに喰らう。
その経験が、コルエンにはあった。
人は、頭で学ぶ。獣は、身体で覚える。
あの時の突きは、こんなもんじゃなかった。
腹に、うずくような痛みが蘇る。
思い出す、アルマークの突き。
その出身だという北で吹いているのであろう、冷たい風をまとった一撃。
その経験があったから、身体が動いた。よけることができた。
「受けたことがあるのだな」
アスルは言った。
「我の攻撃よりも、速い攻撃を」
あるさ。
コルエンは心の中で呟く。
アルマークのあの時の一撃は、まるで光だった。
それに比べりゃ、こんな攻撃。
「よかろう」
アスルはさしたる動揺も見せなかった。愚直な前進を再開する。
先ほどと同じ展開になった。
アスルが徐々に距離を潰し、コルエンはまたもじわじわと追い詰められる。
コルエンの攻撃もいいところまでいっているはずなのだが、どうしても最後の一線を超えることができない。鎧に届かない。
何かが必要なのだ。
勝つためには、それ以上の何かが。
「経験を糧にするのは、良き魔術師の証」
アスルはそう言って薄く笑った。
「ならば、我はそれよりも速い一撃を見舞おう」
アスルがまたコルエンにじわりと迫る。
繰り出したコルエンの一撃は難なく弾かれた。もうアスルの動きに迷いはない。
剣が鎧をかすめることもなくなった。確かに、コルエンの攻撃のリズムに順応している。
また間合いが縮まった。
わずかな時間に、相手の癖とテンポを読み取る。
優れているのは、力や速度だけではない。
強い。
コルエンは改めて認めた。
こいつは、強い。
その口元が自然に緩む。
自分を可愛がってくれた祖父の顔が脳裏に浮かぶ。
博識な祖父は何でも知っていて、言うことには大抵間違いがなかった。
焔、と名付けてくれた祖父。
だが、祖父の言葉にも一つ間違いがあった。
いや、祖父にも分からないことがあった、と言ってもいいかもしれない。
それは、コルエンに流れるブロキアの血の強さ。
その、衝動。
自分が燃え尽きるような相手との戦いは、一生に一度で十分だって?
コルエンはだらりと下げた手の先で剣を揺らすと、挑発するようにアスルを見た。
冗談じゃねえ。
何度でも、だ。
大きく息を吸う。
集中しろ。
自分よりも強い相手だからこそ、価値がある。
追い詰められるほどに、血が滾る。熱くなる。
そんな経験が、一度でやめられるわけがない。
アスルが一歩踏み出す。
それにかぶせるように、コルエンはアスルに飛びかかった。
だが、その不用意な攻撃は完全に読まれていた。
アスルの剣が、まるで蛇のようにコルエンの突き出した剣に絡みつく。
慌てて腕を引いた時には、コルエンの剣はその手から離れ、地面に転がっていた。
「良く戦った」
アスルが大きく一歩踏み込む。
「終わりだ」
丸腰のコルエンはとっさに後ろに飛びのく。
「無駄だ!」
アスルが剣を突き出した。
コルエンが両腕を胸の前で交差する。
冷たい感触。一瞬後の激痛。
剣はコルエンの両腕を貫通し、その先の硬い物に触れていた。
「ぐうっ」
コルエンが苦痛の呻きを漏らす。
勝利を確信したアスルが猿を振り向くと、猿は首を振った。
「続行ダ」
「なに」
意外な言葉に、アスルは自分の剣の先を見た。
剣は確かにコルエンの両腕を貫いていた。
だが、胸当てには届いていない。
アスルの剣先が触れたのは、コルエンの袖。
袖は、石のように硬質化していた。
「石化の術」
アスルが目を見開く。
「うおおっ」
剣で両腕を貫かれたままのコルエンが声を上げた。
その身体に魔力が渦巻く。危険を感じたアスルはとっさに剣を抜こうとした。
だが、抜けない。
コルエンが両腕にあらん限りの力を込めてそれを阻止する。
焔。
コルエンの目の前で、真っ赤な炎の幻影が揺れる。
痛みよりも、恐怖よりも、コルエンの心を衝き動かすのは、赤い炎。熱い血。
古より受け継がれた、勇ましき血脈の記憶。
「そんなことをしたところで」
言いかけたアスルの目の前で、コルエンの魔力がほとばしる。
「があっ」
コルエンが叫んだ。
アスルはとっさに左腕を上げて魔法を防ごうとした。だが、コルエンはアスルに魔法を放たなかった。
代わりに、アスルの鎧に、別の方向から衝撃が襲った。
「これは」
アスルが目を見開く。
コルエンの剣が、アスルの鎧を貫いていた。
「そうか。魔力は、剣に」
アスルに絡めとられ、地面に転がったはずの剣。コルエンは自分の身体を囮にして、それを浮遊の術で飛ばしたのだった。
「ただの獣ではない」
アスルは認めた。
鎧に突き立った剣が、力を失って地面に転がる。鎧のヒビから、赤い血が溢れた。
「獣の野性と、人の知性。それを繋げるのは、汝の闘志か」
「へっ」
コルエンは笑った。
今更ながらに、剣が刺さったままの両腕が凄まじい痛みを発し始めていた。
「そんなかっこいいもんじゃねえよ」
俺はただ、強い相手と戦いたいんだ。それがこんな風に、命懸けになって、自分の血を燃やして、それで勝てるのなら最高だ。
ただ、それだけのことだ。
「それまデ」
猿が腕を振り上げた。
「勝者、コルエン」




