独学
コルエンが剣を中段に構えた。
長い手足をゆったりと広げた、子供離れした大きな構え。
大人の中でも長身の部類に属するアスルは、さすがにコルエンよりも背は高いが、それでも身長によるリーチの差は、この二人にはほとんどないと言ってよかった。
アスルが構えた剣を持ち上げる。
二振りの剣が交差した。
「はじメ」
猿が宣言する。
その瞬間、コルエンが獣のように飛びかかった。
振り上げた剣が、反射した太陽の光の軌跡を残してアスルに叩きつけられる。
「むっ」
その速さに、アスルが目を見張った。
剣と剣のぶつかり合う乾いた音が森に響き渡る。
コルエンはその一撃にこだわらなかった。
受け止められた、と見た瞬間には次の一撃を繰り出していた。
再び、乾いた音。
二度、三度と剣が閃く。
その斬撃の速さは、ポロイスの比ではない。
受けるアスルが目を見張るほどの速度。
「ふむ」
攻防のさなか、アスルは頷いた。
「自信があるのも頷ける剣さばきよ」
「まだ余裕じゃねえか」
コルエンが獣のように笑う。
「気に入らねえ」
と、不意にその長い脚をぐい、と伸ばした。コルエンのしなやかな身体がアスルの右側にするりと回り込む。
そのまま、叩きつけるような横薙ぎの一撃。かろうじて受けたアスルの剣の上を跳ねるようにしてコルエンの剣はアスルの肩口を狙った。
鈍い音。
「ちっ」
舌打ちとともに、コルエンが身を退く。
アスルの剣は、コルエンの攻撃をしっかりと受け止めていた。
「どこで学んだ」
アスルは言った。
「先ほど戦ったポロイスは、素人の剣だった。だが、汝の剣には背景を感じる」
「背景、ね」
コルエンは口元を歪める。
「何もねえよ、そんなもん」
そう言うと、コルエンは剣を肩に担ぐように振り上げた。
「俺のは、全部独学だ」
しなやかな肉食獣のように、コルエンが躍動した。
己の肩口から、対角線上の相手の肩口へ。最短距離を剣が走る。
目にも止まらぬ一撃。だが、アスルの剣は再びそれを弾き返した。
「速い」
賞賛の言葉を口にするアスルに、コルエンは振り落とすような一撃を加える。
乾いた音。剣は鎧には届かない。
それが立て続けに三度響いた後、やはりコルエンが身を退いた。
「強いな」
アスルはそう言って笑った。
「独学とは、とても思えぬ」
「へっ」
コルエンは前脚に体重を乗せて、前傾姿勢のままで笑い返す。
「誰かに教わらなきゃ、強くなれねえわけじゃねえだろ」
「確かにな」
アスルは頷く。
「だが、手本となった者はいるはずだ。誰か、その剣を汝に見せた者が」
「うるせえな」
コルエンはアスルの言葉を遮る。
「どうだっていいだろ」
言えるかよ。
コルエンの脳裏をよぎる、一人の精悍な剣士の姿。
剣の振り方は、全てその剣士の動きを真似た。
本気でそれを練習したわけではないが、コルエンの恵まれた才能は、その動きを忠実に再現してみせた。
「師ではなく、教わったと認めることもできぬ相手か」
アスルは微笑む。
「嫌いではないぞ。そういう複雑な感情は」
「違うって言ってんだろ」
コルエンは険しい声で言った。
「そんな大げさなもんじゃねえよ」
言えるわけねえだろ。ダサすぎて。
観客席から見上げた、剣士。
凶悪な殺気をこれでもかと発しながら、それでもなお、まるで濁らない剣筋。
放つ一撃一撃に全て、相手を殺すための技術と殺気と理由が備わっていた。
コルエンを魅了した、呪われた剣士アルマーク。
魔術祭の劇で見た同級生の真似をしてるなんて、そんなかっこ悪いことを、誰が言うか。
アスルはコルエンのその表情に反応した。
「そうか」
そう言って微笑む。
「汝は、強くなりたいのだな」
「あ?」
コルエンは鼻白んだ。
「当たり前だろうが。強くなりたくねえやつなんて、この世にいるかよ」
「良いのではないか」
アスルは頷いた。
「少年の夢としては、実に穏当」
その言葉に、コルエンが顔を歪める。
「少年の夢?」
まるで肉食獣が牙を剥くような表情だった。
「へえ」
コルエンは息を吐く。
「それじゃ確かめてみろや」
一陣の風。
コルエンが疾風のようにアスルに飛びかかった。
「俺が穏当かどうか、よ」
その剣の速度がさらに増していた。
再び、アスルの周囲で無数の火花が散る。
初等部の生徒の水準をはるかに超えた斬撃の連続。
だが、アスルの表情はほとんど変わらない。
時折、ふむ、とか、ほう、と声を上げながら、コルエンの攻撃をさばき続ける。
「うむ」
やがて、アスルはそう言って大きく剣を払うと、一歩踏み出した。
「概ね分かった」
「なんだと」
「汝の剣は、我に届かぬ」
アスルが、前に出た。
一気に距離が詰まる。
コルエンの出迎えの一撃を剣で払い、さらに距離を詰める。
電光石火の一撃。
ぎりぎりでかわしたコルエンを、アスルの次の一撃が襲う。
速さは、コルエンと遜色はない。だが、威力が段違いだった。
一撃受けるごとに、骨身のきしむ感触。
コルエンは歯を食いしばってアスルの剣を受け続けた。
「独学でなければ、もう少し迫れたやも知れぬな」
アスルが言った。
次の一撃には、それまで以上の重さが乗っていた。
「ぐっ」
受けたコルエンの身体が揺れる。
そこに追い打ちの一撃。たまらずコルエンは地面に倒れ込んだ。
「立て」
アスルは言った。
「汝が敗れれば、それで終わりだ。そこまであっけない人生の幕切れは望んではいまい」
「この……」
立ち上がったコルエンに、アスルが詰め寄った。
容赦のない一撃。受け止めきれず、コルエンがよろめく。
「独学」
アスルは言った。
「それならそれでも良い」
反撃しようと突き出されたコルエンの剣を、アスルの剣が弾き落とす。
「だが、この程度では届かぬ」
素早く身をかがめて剣を拾い上げたコルエンの脚を、アスルの長い脚が払った。
無様に転がったコルエンはとっさに身をよじった。
胸当ての直ぐ横の地面にアスルの剣が突き刺さる。
「これ以上のものがないのなら、汝の負けだ」
アスルは剣を引き抜くと、一歩下がった。
「他にあるなら、今すぐに出すがよい。それが汝の生き延びる唯一の道だ」
そう言って、剣を下ろす。
追い打ちをかければ、それで勝負は終わっていただろう。
対戦相手の、あからさまな手抜き。
普段のコルエンであれば、すぐにでも飛びかかっていくほどの屈辱のはずだった。
だがコルエンはゆっくりと立ち上がった。
天を見上げて息を一つ吐くと、服の埃を払う。
その落ち着いた動作に、アスルが目を細めてコルエンを見た。
「まあ、そりゃそうだな」
コルエンは言った。
「俺の憧れた強さを、再現してみたかったけどよ」
アルマークなら、もっとうまくやるのだろう。
この剣に、本物の凄みを乗せるのだろう。
俺のは所詮は付け焼刃だ。
あの強さは、今の俺には再現できない。
「本当の俺で行かなきゃ、通用するわけがねえか」
そう呟いたコルエンが両腕をだらりと下げた。
剣を持った相手と対峙するとはとても思えない、無防備な姿勢でアスルと向き合う。
だが構えを解いたはずなのに、その目が鋭さを増していた。
コルエンの身体を包む獣性が、色濃くなっていた。
「獣、か」
アスルの声に嬉しそうな響きが混じる。
「汝の本性は、それか」
「知らねえよ」
コルエンは答えた。
「知らねえが」
その目が、獲物を視界に捉えた獣のような輝きを宿す。
「俺のやりたいようにやるぜ」




