足枷
中央に戻ってきたポロイスを見て、アスルが眉をひそめた。
さっきまでの闘志がすっかり鳴りを潜め、青ざめた顔をしていたからだ。
「魔法を使っても構わんのだぞ」
アスルは言った。
「このままあっさりと勝負が決まってしまうのもつまらんからな。汝にできる限りの抵抗をしてみせよ」
返事もせずにポロイスは剣を構えようとしたが、不意に息を吐いて剣を下ろした。
「剣を合わせテ」
猿が言い、アスルが剣を上げるが、ポロイスは剣を下ろしたまま首を振る。
「おい、ポロイス」
異変を感じたコルエンが声を上げた。
「どうした」
「戦わずして敗北を認めるか」
アスルは憐れむようにポロイスを見やる。
「意思を失った肉体は骸と変わらぬ。よい、次の者に譲れ」
「やめるとは言っていない」
ポロイスはぼそりと言うと、猿に顔を向けた。
「審判。もう一度、仲間と相談がしたい」
「いいだろウ」
猿は頷く。
「残りあと一回だゾ」
「その一回は使わなくても済むと思う」
そう言って、ポロイスはアスルに背を向けた。
「どうした、ポロイス」
歩み寄ってくるポロイスを、怪訝な顔のコルエンが出迎える。
「腹でも痛えのか」
「そんなわけがあるか」
隣のキリーブが吐き捨てる。
「今更ながら、勝ち目のなさに気付いたんだろう。僕は最初からそんなことは分かっていた。おい、コルエン。今からでも遅くはない。こんな武術大会もどきの真似は止めて、お前ら二人の魔法でどうにかしてあいつを倒せ。その方がまだましだ。指揮は僕がとってやるから」
「少し静かにしてろ、キリーブ」
コルエンはキリーブのローブのフードを後ろに引っ張る。
ぐえ、とおかしな声を上げてキリーブが口をつぐんだ。
「どうしたんだよ、ポロイス」
コルエンはポロイスの顔を覗き込んで笑う。
「まさか、お前ともあろう男が怖気づいたわけでもねえだろ」
それから、ポロイスの表情を見て笑顔を引っ込めた。
「……そのまさか、か」
「ああ」
ポロイスは頷く。
「怖気づいた」
「ほら見ろ、やっぱり僕の言った通りうぐ」
キリーブのフードをまた引っ張ってから、コルエンは両手を腰に当てた。
「それじゃ仕方ねえな。替わるか」
「替わる?」
ポロイスはコルエンを見上げた。
「誰が? 誰と?」
「いや、だから」
コルエンは少し焦れた顔をした。
「お前が戦えねえなら、俺が戦うしかねえだろ」
「僕と審判のやり取りを聞いていなかったのか」
ポロイスの言葉に、コルエンは虚を突かれたように指で頬を掻く。
「あ? ええと」
「僕は、仲間と相談がしたい、と言ったんだ。勝負を下りるなら最初から審判にそう言ってる」
「おう」
コルエンは納得した顔をする。
「そりゃそうだな」
「審判、審判、と」
キリーブが苦々し気に口を挟む。
「正気か、ポロイス。あいつはただの青い猿だぞ」
「だったらどうしてほしいんだ、ポロイス」
コルエンは言った。
「相談ってのは何だ」
「怖いんだ。僕としたことが」
ポロイスは率直に言った。
「見ろ」
そう言って、自分の足を指差す。
足は、小刻みに震えていた。
「この無様な姿を隠すことで精いっぱいだ。まともに戦うどころじゃない」
ポロイスは唇を噛む。
「自分の命がすぐに取られるわけではないから、最初は恐怖に繋がらなかったんだ。だが、やはり怖くなった。僕が負けたら、勝利はぐんと遠のく。そして、敗れれば死ぬことに変わりはない。それに帰りを待つウェンディの命はどうなる。僕らを待つ仲間たちはどうなる。僕たちのせいで、ウェンディが、みんなが闇に呑まれてしまうのか」
そこまで一息で言って、ポロイスは悔しそうにうつむいた。
「情けないことだが、怖い」
地面を見つめたまま、ポロイスは声を絞り出した。
「教えてくれ、コルエン。僕はどうすればいい。どうすれば、この恐怖に打ち勝てるんだ」
「……ポロイス」
しばらくの沈黙の後、コルエンは言った。
「お前は本当にくそ真面目だな」
「な」
顔を上げたポロイスは、コルエンを睨んだ。
「それは今は関係ないだろう」
「関係おおありだ」
コルエンはにやりと笑った。
「いいか、ポロイス。戦うときはできるだけ身軽になれ」
「胸当てを脱げということか」
ポロイスが自分の胸当てに手をかける。
「僕が言っているのはそういう技術的なことではなくて」
「俺も技術的なことなんて言ってねえよ」
コルエンは、くくく、と笑う。
「自由に戦うんだ、ポロイス」
コルエンは言った。
「自分が勝たなきゃやばい、とか、ウェンディの命が懸かってる、とか。そんなことどうだっていいんだ」
「どうだって」
ポロイスは目を見開く。
「よくはないだろう」
「ウェンディの命なんて、アルマークに任せときゃいいんだ」
コルエンは乱暴に言った。
「たとえ俺たちが負けたって、あのばか強えアルマークがどうにかするに決まってる。あいつはそういうやつだ」
「いや、それは」
そう言いかけて、ポロイスは言葉に詰まる。
モルフィスを一撃で眠らせ、コルエンも寄せ付けなかったアルマークの尋常ではない強さが脳裏に蘇った。
「そう、かもしれないが」
「いずれにしたって後からついてくるんだ、そんなもんは」
コルエンは鼻を鳴らす。
「地面に寝っ転がってるウェンディや残してきたクラスの連中のことを心配しながら戦えば、あいつらがお前の代わりに戦ってくれるのか? お前に見えない力でも送ってくれるのか?」
コルエンはそう言って、ポロイスの胸当てを拳で叩いた。
「戦うのはお前だ。ポロイス・スタウツ」
一歩後ろによろけたポロイスが、目を瞬かせてコルエンを見上げる。
「武術大会じゃあ俺がモーゲンに負けたせいでクラス自体も負けちまったけどよ。俺はそんなこと最初から気にしちゃいなかった」
コルエンは両腕を広げた。
「そんなもんは自分が全力で戦った後で勝手についてくる話だ。そうなったときに考えればいい。自分で自分に足枷をはめるな、ポロイス。あいつらだって、そんなことは望んじゃいねえ」
「……足枷」
「自由に戦えばいいんだ。お前の力がここまでだなんて線を引いてるやつは誰もいねえ。いるとしたら、お前自身だけだ。そしてお前はそこからはみ出すことに決めたんだろうが」
そこまで言って、コルエンは表情を和らげた。
「……というのが、俺の考え方だ。お前は俺よりかは責任とかそういったもんを力に変えられる人間なのかもしれねえけどな」
「……戦うのは、僕自身か」
ポロイスはゆっくりと剣を顔の前まで持ち上げた。
その磨かれた刀身に自分の顔が映っていた。
ポロイスはそれをじっと見つめる。
「まだかかるのカ」
向こうで猿が腕を振り上げた。
「相談といっても時間稼ぎは認めんゾ」
「分かってるよ」
コルエンが叫び返す。
「もうちょっと待ってくれ」
「あまりかかるようなラ、二回分に数えるからナ」
「一回目の相談が短かったんだ、おまけしてくれよ」
そんなやり取りの中、刀身を見つめていたポロイスが、ようやく剣を下ろした。
「今見たことは忘れてくれ、コルエン」
「あ?」
コルエンがポロイスに目を戻す。
「何だって?」
「こんな情けない顔を、人に見せていたのかと思うとぞっとする」
そう言って自分を見上げたポロイスの顔を見て、コルエンの顔が嬉しそうに緩む。
「ポロイス。いい顔になったじゃねえか」
「よく教えてくれた、コルエン」
ポロイスは言った。
「また繰り返すところだったぞ、僕は」
そう言いながら、身を翻す。アスルの待つ方へと。
「アルマークに負けたあの日と同じ過ちを」
「いくのか、ポロイス」
「ああ」
ポロイスは頷き、もう振り返らなかった。
「これは僕の、ポロイス・スタウツの戦いだということが分かったからな」




