火柱
「僕は無傷だぞ」
アインが挑発するように、プラーに向けてハンカチをひらひらと振る。
「もう遊びはおしまいか」
そのハンカチに飛び足の術の魔力が込められていることは、遠目に見ていたフィッケにも分かった。
「さすがアインだよな」
心から感心して、そう唸る。
「卒業試験だってのにあんなもの準備してるんだもんなぁ」
もちろん、アインがこんなに用意周到なのは事前にアルマークからある程度の情報を得ていたからだが、そんなことはフィッケの知るところではない。
けれどフィッケにとって、それは不思議なことではなかった。
アインがまるでこの戦いが起きることを予想していたかのように、跳び足の術を込めたハンカチを取り出したことに、フィッケは何の疑問も抱かない。
なぜなら、彼はアインなのだから。
常に冷静沈着、用意周到。
知るはずのない知識を披露し、分かるはずのない事情を汲み取り、揉め事を一刀両断に解決に導く。
フィッケにとって、アインとはそういう存在だった。
「さすが俺らのリーダーだぜ」
「はっ」
呆れたようにプラーが笑った。
「遊びはおしまいか、だって?」
その赤い瞳が好戦的に光る。
「一度よけたくらいで。弱い奴ほどよく吠えるんだよな」
プラーは言った。
「逃げ足が速かったことが、そんなに誇らしいかね」
「悔しいのか」
アインは笑う。
「それなら当ててみろ」
そう言って、両手を広げる。
「口だけなのはお前も同じじゃないか。赤のプラー」
「一緒にするなよ」
プラーがそう言いざま、右肘を肩の高さまで上げた。
垂らした右手に、ぐるりと炎が渦巻く。
「お前みたいな負け犬と、この俺を」
プラーの口元に、一瞬鋭い犬歯が覗く。
次の瞬間、プラーが内側からねじり込むように右手を突き出した。
アインはとっさに身体を投げ出す。
轟音とともに、火柱が真横に突き刺さった。
先ほど天を焼くように立ち上った火柱が、今度は真一文字の熱線となってアインを襲う。
さっきまでアインの立っていた場所が、一直線の炎の放射で焼き尽くされていく。
間一髪地面に転がってよけたアインが素早く立ち上がった。
「逃がすかよ」
プラーの口元が残虐に歪む。
今度はぐい、と左肘を肩の高さに上げた。垂らした左手に渦巻く凶悪な炎。
アインは走り出した。飛び足の術の効果か、まるで風のように走る。
だが、プラーはそれを見て嘲笑った。
「見えてるよ、ばあか!」
プラーが左手を突き出す。
再びの轟音。突き刺さる、二本目の火柱。
アインはその火柱を、またかろうじてかわしていた。だが、その時にはすでにプラーの右手には三本目の火柱が立ち上ろうとしていた。
「死ねっ」
轟音とともに火柱が、その直線上にあった木を一瞬で焼き尽くしながら飛んだ。
一瞬その炎に呑まれたように見えたアインだったが、ぎりぎりのところでかわしてふわりと姿を現す。だが、そのローブの袖からは煙が上がっていた。
「どうした、負け犬」
左手を突き出しながらプラーが笑う。
「間に合わなくなってきてるぞ」
次の火柱を身を投げ出すようにしてよけたアインが、地面に転がった。すぐに立ち上がれるような転び方ではなかった。
「終わりだな、負け犬」
勝利を確信したプラーが再度右手を突き出そうとした瞬間。
その右肩で、電気が弾けた。
自分の背後から飛んだその電撃に、プラーは顔をしかめて振り返った。
「フィッケ」
プラーの声に殺気が滲む。
「今じゃないだろう、お前の番は」
「へっ、うるせえ」
フィッケはその迫力にたじろぎながらも、果敢に言い返した。
「当ててやったぜ、ざまあみろ」
杖を突き出したまま、フィッケは強張った顔でにやりと笑ってみせる。
「自分の魔法に集中してるときは、俺たちの魔法もちゃんと身体に届くんだな」
「俺たちの魔法?」
プラーは鼻で笑う。
「もしかしてさっきのばちっと弾けたやつのことか?」
そう言って何事もなかったように左肩をぐるりと回すと、プラーはフィッケを傲岸に見返した。
「このゴミみたいな魔法が届いたから、それがどうしたって?」
フィッケはぐっと詰まる。
稲光の術は確かに届いた。だが、プラーにほとんど何のダメージも与えていなかった。
「届いたことが重要なんだ」
プラーの背後で、アインの落ち着いた声がした。
「なんだと」
プラーがアインを振り返る。
アインはもう立ち上がって、プラーを見ていた。
そのローブの片袖は焼け焦げて穴が開き、あちこちから煙を上げていたが、それでもアインの口元には涼しい笑みが浮かんでいた。
「フィッケ。よくやった」
アインは言った。
「僕らの魔法で、こいつを倒せることが分かった」
「倒せる? 俺を?」
プラーが目を剥いた。
「お前らが?」
「ああ」
アインは頷く。
「そうだ」
「はっ」
プラーはもう一度笑った。
「負け犬。自分の格好を見てから言えよ」
そう言って、アインのローブを指差す。
「ひどいざまだぜ。かっこつけてる場合かよ」
「ローブはローブだ。僕の身体じゃない」
アインは答える。
「プラー。お前の魔法は、僕の身体に当たっていない」
「ああ、口だけ野郎の言いそうな答えだ」
プラーは顔をしかめて吐き捨てた。
「めんどくせえ」
それから、大げさにため息をついて頭をがしがしと掻く。
「やっぱり白けるんだよな。お前みたいなやつがいると」
全く無防備になったその背中にフィッケがもう一度稲光の術を飛ばしたが、それは最初の風切りの術と同様にかき消されるようにして消えた。
フィッケが顔を歪めるが、プラーは彼を振り向きもしない。
「つまらねえな」
プラーは呟いた。
「ああ、つまらねえ。本当につまらねえ。つまらねえ奴はどうする。そんな奴は遊びの邪魔だ。殺すしかねえよな」
ぶつぶつと口の中で呟く。
しばらくそうしていたプラーは、顔を上げた時には最初にアインたちの前に姿を現した時と同じ、無邪気な表情をしていた。
「よし。さっさと殺そう」
場違いなほど明るい、朗らかな声でプラーは言った。
「さっさとあんな奴らは殺して、次の相手を探しに行けばいいんだよな」
プラーがそんなことを呟いている間に、アインはエメリアにそっと歩み寄っていた。
エメリアはアインたちとプラーの攻防の間、離れたところでじっとそれを見つめていた。
「どうだ、エメリア」
アインは低い声で囁く。
「何とかなりそうか」
「ああ」
小さく頷いたエメリアは、プラーを見た。
「でかいだけの魔法だ」
そう言って鼻を鳴らす。
「私としたことが、最初はあのでかさにびびっちまった。でもすぐに見慣れるな」
「ほう」
アインは目を見張る。
「じゃあ、もういけるのか」
「お前があれだけ何度も見せてくれたら、こっちも慣れる」
エメリアはそう言って肩をすくめた。
「もう大丈夫だ」
「さすが」
アインは微笑んだ。
「それでこそ、僕のエメリアだ」
「な」
ぎょっとした顔をするエメリアに構わず、アインはその肩を抱く。
「反撃だ。エメリア」
そう囁いたアインの口元に一瞬、プラーと似た狂暴な笑みが浮かんだ。
「君の拳をあいつに叩きこむぞ」
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