恐怖
「ああ、緊張してきた」
そう言ってセラハが自分の胸を押さえる。
「うまくできるかな」
「大丈夫さ」
アルマークが声をかけると、セラハは少しだけ救われたような顔をした。
見慣れない森の中を突っ切るように、道は続いていた。まるで石のありかまで生徒たちを迷わず導いているかのようにも見えた。
「緑も黄色も方向はこっちだから」
先頭に立つモーゲンがそう言って振り返る。
「きっと、この道がどこかで分岐してるんだと思うよ」
「そうだね」
アルマークは頷く。
「ライヌルの目的は、僕たちと石の魔術師たちとを戦わせることだ。道に迷って時間切れ、なんて結末は向こうも望んでいないはずだ」
「じゃあ、その分岐まで行ったらアルマークたちとはお別れってことだよね」
セラハは少し心細そうな顔をする。
「一緒に来てくれればいいのに」
「ごめん」
アルマークは謝る。
「緑の方をなるべく早く倒して、そっちに駆け付けるよ」
「冗談だよ、アルマーク」
セラハは首を振る。
「あなたはあなたの戦いに集中して。私たちは私たちでちゃんと戦う」
「戦う、か」
キュリメが呟く。
「これから本当に戦うんだね、私たち」
「怖い?」
セラハが気遣わし気な視線を向けると、キュリメは首を振る。
「ううん、怖いわけじゃ」
それからまた首を振った。
「怖くないわけないね。怖いに決まってる」
自分で自分の言葉を否定すると、キュリメは隣を歩くアルマークを見た。
「クラン島であんなことがあったし、覚悟はしていたつもりだったけど。いざとなると、やっぱり怖いね」
「ああ」
アルマークは頷く。
「分かるよ」
「強いアルマークには分からない」
キュリメはそう言いかけて、それから意外そうにアルマークの顔を見た。
「分かるんだね」
それはキュリメの、物事を見抜く力。
以前、キュリメの補習で知ったかぶりをしたアルマークは、彼女の洞察力でそれを造作もなく見破られてしまったものだったが。
キュリメ自身をも苦しめていたその力で、今、キュリメはアルマークが嘘を言っていないことを感じとっていた。
「ああ。分かるよ」
アルマークはもう一度言った。
「最初から怖くない人なんて、誰もいない」
アルマークは思い出す。
北での初めての戦い。流れ者の傭兵たちの乱入。
それは決して、予定された戦いではなかった。
テントの陰で父の長剣を手に、アルマークは自分でも滑稽に思えるほど、震えた。
「命を懸けるときは、誰でも震えるんだ」
アルマークは優しい目でキュリメを見た。
「身体と魂が」
「アルマークも?」
「僕もさ」
アルマークは微笑む。
「怖くて仕方なかった。今だって、怖い」
戦うときは、いつだって怖い。
アルマークは思う。
自分が死ぬこと。
それも、もちろん怖い。けれどもっと怖いのは、ウェンディやモーゲンや学院の仲間たちが死んでしまうことだ。
それを防ぐためなら、僕は。
「怖いけど」
アルマークは思い出す。草の上に目を閉じて横たわるウェンディの姿。
君を救うためなら、たとえ、この身体がどうなろうと。
「アルマーク」
先頭を歩いていたモーゲンが不意に振り向いた。
「君と二人きりで戦うのって、あの時以来だね」
あの時以来。アルマークにはモーゲンが何のことを言っているのかすぐに分かった。
夏の休暇。冬の屋敷。“銀髑髏”。
「ああ」
アルマークは頷く。
「そういえばそうだね」
「あの時は、本当に怖かったよ」
モーゲンはその日のことを思い出すように目を細めた。
「でも、君と僕がいたから何とかなったんだ」
そう言って、アルマークに微笑む。
「今回だって、君と僕がいるんだ。大丈夫、きっとなんとかなるよ」
その言葉に、どこか聞き覚えがある気がして、アルマークはモーゲンを見返す。
モーゲンは笑顔でアルマークに頷くと、また前を向いた。
君と僕、か。
アルマークはその言葉を噛みしめる。
また僕は、一人で戦おうとしていたな。
まるでアルマークの気持ちを読んだかのように声を掛けてくれたモーゲンの丸っこい背中を、アルマークは感謝を込めて見つめた。
「君の言う通りだ、モーゲン」
モーゲンの背中にそう声をかける。
「大丈夫。きっとなんとかなる」
「君が言うと、僕とは説得力が違うな」
モーゲンは振り向いて微笑んだ。
「安心するよ」
「そうね」
頷いたセラハがキュリメの肩を抱く。
「私たちは一人きりで戦うわけじゃない。私とあなたとバイヤーと、三人で戦うのよ」
「ああ、その通りさ」
最後方から、バイヤーの甲高い声。
「僕だっている。それにしても、くそ」
バイヤーは周囲を見まわしてぼやく。
「ここはいったいどこの森っていう設定なんだ。あり得ない植生や見たことのない植物がいくつもあるんだ。こんなことで来るんじゃなければ、最高の場所だったのに。今すぐにでも茂みの中に飛び込んでいきたいよ」
いつもと変わらぬ、ぶれないバイヤーの言葉に、キュリメの表情が少し明るくなった。
「バイヤー」
キュリメは振り向く。
「あなたの言葉には、いつも嘘がないわね」
「嘘なんてあるわけがないだろ」
バイヤーは杖を振り回す。
「植物に嘘は通じないからね。嘘に種をまいたって、花は咲かないんだ」
そう言うと、バイヤーはキュリメ、セラハ、と二人の名を順に呼ぶ。
「でも今日はもう、薬草が採りたいなんて言わないよ。僕も戦いに集中する」
男子の中でも、人一倍非力なくせに人一倍負けん気の強いバイヤーが、強い口調でそう言うと勝気な目で前方のまだ見ぬ敵を睨んだ。
「僕ら三人で勝つんだ。あのクラン島での屈辱を返して、ウェンディを助けるんだ」
「バイヤーのそういうところ、大好きだわ」
セラハが微笑む。
「そうね。やってやりましょう」
「うん」
キュリメも頷く。
「ありがとう、バイヤー。頑張ろう」
「バイヤーはさすがだよ」
モーゲンが感心したように振り返った。
「森を歩いてる時の君は、本当に冴えてる」
「森が僕の生きる場所なんだ」
バイヤーは答える。
「たとえ、ここが架空の見知らぬ森だろうとね」
「大丈夫。薬草博士でやる気博士の君なら、たとえ森じゃなくたって」
アルマークがそう言ったときだった。
森の向こうから、ずずん、という地響きのような音がした。
自分たちの行く手ではない。誰か、別のグループが向かった先。
五人は、はっとそちらの方向を見るが、高い木々に阻まれて何も見えなかった。
「向こうにあるのは、赤と青の石だよ」
モーゲンが言う。
「だから、今のは多分」
「アインたちか、コルエンたちだ」
アルマークがその後を継いでそう言った。
「もう敵と戦ってるんだ」
「1組と3組の子たちが」
セラハが呟く。
「私たちも負けていられないね」
「ああ」
バイヤーが頷いた。
「急ごう。分岐はまだかな」
「お前から来い、赤のプラー」
アインは両手を広げた。
「それとも、自分から来るのは苦手か」
「ほら、始まった。口で稼ぐ奴のいつもの手だ」
プラーは舌なめずりするようにアインを見た。
「口で言うことと、頭の中で考えてることが別なんだ。そうやって人を騙して甘い汁だけ吸おうとする」
「ごちゃごちゃとうるさいのはお前の方じゃないのか、プラー」
アインはもう一度その名を口にした。
「来るのか、来ないのか。やる気がないなら、石に戻れ」
「うるさいなあ」
プラーは乱暴に足を踏み出した。
「後悔するなよ、負け犬」
そう言ってから、自分の言葉に笑う。
「後悔なんてする暇もなく死ぬか」
その言葉が終わらぬうちに、また巨大な火柱が立ち上った。
「行け。食っちゃえ」
プラーの言葉に従うように、火柱がぐにゃりと曲がった。
炎はうねって巨大な手に姿を変える。
「うわっ」
フィッケが叫ぶ。
「アイン、逃げろ」
「そんな暇あるかよ」
プラーの嘲笑う声とともに、炎は大きく手を広げてアインに覆いかぶさった。
「はい、お前の負け」
地面で炎が跳ね、それを浴びた草が一瞬で灰になって消える。
凄まじい熱量。
だが、その寸前に炎をかいくぐって飛び出したアインの姿に、プラーは目を見張った。
「ん?」
地面を転がって炎から距離を取ったアインは、土を払って、不敵な笑顔をプラーに向ける。
プラーは歯を剥き出した。
「お前、何かやってるな。小賢しいことを」
それから、アインの脚に目をやる。
「風身の術か」
「時代がかった呼び方だ」
アインは笑う。
「今は飛び足の術という」
そう言って、ローブから取り出したハンカチをひらひらと振る。
「さあ、どうした。プラー」
挑発するようにアインは顎を反らし、プラーを睨んだ。
「僕は無傷だぞ。もう遊びはおしまいか」




