出発
任務の決まった生徒たちが、それぞれの方向に散っていく。
アインがフィッケとエメリアを引き連れて赤の石に向けて出発する。
「行ってくる。僕が留守の間、ここを頼むぞ」
アインは1組の生徒たちにそう呼びかけると、先頭に立って歩き出した。
「頼むぞ、アイン」
「気を付けて」
1組の生徒たちから次々に声がかかる。
「行ってくらあ」
その後ろに続くフィッケも元気に1組の生徒たちに手を振った。
「さっさと倒して、すぐに帰ってくるぜ」
「頑張れよ、フィッケ」
「石なんかに負けんじゃねえぞ」
コールとフレインが叫ぶ。
「おう。任せとけ」
フィッケは大きく手を振ってから、前を歩くエメリアの腕を引っ張る。
「ほら、エメリア。お前もみんなに何か言えよ」
エメリアは無言で振り返り、フィッケの首根っこをむんずと掴む。
「ぎゅ」
短いうめき声をあげたフィッケがそのままエメリアに引きずられていく。
「ありがとう、エメリア。静かにならなかったら、途中で置いていっていいからな」
振り向きもせずにアインがそう言うのが聞こえた。
その三人の出発とほぼ同時に、3組のロズフィリアとエストンも金の石の方向へと出発する。
「行ってくるわね」
ロズフィリアが笑顔でルクスに言った。
「みんなのこと、よろしくね」
「ああ」
頷いたルクスはロズフィリアの楽しそうな顔に、ちらりと不安の色を覗かせる。
「お前こそ、無茶はするなよ」
「うん。分かってる」
「返事だけはいいからな、お前は」
そう言ってルクスはエストンに顔を向けた。
「頼むぜ、エストン」
「ああ」
エストンはルクスに気のない返事を返した後で、草の上に横たわるウェンディとその傍らに立つアルマークを一瞥する。
「色々と気に食わないことがあるからな。特に、あの北の民があんなところで図々しくウェンディの心配をしていることが一番不愉快だ」
そう言って、ふん、と鼻息を荒くした。
「帰ったら、きっちりと問い詰めてやる」
「お前にも色々とあるんだろうけど、面倒くせえことは、全部終わってからにしてくれよ」
ルクスは頭を掻く。
「けんかしねえで行って来いよ」
「別にあなたが来たっていいのに」
少し名残惜しそうにそう言うロズフィリアの背中を押して、ルクスは二人を送り出す。
「うちの代表が出るぞ」
ルクスは3組の仲間に呼びかけた。
だが、3組からは、エストンの仲間の貴族からぱらぱらと声がかかっただけだった。
3組の二人の出発に続いて、デグとガレインを引き連れたトルクが黒の石の方向へと歩き出す。
「トルク」
アルマークは呼びかけた。
「気を付けて」
トルクはわずかに肩をすくめただけで返事もしなかった。代わりに、デグとガレインが振り向いて手を振る。
「アルマーク、お前こそ気を付けろよ」
デグの言葉に、アルマークは大きく手を振り返した。
「二人とも、トルクを頼むよ」
それを聞いてデグとガレインが苦笑し、トルクは一瞬だけ振り返ってアルマークを睨んだ。
「……さて」
仲間たちが続々と出発していくのを見届けてから、ウォリスが銀の石の飛び去った方向に目を向けた。
「あとは任せたぞ」
そう言ってルクスの肩を軽く叩く。
「ああ」
ルクスは頷いたあと、探るようにウォリスの顔を見た。
「お前が優秀なのは知ってるけどよ。それにしたって本当に一人で行くのかよ」
「その方がやりやすい」
ウォリスは口元だけで笑ってみせる。
「すぐに戻る」
その笑みの冷たさにルクスが目を見張ったときには、ウォリスはもう背を向けていた。
金髪のクラス委員がローブを翻して歩み去った同じ頃、ネルソンたち三人も自分たちの目指す白の石に向かって歩き出していた。
「じゃあな、アルマーク」
ネルソンが元気に手を振った。
「お前らも頑張れよ」
「ありがとう、ネルソン」
アルマークは手を振り返す。
「レイドー。ノリシュ。君たちも気を付けて」
「ああ。行ってくるよ」
レイドーが普段と変わらぬ表情で頷き、その横にいたノリシュは不意に二人から離れてアルマークに駆け寄ってきた。
「アルマーク」
「どうしたんだい、ノリシュ」
「あなたのことだから、私が言うことでもないのは分かってるんだけど」
ノリシュはそう言って真剣な目でアルマークを見る。
「言わせてね」
「うん」
アルマークは目を瞬かせた。
「聞くよ」
「色んなものを背負いすぎないでね」
ノリシュは言った。
「私たちは私たちの意思で戦う。ウェンディはあそこで眠っているように見えるけど、きっと自分の運命と戦っているところだわ」
だから、とノリシュは続ける。
「あなたは、自分の戦いをすればそれでいいと思う。きっと」
ノリシュはそう言い終えた後で、少しもどかしそうな顔をした。
きっと言葉がうまく出なかったのだろう。けれどアルマークには彼女の言わんとすることが分かった。
「ありがとう、ノリシュ」
アルマークは頷いた。
「僕はすぐに自分の手の届かないところまで腕を伸ばそうとする癖があるんだ」
そう言って、恥ずかしそうに笑う。
「君の言葉、胸に刻むよ」
「胸に刻むほど大げさなものじゃないけど」
ノリシュは首を振った。
「じゃあ、行くね」
「うん」
アルマークは感謝を込めてノリシュを見た。
「どうか、気を付けて」
アルマークの言葉に小さく頷き、ノリシュはネルソンとレイドーの背中を追いかける。
「アルマークと何話してたんだよ」
振り向いたネルソンが尋ねるが、ノリシュはそれに答えず、前方を指差す。
「魔力の無駄遣いはやめましょう。魔影が少なそうなところから行くわよ」
「お前が命令すんなよ。リーダーは俺だぞ」
「何よ、リーダーって。いつ決めたの」
「今だよ、今俺が決めた」
「嫌よ。レイドーにして」
「何だと、お前」
「二人とも、会話に夢中になって魔影から目を離さないようにね」
レイドーの冷静な声。
三人の賑やかな声が遠ざかっていく。それに続いたのは、レイラとリルティだ。
「アルマーク」
レイラはアルマークの横を通るとき、そっと囁いた。
「苦戦なんかしないでね。これ以上ウェンディを辛い目に遭わせるわけにはいかない」
「うん」
アルマークは頷く。レイラのまとう冷たい空気が強まっていた。
「君の方も」
そう言いかけたアルマークを遮るように、レイラは言った。
「これが実戦だというのなら、私は負けない」
きっぱりとした言葉。そこには迷いも気負いも感じられない。
「私の想定していた実戦とは少し違うけれどね」
そう言って、微かに口元を緩める。
「うん」
アルマークはもう一度頷く。
知っている。レイラの目指す“実戦”は、中等部のその先にあるということを。
レイラにとっては、今日のこの戦いもそこに至る通過点に過ぎないのかもしれない。
「レイラ。君は強い」
アルマークはそう言ってから、その視線をレイラの隣で目立たないように控えている少女に向けた。
「でもだからこそ忘れないで。君の隣に、リルティがいることを」
自分の名前を呼ばれたリルティが一瞬困ったような顔をして、それでも小さく頷いた。
「うん。私もいる」
「そうね」
レイラはリルティを振り返って目を細めた。
「あなたがいる。私は一人じゃないわ」
思いがけない言葉に、リルティが紅潮した顔でレイラを見上げる。
歩き出しながら、レイラはアルマークの背後を指差した。
「アルマーク。あなたもね」
アルマークが振り返ると、杖を握ったモーゲンが歩み寄ってくるところだった。
「アルマーク、お待たせ。ウェンディのことはもう大丈夫かい」
「ああ」
アルマークは頷く。
「カラーに全部お願いしたよ」
その言葉に、ウェンディの横にしゃがみこんでいるカラーが顔を上げる。
「大丈夫よ、モーゲン」
カラーは明るい声で言った。
「女子で順番に様子を見るわ。だから、あなたたちも早めに帰ってきてね」
「うん。大丈夫さ」
モーゲンはカラーに微笑んでみせる。
「僕とアルマークがいるんだからね。きっと何とかなるよ」
その言葉に、アルマークは微笑む。
「その通りだ。さあ、行こう」
「緑と黄色は場所が近かったでしょ」
とモーゲン。
「だから、途中まで一緒に行こうって、セラハたちが」
「うん。そうしよう」
頷いてから、アルマークはもう一度ウェンディを振り返った。
穏やかな寝顔。右腕に鈍く光る腕輪。
行ってくるよ、ウェンディ。
そう心の中で呼びかける。
うん。気を付けてね。
ウェンディの声が聞こえた気がした。
アルマークは身を翻す。モーゲンがその隣に並ぶ。
「行こう」
アルマークはもう振り返らなかった。
アルマークたちの姿が小さくなっていく。
それとともに魔影たちが徐々に近づいてきて、残った生徒たちの動きも慌ただしくなる。
「慌てるなよ、無駄打ちは避けろ」
ルクスが生徒たちに呼びかける声が聞こえる。
「まだか」
杖を構えたゼツキフが叫ぶ。
「いつまで待つんだ」
「一発で仕留めたきゃ、もっと近付けろ」
叫び返すルクス。
そのやり取りを聞きながら、カラーは、そっとウェンディの頬に触れた。
「ウェンディ」
穏やかにそう呼びかける。
「ほら、みんな頑張ってるよ」
指に伝わってくる冷たさ。カラーの指は、ウェンディの頬をそっと撫でた。
「分かってるわ。あなたも戦ってるのよね」
カラーの目から、ぽろりと一粒涙がこぼれる。
「負けないで。ウェンディ」




