闘志
アルマークは草の上に横たわるウェンディに駆け寄ると、傍らに膝をついた。
「ウェンディ」
祈るような気持ちで呼びかける。だが、ウェンディは反応しなかった。
アルマークはその身体に目を走らせ、状態を確かめる。
外傷はない。
顔色も決して悪くはない。
まるで穏やかに眠っているように見えた。しかし、寝息は聞こえない。
ウェンディを包んでいるのは、魔法の眠りなのだ。おそらく肩を叩こうが身体を揺らそうが目を覚ましはしないだろう。
「アルマーク」
隣にモーゲンがしゃがみこんだ。
「ウェンディ、どう?」
「目を覚まさない」
アルマークは答えて、もう一度呼びかけた。
「ウェンディ」
ライヌルがわざわざ、九つの石を集めろと言い残していったのだ。最初から目を覚ましてくれることなど期待してはいなかった。
だが、それでもアルマークはウェンディに呼びかけずにはいられなかった。
「ウェンディ」
どうして。
どうして、いつも君ばかりがこんな目に。
穏やかな表情なのが、せめてもの救いだった。
自分の無力さに、アルマークは唇を噛む。
できることなら、あらん限りの力で全てを断ち切ってしまいたい。
卑劣な罠を仕掛けてきたライヌルも、ウェンディを縛る過酷な運命も。
「ウェンディ」
ウェンディは応えない。
その右腕に嵌められた腕輪。
九つの窪みだけを残し、すっかり地味な色合いになってしまったその腕輪本体が、銅のような赤黒い色で鈍く光っていた。
「この腕輪のせいなんだね」
モーゲンが言った。
「壊してやりたいな」
「僕もだよ、モーゲン」
アルマークは頷く。
「こんなもの、今すぐにでも引きちぎってやりたい」
その目に宿る真摯な光に、モーゲンが慌てて首を振った。
「本当にやったらだめだよ、アルマーク」
そう言って、ウェンディの肩に置かれたアルマークの右手を押さえる。
「そんなことをしたら、ウェンディがどうなっちゃうか分からないから」
「ああ」
アルマークは表情を変えずに頷く。
「大丈夫。分かってるよ、モーゲン」
「うん」
まだ心配そうな顔で、モーゲンはアルマークを見た。
「それならいいんだけど」
「アルマーク、これ」
駆け寄ってきたノリシュが手にしていたのは、厚手の掛け布だった。
「試験の待ち時間が長いだろうと思って持ってきていたの」
その後ろから、リルティやセラハも駆けつけて来ていた。
「地面の上にそのまま横になっていたんじゃ、ウェンディがかわいそうだから」
そう言って、ノリシュたちは布をウェンディの身体の下に敷く。そうするだけで、痛々しさが少しだけ和らいだ。
「ウェンディ」
セラハがぽろりと涙をこぼした。
「さっきまで、元気に笑ってたのに」
キュリメがその隣にそっと寄り添う。
「そうね。かわいそう」
「大丈夫よ」
そう言ってノリシュが気丈に微笑んだ。
「すぐに目を覚まして、またいつもみたいに笑ってくれるわよ。ね、アルマーク」
「ああ」
アルマークは頷いた。
「ノリシュの言う通りだ。ウェンディは必ず目を覚ますよ」
ウェンディの顔を、アルマークはじっと見つめる。
君を助けるためなら、僕は、命だって惜しくはない。
だが、アルマークはその言葉を飲み込んだ。
代わりに、久しぶりに父の言葉を思い出した。
アルマーク、闘志は内に秘めておけ。
戦場で、はやるアルマークの肩に手を置き、レイズが言った言葉だった。
見上げるアルマークに、レイズは不敵な笑みを浮かべて付け足した。
その方が、熱が逃げねえからな。
「作戦会議はいいんだが、その前によ、ウォリス」
ルクスが言った。
「お前ら2組と、それからアインは何となく事情が分かってそうだけど、正直俺たち3組はちんぷんかんぷんなんだ。戦うのはやぶさかじゃねえが、意味が分からねえことに命は懸けられねえ」
そう言って、自分の後ろに集まってきた3組の生徒たちを振り返る。
「そうだろ」
「ああ」
憮然とした表情のエストンが頷いた。
「ガライの大貴族の一員として、ウェンディの危機を救いたいという気持ちは君たちなどよりも僕の方がよほど強いが、あの男が誰なのか、ウェンディに何が起きているのか、なぜあの北の民が名指しされたのか、そのあたりの事情を聞かないことにはな」
「自分で大貴族って言うかね」
コルエンが楽しそうに笑う。
「俺は事情なんてどうだっていいけどな。理屈が必要な奴らは話を聞けばいい」
「お前だけだ、そんなことを言うのは」
キリーブがコルエンを睨む。
「こんな訳の分からない場所で、訳の分からないことに巻き込まれて、事情はどうでもいいとか、頭がいかれているのか。いや、いかれているのは前から知っていたが、時と場合を考えていかれろ」
「よせ、キリーブ」
ポロイスが静かにキリーブを制止する。
「時間がないのは確かなんだ。話を聞こう」
「と、いうわけだ。ウォリス」
ルクスはウォリスに向き直る。
「話してくれ」
「君たちの言うことはもっともだ」
ウォリスは頷いた。
「アルマーク」
ウェンディの傍らに座るアルマークを振り返る。
「君たちのことを、僕から彼らに話してもいいか」
「ああ」
アルマークは頷く。
「君に任せるよ、ウォリス」
「許しが出たので」
ウォリスはルクスたちに向き直った。
「時間がないから、手短に話す。だいぶ端折るが、質問は受け付けないのでそのつもりで聞いてくれ」
ウォリスの説明を聞きながら、ルクスやエストンが、「ちょっと待ってくれ」とか「待て、それはつまり」などと口を挟もうとしたが、ウォリスは一切聞かなかった。
端的に要点をかいつまんだ説明を終え、ウォリスはルクスたちを見た。
「以上だ」
「以上って」
ルクスは目を瞬かせる。
「話がでかすぎて、何が何だか」
「悪いが、君たちが事態に順応するのを待つ時間はない」
ウォリスは言った。
「いいな。作戦会議を始めるぞ」
「仕方ねえ」
ルクスは肩をすくめて、3組の生徒たちを振り返る。
「聞いた通りだ。順応は各自で頼む」
エストンが不満そうに鼻を鳴らしたが、ルクスももう構わなかった。
それから、クラス委員3人は額を集めて相談を始める。
「石の魔術師と戦うメンバーは、2組を中心に編成したい」
ウォリスが言った。
「さっき簡単に触れたように、2組の生徒はこれまでに闇との戦いを経験している。石の魔術師と戦う上でも、戦いの経験の有無は大きい」
「まあ、そりゃそうかもしれねえが」
ルクスは腕を組む。
「なら、俺たちは魔影を追い払ってりゃいいのか」
「それも重要な役目だ」
ウォリスは頷く。
「ここで眠るウェンディの身体を守らなければならないし、この大木の上の庭園とやらに続く階段を確保する必要もある。いわば、ここが僕たちの拠点だからな」
「異存はない」
アインが言った。
「今のところはな」
「敵になる石は九個だ」
ウォリスは続ける。
「だから、こちらも九つのグループを編成する。戦力の高い生徒を中心に」
「ルクス!」
ウォリスの話を遮るように、3組のルゴンの声がした。
「コルエンたちが!」
「あ?」
ルクスが振り返る。
アインとウォリスも顔を上げて、ルゴンの指さす方を見た。
「あいつら」
ルクスが舌打ちする。
キリーブを小脇に抱えたコルエンが、ポロイスとともに、すでにだいぶ離れたところを歩いていた。先ほどライヌルが置いていった杖を、それぞれ手にしている。
ちょうどコルエンが、近付いてきた魔影を杖から放った魔法で薙ぎ払ったところだった。
「コルエン!」
ルクスが叫ぶ。
「お前、どこに行く気だよ」
「青だ」
振り返ったコルエンは答えた。
「青?」
ルクスが眉をひそめる。
「何が」
「俺の好きな色だよ」
コルエンはそう言って、自分たちの歩いていく先を指差した。
「だから、青の飛んでった場所だけはきっちり見届けた。向こうだ」
コルエンはにやりと笑うと、また歩き出す。
「拾ってくらあ」
「おい、勝手な真似するな」
ルクスは叫ぶ。
「ポロイス。らしくねえぞ、真面目なお前まで」
「すまんな、ルクス」
ポロイスは申し訳なさそうに振り返った。
「だが、僕も少しはみ出してみることにした」
「あぁ?」
ポロイスはそれ以上答えず、コルエンの隣に並び、歩き去っていく。
「おい、待て。僕は行くなんて言ってないぞ、お前ら」
コルエンの小脇に抱えられたキリーブがそう叫んでもがいた。
「そんな危ない戦いに、率先していくやつがいるか。離せ」
「いいからいいから。絶対面白えから」
そう言いながら、コルエンは歩幅を広げる。
「待て。考え直せ。くそ、僕の身長があと少し高ければ」
キリーブの叫び声が徐々に小さくなっていく。
「さすが3組」
アインが皮肉な笑みを浮かべてルクスを見た。
「実にまとまっているな、君たちは」
「あいつら」
ルクスはもう一度舌打ちした。
「どうする。連れ戻すか」
「いや、いい」
ウォリスは首を振った。
「2組だけでは駒が足りない。もともとコルエンたちには行ってもらうつもりでいた」
そう言うと、人差し指を立てる。
「これで、青は決まった。残りはあと八色だ」




