卒業試験
講堂には、もうほとんどの3年生が集まっていた。
遅れて入ってきたアルマークに、通路に足を投げ出すように座っていたコルエンがさっそく声をかけてくる。
「おう、アルマーク」
「やあ、コルエン」
「余裕だな」
からかうようにコルエンは目を細めた。
「ずいぶんゆっくりと昼飯食ってたんだな」
「コルエン、君だって知ってるだろ」
アルマークはコルエンを軽く睨む。
「僕にそんな余裕があるかどうかくらい」
「さあて」
コルエンはとぼけたように肩をすくめて口角を上げる。
「俺が知ってるお前は、いつでも余裕綽々の面してるけどな」
「それは買いかぶりだ」
アルマークは苦笑する。
「試験期間中はずっと生きた心地がしなかったよ。息も絶え絶えでやっと今日までたどり着いたんだ」
「嘘つけ」
コルエンは声を出して笑った。
「俺は知ってるんだぜ。ただの試験なんかじゃお前は余裕を失ったりはしねえって」
そう言って、笑顔を引っ込めてアルマークの顔を覗き込む。
「だってお前は、命のやり取りを知ってるからな」
「だから、買いかぶりすぎだってば」
アルマークは首を振る。
「冬の休暇前の僕を君にも見てもらいたかったな。そうすれば分かってくれただろうに」
「冬の休暇前と言えば、あれか」
コルエンは楽しいことを思い出した顔で、前の席の生徒の肩を叩く。
「ポロイス。アドバイス黒ローブ男にやられたのは、冬の休暇の前だったな」
「ああ、そうだ」
振り向きもせず、ぶっきらぼうにポロイスは答えた。
「そして、そんなことは今日の試験とは何の関係もない」
「ポロイスは今日も真剣だね」
アルマークが囁くと、コルエンはにやにやと笑いながら頷く。
「苦手なんだ、ポロイスは口頭試問が」
わざとらしく、コルエンはアルマークに囁き返す。
「頭が固えから」
「うるさい。聞こえているぞ」
ポロイスは振り向いてコルエンを睨んだ。
「君のように何でも適当に答えればいいというものじゃない」
「お前のように何でも難しく考えればいいってもんでもねえけどな」
コルエンは笑顔で切り返してから、アルマークを見た。
「まあ、そういうことだ。試験が終わったらまた遊ぼうぜ」
「うん、そうだね。楽しみにしてるよ」
アルマークは頷き、コルエンの席を離れた。
ルクスやロズフィリアにも手を挙げて挨拶してから、アルマークは2組の席に腰を下ろす。
前方にはアインたち1組の背中が見える。
「遅かったね。もう試験始まっちゃうよ」
隣に座っていたウェンディがアルマークに囁く。
「何かあった?」
昨日の今日だからだろう。その目に心配そうな色が浮かんでいた。
「大丈夫、何もないよ」
アルマークはそう言って、ローブの中に潜ませていたマルスの杖を足元にそっと置いた。
「途中でラドマールに会ったんだ」
「ラドマールに?」
目を瞬かせるウェンディを見て、アルマークは微笑む。自然と優しい表情になるのが自分でも分かった。
「魔法の試験、うまくいったって」
「ほんと? よかった」
ウェンディは嬉しそうに声を上げた。
それから自分の声の大きさに気付き、恥ずかしそうな顔で声を潜める。
「補習の成果だね」
「君に感謝してたよ」
アルマークは言った。
「お礼を言っておいてくれって」
「ラドマールが、お礼を?」
ウェンディはまた目を瞬かせる。
「よっぽど嬉しかったんだね」
「それもあるだろうけど」
アルマークは今しがた会ったばかりのラドマールの顔を思い出す。
「ラドマールは変わったよ」
ウェンディとしか口をきこうとしなかった、薬草狩りの夜。
小箱に秘められた闇の力を自分の力だと叫び、アルマークを殺そうとした、あの日のラドマールはもういない。
「最初に会ったときとは、もう全然違う。周りの力ももちろんあるだろうけど、闇払いの薬湯をとうとう飲み切った男だからね。意志が強いんだ」
「アルマークはラドマールのことになると、熱くなるね」
ウェンディはそう言って、アルマークの少し紅潮した顔を覗き込んだ。
「お兄さんみたい」
「本人はいつもすごく嫌な顔をするんだけどね」
アルマークは少し肩を落とす。
「まあ僕をどう思ってるかはともかく、このままいけばラドマールはきっとすごい魔術師になると思うよ」
「うん」
ウェンディは笑顔で頷く。
「アルマークが言うなら、間違いないね」
「……遅いな」
不意に、前方のアインが声を上げた。
「試験が始まるのが、遅すぎはしないか」
そう言って2組の席を振り向く。
「もうだいぶ待っている気がするぞ。ウォリス。君、何か聞いているか」
「いや」
2組のクラス委員は、金髪を揺らして首を振る。
「何も聞いていない。試験の準備に手間取っているんじゃないのか」
「口頭試問の準備にか? そんなに時間がかかるとも思えんが」
そう言いながら、アインは不機嫌そうに身を揺すった。
「こういうのは好きではないな」
「秀才の君らしくもない。最後の試験で神経質になっているのか」
ウォリスは気に留める風でもなく、そう答える。
「いずれにせよ、先生が呼びに来なければ試験は始まらない。ここで遅いと騒いでも仕方ないだろう」
「そんなことは言われなくても分かっている」
アインは顔をしかめて答えた。
「分かっているが」
それから、後方の席でがやがやと騒いでいる3組の席を睨む。
「うるさいぞ、3組。ルクス、静かにさせろ」
「なんだ、アイン。お前らしくもねえ。苛ついてるな」
3組のクラス委員のルクスはそう答えた後で、肩をすくめた。
「ま、うちがうるさいのは認めるけどな。おい、コルエン。キリーブ。黙らねえとクラス委員権限でお前らの試験、無効にするぞ」
「そんな権限、クラス委員にあるのか。初耳だぞ」
キリーブが抗議の声を上げた時、講堂の扉が開いた。
呼び出し役の教師が顔を覗かせたのを見て、生徒たちにほっとした空気と、試験がようやく始まるのだという緊張感が同時に流れた。
だが慌てた様子の教師は講堂の中に入ってくることなく、そこから生徒たちに呼びかけた。
「皆、聞きなさい」
教師は言った。
「森に突然、たくさんの魔物が現れた。今、先生方は皆、森で試験をしていた1、2年生の安全確保に向かっている。君たちは講堂から決して出ることなく、次の指示を待ちなさい」
それだけ言うと、教師は再び慌ただしく出ていった。
扉の閉まる音とともに、生徒たちが騒がしくなる。
「魔物が出たって?」
ネルソンが声を上げた。
「やばいじゃねえか。1年も2年も大丈夫かよ」
その言葉に、女子生徒たちも不安そうに顔を寄せ合う。
「こんなところにのんびり座ってる場合じゃねえ」
ネルソンはそう言って、周りの生徒たちの顔を見回した。
「俺たちも、助けに行った方がいいんじゃねえか」
「ここから出るなって言われたばかりだろうが」
トルクが鼻を鳴らす。
「俺たちが行ってどうなる」
「でもよ」
今にも立ち上がって出ていきたそうなネルソンに、ウォリスが声をかけた。
「ネルソン、落ち着け。軽々しい行動は慎もう」
その冷静な声に、不安そうにざわめいていた生徒たちも静かになる。
「先生方が向かっているのなら、戦力としては十分すぎるほどだ。下級生たちは大丈夫だ。僕らが行ったところでむしろ邪魔にしかならないだろう」
「そうだよ、ネルソン」
モーゲンが、穏やかにウォリスに同意した。
「大丈夫。先生たちは凄く強いから、魔物なんかいくら出たってへっちゃらだよ」
そう言ってモーゲンはアルマークを振り返る。
「ね、アルマーク」
「ああ」
アルマークは頷いた。
蛇の罠で現れた闇の魔物たちでさえも、イルミスやフィーアは単独で退けた。昼間の森に出る程度の魔物など、何体出たところで物の数でもないだろう。
「先生たちなら、大丈夫。僕らも保証するよ。ね、ウェンディ」
そう言ってウェンディを振り返ろうとしたとき、不意にアルマークは言いようのない違和感を覚えた。
世界が隔絶されたような、感覚。
見えない檻に閉じ込められたような。
一瞬の違和感が消えたのち、アルマークは信じられないものを見た。
自分の隣が、空席になっていた。
「生徒諸君」
壇上から聞き覚えのある芝居がかった声がした。
アルマークはとっさにそちらを振り向く。
翻る、灰色のローブ。
目を閉じてぐったりとした様子のウェンディ。すでに意識がないように見えた。
彼女を抱えた灰色のローブの男の名を、アルマークは叫んだ。
「ライヌル!」
ライヌルはアルマークを見て、笑みを浮かべる。
ウェンディの右腕には、いつの間にか腕輪が嵌められていた。
腕輪に付けられたいくつもの宝玉が怪しく輝く。
「すっかり待たせてしまったね」
ライヌルは言った。
「さあ、本当の卒業試験を始めようじゃないか」




