試験最終日
試験四日目。
この四日間の苦闘を締めくくる最終日だ。
だがすでに試験の山場を越えた生徒たちの表情は、心なしか明るい。
その前日の夜、ウォリスの部屋を訪ねたアルマークは、闇の襲来に対する懸念を彼に伝えていた。
「マルスの杖が、か」
ウェンディたちに話したのと同じ説明をしたアルマークに、ウォリスはそう返して薄く笑った。
「あれに闇の襲来を教えてくれる機能まで備わっているとは知らなかったな」
「そういう気がするっていうだけなんだ」
アルマークは目を伏せた。少女のことは言えなかった。
「だから、必ずというわけじゃないんだけど」
「それはいい」
ウォリスは手を挙げてアルマークの言葉を遮った。
「君が臆病者ではないことは知っている。試験の最終日前にこんなことをわざわざ僕に言ってくるくらいだ。君自身は相当可能性が高い話だと思っているのだろう?」
「……うん」
アルマークが頷くと、ウォリスは暗い目を細めて微笑んだ。
「いつ来るか分からないものを、いつまでも待たされるのも面白くない。早めに来てくれるならありがたいことだ」
まるで闇への恐れを感じさせず、むしろ楽しんでいるかのようなウォリスの様子に、アルマークはかえって眉をひそめた。
「来るとしても、何が来るのかは分からないんだ。ただ、とにかく大きな力だって」
「君に呪いをかけた、ライヌルとかいう魔術師か」
ウォリスは興味もなさげにその名を口にした。
「それとも、他の魔術師か、闇の魔獣か。まあせいぜいそのあたりだろう。構わない」
こともなげに、ウォリスは首を振る。
「その程度、どうということもない」
「君は構わなくても、他のみんなにはそうじゃない」
アルマークは厳しい顔で言った。
「とても危険な相手だ。心の準備もなく巻き込まれたりしないよう、君からみんなに伝えてもらえないか」
「学院長室まで乗り込んだんだ。心の準備ができていないなんて、そんな甘いことは言わせんがね」
ウォリスはちらりと酷薄な素顔を覗かせる。
「だが、まあいい。君のそういう気遣いは嫌いじゃない」
そう言うと、ウォリスはもう普段教室で見せるクラス委員の顔に戻っていた。
「みんなには、僕から言っておく。君は部屋に戻って明日の試験の準備をしろ」
まるでイルミスのようなことを言いながら、ウォリスはドアを閉めた。
「まだ三日目だ。試験はあと一日残っているぞ」
最終日の試験。
午前中は、筆記試験が行われた。
初日に行われた筆記試験の科目と違い、軽めの補助的な科目の試験だ。
それだけに、試験勉強の間に合わなかった生徒たちの中には、これらの科目の勉強時間を犠牲にしている者も多い。彼らは、さして重要ではないこれらの試験については、三日目までの主要科目の試験が終わってから詰め込もうなどと考えているのだ。
だが、その考えが甘いということは、毎年の卒業生たちの悲劇が証明している。
それでも最終日に失敗する者は後を絶たない。
今年も、筆記試験中にネルソンがおかしなうめき声を上げる一幕があり、アルマークは後でレイドーから
「やまが外れたらしいよ」
と聞かされた。
「大丈夫なのかい」
「まあ、一つくらい補習になっても卒業はできるさ」
レイドーは、心配そうなアルマークの顔を見て、涼しい顔で笑った。
校舎の食堂は今日も疲れた表情の生徒たちでごった返していたが、それでも明るい笑い声がそこかしこから聞こえてくるのは、試験の終わりが近いからだろう。
午後、三年生は三つのクラスの生徒全員が講堂に集合することになっていた。
卒業試験最後の難関、口頭試問が待っているからだ。
別室で行われる口頭試問試験が終わった生徒から、自分たちの教室に戻り、クラス全員の終了を待つ。
「教室に全員揃ったら、試験終わりだ。そうしたら、あとは」
先ほどの失敗も何のその、口いっぱいに昼食を頬張りながら、ネルソンが言った。
「お祭りだ。今日だけはマイアさんもうるさいこと言わねえから、談話室で騒ごうぜ」
「限度を過ぎたら、やっぱり怒られるけどね」
レイドーが冷静に補足すると、ネルソンは思い出したように笑う。
「そういや去年は、ジェビーたちが大騒ぎしすぎて、ウサギに変えられてたな」
「ウサギに?」
アルマークが目を見張る。
「どういうことだい」
「マイアさんの変化の術だよ。あのばあさん、実はすげえ魔術師なんだぜ」
「ただものじゃないのは知ってたけど」
アルマークは腕を組む。
「でも、なんでウサギなんだい」
「声がうるせえから、鳴き声の静かなウサギになれってさ」
ネルソンは楽しそうに言う。
「あいつら、しばらく変えられたまんまだったなぁ」
「何も知らない一年生の女子に、かわいいってだっこされそうになってね」
レイドーも少し意地悪そうな笑顔になって言った。
「必死に逃げてたよ」
その光景を想像して、アルマークも笑顔になる。
「それはジェビーも災難だったね」
「いい気味だぜ」
ネルソンが言う。
「まあ、今年はウサギに変えられねえように注意はするけどな」
「そうだね。頼むよ、ネルソン」
レイドーはもういつもの穏やかな顔で頷く。
「ウサギにされたら、しばらくウサギ小屋で飼うからね」
「それは勘弁してくれ」
いつもどおりの二人の会話。
二人とも、ウォリスから闇の危険の話は聞いているはずだが、アルマークにその話はしてこなかった。それどころか、聞いているという素振りさえ見せようとしない。
それは、他のクラスメイト達にしても同様だった。
しかし、決して知らされていないわけではないということは、アルマークにもうっすらと分かった。
こんなに重要な試験の最中にまで、そんな気遣いをさせてしまうことを、アルマークは申し訳なく思う。
だがそれとともに感じるのは、自分の友人たちに対する誇らしい気持ち。
二人の会話を聞きながら、アルマークは自分の胸がじんわりと温かくなるのを感じていた。
「よし。そろそろ講堂に行くか」
そう言ってネルソンが立ち上がる。
それに続いてアルマークとレイドーも立ち上がった。
校舎から出ると、下級生たちがぞろぞろと森の方へと歩いていくのに出くわした。
その中に見慣れた顔を見付けて、アルマークは声をかける。
「ラドマール」
返事もせずに、ラドマールが胡乱な目でアルマークを振り返る。
「みんなでどこへ行くんだい」
「森に決まってるだろ」
ラドマールはぶっきらぼうに答えた。
「森へ?」
アルマークが怪訝そうな顔をすると、ラドマールは顔をしかめた。
「3年のくせに知らないのか」
「ごめん。僕は今年来たばかりだから」
「ああ」
そうだったな、とラドマールは面倒そうに頷く。
「森で、試験官の指示に従っていろいろな場所を回って問題に答えたり実技をしたりする。1年と2年は最後はそういう試験になっているんだ」
「へえ」
2年生までは、まだあまり使える魔法がない。その分、いろいろな試験が用意されているのだろう。
「それじゃあ1年生も2年生もみんな森へ行くのか」
「面倒だ」
ラドマールは吐き捨てた。
「試験なんてものは、教室でやればいいじゃないか。いちいち森まで出かけてやる必要がどこにあるんだ」
「まあ、そう言わないで」
アルマークは微笑んだ。
「森なら、君は散々歩いたじゃないか」
「あの夜だけだ」
ラドマールは肩をすくめた。
「あれだって、道はザップに案内してもらったんだ。もう覚えていない」
「そんなことないさ」
アルマークは首を振る。
夜の薬草狩り。
夜の闇よりも濃い、邪悪な闇がはびこる森の中を、ラドマールたちは自分たちの感覚と勇気だけを頼りに歩き抜いた。
「あの日、君は自分の命を懸けた」
アルマークは言った。
「大丈夫。その記憶は、身体に刻み込まれているから」
「また訳の分からないことを」
ラドマールは嫌な顔をして身を翻した。
「もう行くぞ」
「ああ」
アルマークは頷く。
「がんばって」
「魔法の試験はうまくいった」
背を向けたまま、ラドマールは言った。
「補習のおかげだ」
「よかったじゃないか」
アルマークは顔を輝かせる。歩き出しながら、振り返らずにラドマールは言った。
「そう伝えておけ。ウェンディやセラハや、モーゲンたちに」
「ああ」
アルマークは笑顔で頷く。
「みんなに言っておくよ」
返事もせず歩き去るラドマールを見送り、アルマークは講堂へと足を向けた。




