最後の一人
生徒たちが次々に別室に呼ばれていく。
卒業試験三日目最後の、変化の術の試験。
この試験が終わった生徒はもう教室には戻ってこず、そのまま寮へと帰るので、教室の生徒の数はどんどんと減っていく一方だ。
「最後だよ、頑張ろうアルマーク」
モーゲンが、アルマークの肩を叩いて別室へと向かっていく。
トルクが、レイラが、ウォリスが、ネルソンやリルティが、次々に呼ばれていく。
教師に自分の名を呼ばれたウェンディは、アルマークに向かって胸の前で小さく握りこぶしを作ってみせると、教室を出ていった。
頑張って、ウェンディ。君ならきっと、本当の力を出せばウォリスにだって勝てる。
アルマークはウェンディの成功を祈る。
気付けば、もう生徒はほとんど残っていなかった。
ピルマンが呼ばれていき、教室にいるのはアルマークとデグだけになる。
そういえば。
アルマークは思い出した。
夏の試験でも、最後に残ったのは、僕ら二人だったぞ。
アルマークは、緊張しているのかいないのか、いつも通りの様子で足をぶらぶらと揺らしているデグの背中を見た。
確かあの時は、初めての魔術実践の試験で不安で仕方なくて、デグにつまらないことを言ってしまったんだった。
「デグ」
アルマークは呼びかけた。
「また僕たち二人が残ったね」
「ああ」
振り返ったデグはにやりと笑った。
「そういやそうだな。夏の試験も俺たち二人が残されたっけ」
「僕はあの時、君の得意な浮遊の術が、すごく羨ましかった」
アルマークは言った。
「まだ何も魔法が使えなかったから」
「それが今じゃ俺たちと一緒にばんばん魔法を使って」
デグはアルマークを見て笑う。
「すげえよな、アルマークは。たった一年で、とんでもねえ進歩だ」
「みんなが僕を受け入れてくれたからだよ」
アルマークは答える。
「僕も夏の試験の時は、まさか冬の魔術実践試験の最後をこんな気持ちで迎えるとは思ってもいなかった」
「おう。ということは」
デグは楽しそうに細い目を見開いた。
「今回の試験はいい感じってことだな」
「自分の基準では、の話だけどね」
アルマークは微笑む。
「みんなの補習のおかげさ」
「俺たちこそ、アルマークにはすげえ助けられたからな」
デグは気取りのない口調で言った。
「武術大会でも魔術祭でも大活躍だっただろ。アルマークのおかげでクラスがいい感じにまとまってさ。だから、何かしてやりてえと思ってたんだ。俺やガレインみたいな人間でも、力になれることがあってよかったぜ」
「そんなに謙遜する必要はないよ」
アルマークは首を振る。
「デグ。君もガレインも素晴らしい魔術師だ」
「そう呼ばれるのはまだちょっと早えかな」
デグが照れたように笑ったとき。
「デグ」
呼び出し役の教師が顔を出して、デグの名を呼んだ。
「君の番だ」
「はい」
デグは立ち上がり、もう一度アルマークに向かってにやりと笑った。
「じゃあな。最後頼むぜ、アルマーク」
「ああ。君も、頑張って」
デグが教室を出ていき、一人になると、アルマークはすでに真っ暗になった窓の外を眺めながら、身体の中に残る魔力を丁寧に練った。
デグに話した通り、夏の試験の時とはまるでかけ離れた、落ち着いた気持ちだった。
これから魔術実践試験の最難関、変化の術の試験が待っているというのに。
夏の試験のときは、とにかく魔力を練って何かしら魔法のようなものを使ってやろうということしか考えられなかった。それで、本番では危うく大きな間違いを犯しそうになった。
その時のことを思い出すと、今でも少し恥ずかしくなる。
でもそれも必要な過程だった、とアルマークは思う。
あの時の僕がいるから、今日の僕がいる。
大事なのは、歩みを止めないことだ。
今日の一歩が、明日の、未来の僕へと繋がっていく。
「アルマーク」
ようやく、呼び出し役の教師が顔を出した。
「待たせたね。君の番だ」
「はい」
アルマークは立ち上がった。
試験会場の教室に入ってきたアルマークを見て、ひとり待っていた灰色のローブの試験官は微かに頷いた。
「アルマークです」
アルマークは、声を張った。
「よろしくお願いします、イルミス先生」
イルミスは微かに表情を緩めた。
「君が2組最後の一人だな、アルマーク」
「はい」
アルマークは頷く。
「お願いします」
「うむ」
イルミスは、アルマークの傍らの床に無造作に積まれている練習用の杖を指差した。
「どれでもいいので、一本取りなさい」
「はい」
アルマークは返事をして一番上の一本を手に取る。
何度か握って感触を確かめ、イルミスに頷き返す。
「大丈夫です」
「そうか。それではよく見ていたまえ」
イルミスは右手を掲げた。その手の中に、小石があった。
「これだ」
そう言ってしっかりと小石をアルマークに見せると、イルミスは身を翻す。
部屋の奥に、イルミスの身長よりさらに二倍以上も高い、木の台が設えられていた。
その台の上に、大きな甕が一つ置かれていた。
イルミスはその台に近付いていく。
と、小石がふわりと浮きイルミスの手を離れた。石は台の上へと音もなく上がっていく。
アルマークが見守る中、小石はそのまま甕の小さな口に吸い込まれた。
ぼちゃん、と水の音がした。
「さて、試験を始めよう」
イルミスはアルマークを振り返った。
「君は、そこから一歩も動いてはいけない」
そう言って、アルマークの足元を指差す。その言葉に呼応して、そこに黄色い光の小さな円が描かれた。
「君が使ってもよいのは、変化の術だけだ」
イルミスは言った。
「君はそこから動いてはいけない。あの石や甕に対して魔法を使ってもいけない。無論、木の台に対してもだ。甕にも台にも傷をつけることなく、小石を甕から取り出して自分の手に握ることができれば、試験終了だ」
イルミスはそう言うと、壁際に下がった。
「説明は以上だ」
質問はあるか、とは聞かなかった。イルミスはそのまま淡々と宣告した。
「はじめ」
アルマークは大きく息を吸う。
焦ってはいけない。
まずは、しっかりと状況を確認しよう。
アルマークは努めて冷静に、その試験装置を見る。
高い木の台の上に置かれた甕。その中に入れられた小石。
そのどれに対しても、魔法をかけたり、傷をつけたりしてはいけない。
なるほど。
心の中で頷く。
甕を壊してもいいのであれば、この杖を思い切り投げて甕を叩き割るのが一番手っ取り早い。だが、それでは変化の術の試験にはならない。
小石や甕に魔法を使ってはいけないということは、こちらから取りに行くしかないわけだが、僕本人はこの円の中から出ることはできない。
ということは。
アルマークは手に握った杖を見た。
やはり、この杖を変化の術で何かに変えるしかないだろう。
変えるなら、動物がいい。そいつに小石を持ってこさせればいいんだ。
甕は、高い台の上にある。あそこまで上がるなら、犬や鶏ではだめだ。木に登れる動物でないと。
猫か、リスか。それとも、猿か。
だが、あの甕はずいぶん大きい。
水が張られているようだし、猫やリスはもちろん、僕が作れる程度の小さな猿では、底に沈んだ石まで手が届かなそうだ。
と、すれば。
龍。
先ほどのレイラの言葉がよぎり、アルマークはクワッドラドの大河で目にした水龍を思い出した。
龍なら、空を飛び、水に入り、小石を銜えて出てこられる。
いや。
すぐにその考えを打ち消した。
龍は、さすがに無理だ。
あれはマルスの杖を使ってさえ、ものすごい時間がかかってしまった。この限られた試験時間で作ることはできない。
「さて」
イルミスが、動かないアルマークに冷静な声で呼びかけた。
「どうするかね、アルマーク。降参かね」
「いえ」
アルマークは首を振る。
「やります」
「やるのであれば、もう始めなさい」
「はい」
返事をして、アルマークはもう一度、甕を見上げた。
高い場所。
水。
そうか。
そういうことか。
ようやくアルマークは、問題の意図を理解した。




