試験三日目
卒業試験も三日目となった。
毎年、初等部の三年生を最も苦しめるのがこの日だ。卒業生たちに聞き取り調査をしてみたとしたら、皆口を揃えて、初等部三年間で一番つらかったのがこの日だった、というだろう。
朝から晩までぎっちりと詰め込まれた試験日程。そのどれもが、気を抜くことのできない魔術実践の試験だ。
前日の魔術実践試験よりもさらに課題は複雑になり、単体の魔法だけでなく、それらを工夫して複合的に使用することが求められる。
出題される魔法の数が多いだけに、日程は非常にタイトだ。生徒たちの待機時間もほとんど無い。一つ終わればほっとする暇もなくすぐに次の会場へ向かい、そこが終わればまた次へ。
ろくに心の準備をする時間も与えられず、生徒たちは次々に魔術を披露する。
緊張や疲労で、本来の力を発揮できない生徒の数は前日よりもはるかに多い。
だが、教師たちは採点の手を緩めることはない。
奇しくも、前日にウォリスがアルマークに言い放った言葉が、試験における教師たちの採点姿勢でもあった。
すなわち、“この程度の疲労や緊張で発揮できなくなる力など、実力とは認めない”。
その魔法を身に付けた、と認められるには、どういう状況であれ使えるというところを示さなければならない。
中等部の生徒でさえ、もう二度とあの試験はやりたくない、とこぼすほどの厳しい試験。
それが、初等部卒業試験の三日目だった。
なぜ、ここまで厳しい試験を生徒たちに課すのか。
それは、初等部と中等部との間には、厳然たる違いがあるからだ。
初等部を卒業し、中等部に上がるということ。
そのことが持つ意味。
通う校舎が変わるというだけでも、制服に銀線が一本増えるというだけでもない。
中等部の生徒になるということはすなわち、社会から「魔術師」であると認められることだ。
中等部の生徒は、外部の人間に対し、「魔術師」と名乗ることが許される。
ノルク魔法学院の生徒の名乗る「魔術師」という称号は、外の世界の魔法の使い手たちが好き勝手に名乗る「魔術師」という呼称と同等ではない。
そこに込められる歴史と実績の重み。
世間の人々が向ける目に込められる、畏敬の念。
このノルク魔法学院において魔術師と認められることの責任の重大さ。
それが、この卒業試験の過酷さに現れていた。
午前の試験を終え、ようやく昼食になっても、一息つく暇もない。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた試験日程のせいで、昼休みの時間はいつもの半分もなかった。
生徒たちは追い立てられるように昼食をかきこみ、また午後の試験会場へと向かっていく。
アルマークもこの日の試験には苦戦していた。
前日の試験はウェンディの対策もあり、相当に落ち着いた状態で取り組むことができたが、今日はウェンディの想定を超える難易度の問題が出されていた。
それでもアルマークは何度かミスをしながらも、決定的な失敗だけはせずにここまで乗り切っていた。それはやはり、ウェンディを始めとするクラスメイト達の補習のおかげだった。
「あと半分だね」
校舎の食堂。
疲れた顔のモーゲンが、それでも人の倍くらいの量の昼食をかきこんで立ち上がる。
「頑張ろう」
「そうだね」
アルマークも頷いて立ち上がった。
「ここまで来たんだ。あと少し」
「今日さえ終わっちまえば、明日は筆記の残りと口頭試問だけだ。もう勝ったも同然だぜ」
アルマークの横でネルソンが相変わらず元気な声を響かせる。
隣でレイドーが苦笑した。
「そう言って、去年も四日目の科目で補習に引っかかったんだよね」
「それは言うな、レイドー」
ネルソンの声に、通りかかったノリシュが呆れた顔を見せる。
「ほんとにあんたはいつも元気ね」
「俺はしっかり食ってるからな」
ネルソンは快活にそう言って立ち上がる。
「ノリシュ。お前もあと少し、頑張れよ」
急にそんなことを言われて、ノリシュは戸惑ったように顔を赤くした。
「な、なによ急に」
「だって試験に失敗したら中等部に行けねえんだぜ」
ネルソンは真剣な顔で言う。
「そんなの寂しいじゃねえか」
「ちょっと」
ノリシュはますます顔を赤くする。
「こんなところで何言い出すのよ」
「いや、だってよ」
ネルソンは真剣な顔でノリシュを見つめた。
「中等部でジェビーに会ったときに、あれを見舞ってやらねえといけねえからさ」
「ジェビー?」
ノリシュが眉をひそめる。
「あれを?」
「クラン島の度胸試しで、お前が俺に食らわしたあのパンチだよ」
ネルソンはその時の痛みを思い出したように顔をしかめた。
「すげえパンチだったもんな。あれは初等部で終わらすには惜しいぜ。絶対ジェビーの野郎にもぐわっ」
ノリシュに肩を思い切り殴られ、ネルソンは悲鳴を上げた。
「いってえ! 何すんだよ」
「お腹じゃなくて肩にしてあげただけ感謝しなさい」
ぷんぷんと怒ったノリシュが足音荒く去っていくと、ネルソンは首をひねってアルマークたちを振り返る。
「何怒ってんだ、あいつ」
「いや、今のは君が悪いよ、ネルソン」
レイドーがネルソンの肩を叩いて歩き出す。
アルマークもそれに続いた。
「ネルソン、確かにあれはいいパンチだったけど、何度も再現するのは無理じゃないかな」
「アルマーク。多分そういうことじゃないと思うよ」
モーゲンがそう言いながら、それに続く。
「お、おい。待ってくれよ」
ネルソンが慌てて三人の後を追った。
午後の試験も熾烈を極めた。
だが、アルマークたち2組の生徒たちは皆、それぞれに全力を尽くした。
「去年はこの辺で具合の悪くなった生徒が数人いたんだがな」
呼び出し役の教師が、2組の面々の表情を見て、意外そうに目を見張る。
「今年はみんな、目がしっかりしているな。大したものだ」
「先生、こう見えても俺たちは修羅場を潜り抜けて来てますから」
ネルソンがそう言って胸を張った。
「試験くらいじゃへこたれませんよ」
その言葉にノリシュがリルティと顔を見合わせて首を振る。
「頼もしい言葉だね」
教師は頷いてネルソンに手招きをする。
「次の試験は君からだよ、ネルソン」
「えっ」
ネルソンが目を丸くして固まるのを見て、くすくすと笑い声が上がった。
「ここで笑い声が出るクラスというのも珍しい」
教師は微笑む。
「本当に今日まで厳しい経験を積んできたようだね」
それから、歩み寄ってきたネルソンの肩を叩いた。
「さあ、ネルソン。実力を見せてもらおう」
「はい」
ネルソンが開き直った顔で頷いた。
生徒たちの体力と魔力、精神力を削ぎ落しながら厳しい試験は進み、いよいよ魔術実践最後の科目、変化の術の試験の時間となった。
この試験で今日は終わりなので、受け終えた生徒から順にそのまま寮に戻る。
全員が待機場所の教室に入ったときには、窓の外はすっかり夜になっていた。
「いよいよ変化の術ね」
背後からそっと声を掛けられて、アルマークは振り向いた。
「レイラ」
アルマークはその整った冷静な顔を見上げた。
過酷な試験をここまで続けて来て、アルマークはもちろんのこと、ウェンディもネルソンもモーゲンやレイドー、ノリシュたちにしても、皆それぞれに疲れた表情を見せていた。
その中で、ウォリスは別格としても、ほとんど全くと言っていい程に疲れを表に見せていない生徒がレイラだった。
その普段とまるで変わらぬ冷静な振る舞いは、体力的にも精神的にも追い詰められている今の状況を考えれば、驚異的と言ってよかった。
だが、それも当然なのかもしれない。
レイラの目標とする試験が、この卒業試験よりもさらに遥か高みにあるということは、アルマークも知っていた。
私は毎日の練習を、いつも試験だと思っている。
レイラは以前アルマークにそう言った。
日頃からの、その心構え。
やはり、差というのは、圧倒的な才能からばかり生まれるわけではない。小さな積み重ねからもこうしてはっきりと生まれるのだ。
「君はまるで疲れていないように見えるよ」
アルマークは言った。
「日頃からの訓練の賜物だね。さすがだ」
「疲れているわよ、私も」
レイラは薄く笑う。
「ただ、こんなところで疲れている場合じゃないという気持ちの方が強いだけ」
「すごいな」
アルマークは尊敬の念をもってレイラの美しい顔を見た。
「君はいつも高いところを見ている」
レイラは小さく首を振ると、改めてアルマークに目を向ける。
「変化の術はうまくできそう?」
「ああ」
アルマークは頷く。
「君が教えてくれたんだ。しっかりと成功させてみせるよ」
「そうね。私も」
レイラは口元を微かに綻ばせた。
「変化の術を使うときは、あなたの作った龍がいつも頭をよぎるの。だから、そのイメージに引っ張られないようにするわ」
「僕の龍」
アルマークが目を瞬かせる。
「あの水龍かい」
「ええ。試験が終わったら」
レイラはそう言いながら、身を翻した。
「もう一度見せてね」




