帰り道
模声の術の試験を終えて、他の生徒たちの待機している教室に戻ってきたキュリメの表情が、思いのほか明るかったので、緊張と疲労で沈んでいたクラスメイトたちの雰囲気も少し明るくなった。
「うまくいったんだね」
すぐに歩み寄ったアルマークがそっと囁くと、キュリメは恥ずかしそうに頷いた。
「もらったお菓子を食べてたら、熱くて焼き立てみたいだったでしょ。それでなんだか試験を受けてる感じがしなくなっちゃって。いつも通りにできたの」
そう言って、申し訳なさそうに周囲を見回す。
「みんなに迷惑かけちゃった。後でちゃんとお礼を言わないと」
「寮に帰ってからでいいと思うよ」
アルマークは笑顔で答える。
「今日もあと少し、頑張ろう」
「うん」
キュリメは頷いた。
「本当にありがとう、アルマーク」
「今回は本当に、僕は何もしていないよ」
アルマークは笑顔のままそう答えて、キュリメの席を離れた。
ようやくその日の試験行程が全て終わり、生徒たちが疲れた身体を引きずって校舎を出たのは、既に夜中と言ってもいい時刻だ。
寮では特別に、まだこの時間でも3年生のために夕食を残しておいてくれているが、それでも管理人のマイアは、延長した時間を少しでも過ぎれば容赦なく学生を追い立てて食堂を閉めてしまう。
「ここで夕飯を食い逃したら明日に響くからな。早く帰らねえと」
ネルソンがそう言って、レイドーの肩を叩いた。
「急ごうぜ、レイドー」
「ああ」
普段は冷静なレイドーも、今日はネルソンの言葉に同意して、忙しなく夜道を歩きだす。
「夕食抜きになったら、明日はみんな今日のキュリメみたいになっちゃうからね」
「魔術師はしっかり食べてなんぼだからな」
ネルソンは頷く。
「今日は俺、すげえ食うぞ」
「君のそのどんな時でも前向きな姿勢が、試験中は本当にありがたいよ」
二人が寮へと続く闇の中に消えると、その後を、モーゲンとバイヤーが歩いてくる。
二人とも疲れた顔で、ぼそぼそと話をしている。
「こんな時間までかかるなら、一回夕食を挟むべきだと思うんだよね」
暗い顔でモーゲンが言った。
「試験を受けてる途中で、お腹が空いて目が回っちゃうよ」
その言葉に、バイヤーが頷く。
「特に君の場合はそうだろうね。他の人よりもたくさん食べないといけないから」
「どうしてだろうな。僕もリルティくらい少食に生まれたらよかったのに」
「疲れてるね、モーゲン。今、何も考えないで喋ってるだろ」
バイヤーはモーゲンを横目で見る。
「君、とんでもないことを言ってるよ」
「え、ほんとかい」
モーゲンは覇気のない顔でバイヤーを見返した。
「僕、何て言ってたかな」
「少食になりたいって」
「ははは」
モーゲンは力なく笑う。
「そんなこと僕が言うわけないでしょ」
「ほら、やっぱり」
猫背の二人が消えた後に、男子と女子の珍しい組み合わせのグループが続いた。
「よかったね、キュリメ。模声の術、うまくいったんでしょ」
セラハが明るい声で言うと、キュリメは恥ずかしそうに頷く。
「うん、みんなに心配してもらって、申し訳なくて」
「私はちょうど先生に呼ばれちゃったから、見てないんだけど。トルクが助けてくれたんでしょ?」
セラハがそう言って隣を歩く男子三人組を見ると、仏頂面のトルクの代わりにガレインが力強く頷く。
「うまそうな匂いだった」
「いいよな。俺も食いたかった」
その時にはすでに試験を終えていたデグが、嬉しそうに口を挟む。
「本当においしかったの」
キュリメが頷いた。
「もう、何も喉を通らないと思ったのに」
「モーゲンが持ってきた菓子がうまかっただけだろ」
トルクは前を向いたまま、つまらなそうに言う。
「あっためりゃ、いい匂いになるに決まってる」
「でも、急にそんなこと思いつかないよねぇ」
セラハが感心したように首をひねる。
「その場でぱっと、そんなことできないよ。とりあえず私には思いつかない」
「よせ」
トルクはセラハの率直な誉め言葉に、居心地悪そうに肩を揺する。
「アルマークの野郎が無茶苦茶なことを言い出したから、耳障りだっただけだ」
「え?」
セラハが楽しそうに目を瞬かせる。
「アルマークなら、何かやってくれるんじゃないかと思ってたんだ。何を言ったの」
「あの、僕が水を流し込んであげるからとりあえず口に入れろって」
キュリメが申し訳なさそうに言う。
「ええ?」
セラハが目を丸くすると、キュリメは慌てて手を振る。
「ふざけて、とかじゃないのよ。アルマーク、すごく私のことを考えてくれて、それで」
「アルマークらしいな」
デグが笑い、トルクが、ふん、と鼻を鳴らす。
「試験中に、うるせえったらねえ」
「ごめんなさい」
キュリメが小さくなり、あはは、とセラハが明るく笑った。
「でもよかったね。そのおかげでトルクが出て来てくれたんだもの」
「だから、そういうのじゃねえよ」
トルクの苦々しい声とともに、5人のグループが歩き去ると、それに続くようにノリシュの元気な声が響いた。
「ほら、リルティ。早く早く」
「待って」
リルティが必死な顔で駆けてくる。
「待って、ノリシュ。暗い、怖い」
「本当に、あなたは」
ノリシュが微笑む。
「歌を歌うときはあんなに勇敢なのに。ちょっと暗くなっただけでどうしてそんなに怖いの」
「だって」
リルティはノリシュに駆け寄ると、その腕に自分の腕を絡ませる。
「怖いものは怖いんだもの」
「怖くないわよ、ほら」
ノリシュがそう言って校舎の出口を指差す。
ちょうどそこから3組の生徒たちがぞろぞろと出てくるところだった。
2組の生徒たちに少し遅れて試験が終わったらしく、こちらも皆一様に疲れた顔をしている。
「見ろ、夜だ。今日はもう終わった。過ぎ去った今日に意味はない。僕は明日を生きる」
「いいぞ、キリーブ。明日になったらまたその明日を生きろ」
「うるさい、貴様、それはどういう意味だ」
「やめろ、二人とも。無駄な体力を使うな」
元気に大声を上げている3組の男子たちを見て、ノリシュはリルティに囁く。
「ね、賑やかになったでしょ。怖くなくなった?」
「う、うん」
リルティは複雑な顔で頷く。
「でも3組が来たら食堂が混んじゃう」
そう言って、ノリシュの腕を引っ張る。
「早く帰ろう、ノリシュ」
「はいはい。あなた、そういうところはしっかりしてるわよね」
連れ立った二人がそれぞれの手に灯の術の炎をともし、仲良く闇の中に消えていくと、その後を賑やかに騒ぎながら3組の生徒たちが続いた。
「ああ、出遅れちゃったね」
校舎から顔を覗かせたウェンディが3組の生徒たちの背中を見て、慌てて振り返る。
「早く帰ろう、アルマーク」
「うん」
頷いたアルマークも、空を見上げて苦笑した。
「星が良く見える。もうこんな時間か」




