相談
その日の試験の終盤、ちょっとした出来事があった。
風切りの術以降、徐々に調子を取り戻して本来の力を発揮し始めたモーゲンとは対照的に、少しずつ調子を崩し始めた生徒がいた。
キュリメだ。
モーゲンほどはっきりとした形ではないが、その魔法に明らかなミスが目立つようになっていた。
彼女の顔色が優れないことに、アルマークも気付いていた。
模声の術の試験は、個別に別室で実施される。
名前を呼ばれたウェンディがアルマークに小さく手を振って別室に入っていく。
心の中でウェンディの成功を祈っていたアルマークに、隣に座るレイドーがそっと囁いてきた。
「モーゲンは持ち直してきたけど、今度はキュリメが良くないね」
そう言うと、爽やかに笑って付け加える。
「まあ、僕も人の心配ができるほど出来がいいわけじゃないけどね」
「それは僕が言うべき台詞だけど」
アルマークは頷く。
「確かにキュリメは、さっきの風曲げの術もちょっと危なかったね。成績が悪いだけなら仕方ないけど、この試験の場合は」
「そう」
レイドーは頷く。
「中等部への進級がかかってるからね。できれば不本意な形では終わってほしくない」
「そうだね」
「具合でも悪いのかな」
レイドーの言葉に、アルマークは後方の席に座っているキュリメをそっと振り返った。
緊張した表情でうつむいているキュリメをちらりと見て、すぐに前に向き直る。
「緊張はしているみたいだけど、どうだろう」
アルマークはそう答えてから、落ち着いた様子で座っている金髪のクラス委員に目をやった。
「ウォリスに相談してみようか」
「ウォリスに?」
レイドーが意外そうに眉を上げる。
「どうして?」
「だって、ほら。劇の台本をキュリメに任せた時も、キュリメのことが分かってるみたいに当てたじゃないか」
「ああ……」
レイドーは思い出したように頷いた。
「そういえば、そうだったね」
「キュリメのどこが良くないのか、聞いてみようかな」
「どうかな。やめておいた方がいいかもしれない」
レイドーはやはりそう言って、曖昧な表情で首を傾げる。
「どうしてだい」
「試験の時はね」
レイドーは言った。
「ウォリスは結構厳しいんだ」
「そうなのかい」
アルマークはもう一度ちらりとウォリスを見てから、改めて後方のキュリメに目をやった。
やはり、顔色が少し良くない気がする。
レイドーの言う通り、勉強のし過ぎで体調が良くないのだろうか。
模声の術の後も、今日の試験はまだ残っている。卒業試験は外が暗くなってもなお続くのだ。
キュリメのことだから筆記試験の出来は良かったはずだが、魔術実践は最重要の科目だ。
このまま不調が続くと、順位はともかく、進級が危ぶまれてくるかもしれない。
「やっぱり、言ってみるよ」
アルマークがそう言うと、レイドーは、君がそう言うなら止めないけど、と頷く。
アルマークは立ち上がってウォリスの席へ歩いた。
「ウォリス」
そっと声をかけると、ウォリスはアルマークを一瞥して、どうした、とそっけない声で答えた。
「待機中も試験時間とみなすと言われていたはずだ。静かにしていろ」
「うん、ごめん。実はキュリメのことなんだけど」
アルマークは囁く。
「顔色が良くないように見えるんだ。体調が悪いのかも」
「卒業試験であれだけ失敗もすれば、顔色も悪くなるだろう」
ウォリスはあくまでそっけない。
「クラスメイトを助けたいという君の気持ちも分かるがな。アルマーク」
ウォリスはそう言って、アルマークをじろりと見た。
「だが、試験は試験だ。君やネルソンはさっきもモーゲンに手を貸したが、僕はああいうことはあまり感心しない」
「実力を出してほしいだけなんだ」
アルマークはきまり悪そうに言った。
「手助けというか、みんなにちゃんと本当の力を発揮してほしくて」
「それは彼ら一人一人が自分で考えることだ」
ウォリスは突き放した口調で答える。
「この程度の緊張感で出せなくなる程度の力は、実力と呼ぶに値しないと僕は思うがね」
そう言った後、黙ってしまったアルマークを見て、ウォリスは不意に普段は見せないいたずらっ子めいた表情を見せた。
「と、まあ正論はこの程度にしておくか。君に、試験の最中に他の生徒の心配をする余裕があるとは恐れ入った」
目を瞬かせるアルマークを楽しそうに見て、ウォリスは囁く。
「手は貸さんが、アドバイスはしてやろう」
「アドバイス?」
「どう活かすかは、君次第だ」
ウォリスはそう言って、にやりと笑う。
「一つ。キュリメは午前の苦手な武術試験で失敗してひどく落ち込んだ。二つ。午後からも彼女にとっては苦手の実技試験が続く。三つ。彼女は午後、時間が経つに従って徐々に調子を崩してきた」
そう囁くと、ウォリスは前を向いた。
「後は、自分で考えたまえ」
要領を得ない顔のアルマークを、手で追い払う仕草を見せる。
「ほら、席に着け」
「ありがとう、ウォリス」
アルマークは小さく頭を下げて、自分の席に戻った。
「どうだった?」
レイドーがそっと聞いてくる。そこにはいつの間にかセラハの姿もあった。
「レイドーの言ったとおり、ウォリスはキュリメを手助けすることにあまり賛成ではないみたいだけど。でもいくつかアドバイスをくれたよ」
アルマークはそう答えて、ウォリスの言葉を二人に伝える。
「どういうことだろう。僕にはよく分からなくて」
「わざわざ言われなくても、分かってることばかりという気もするね」
レイドーが呟く。
「だからこそ、僕らもキュリメの心配をしていたわけだし」
「僕もそう思うよ」
アルマークは頷く。
「でも、わざわざウォリスが口にしたからには、きっと何か意味があると思うんだ」
「確かに武術の試験の後は、キュリメ、すごく落ち込んでたから」
セラハが思案顔で言った。
「私も声をかけづらかったわ」
デグが名前を呼ばれて別室に入っていく。待っている生徒の数が少しずつ減っていく。
「お昼も要らないって部屋に戻っちゃって……」
そう言いかけて、セラハが目を大きく見開いてアルマークを見た。
「……お昼?」
「え?」
アルマークはその顔をきょとんと見つめ返す。
「お昼がどうかしたかい」
セラハは真剣な顔で声を潜める。
「あの子、お腹空いてるんじゃないかしら」
「え?」
アルマークは意外な言葉に、思わずちらりとキュリメを見た。
思いつめたような表情で、顔色も悪く、とてもお腹が空いているようには見えない。
「いや、まさか」
アルマークは首を振る。
「あんなに緊張していたら、そもそも食欲なんてないんじゃないかな」
「食欲はないかもしれないけど、身体は食事を求めてるのよ」
セラハは言った。
「だって、魔術の試験なんだもの」
その言葉を、レイドーが引き継ぐ。
「確かに、魔力を練るのに必要なのは精神の集中と身体に宿る生命力だからね。本人が気づいていなくても、身体に力が足りないのかもしれない」
「そうか」
アルマークは頷いた。
「食事が足りていないから、身体の中でうまく魔力が練れていないのかもしれないってことだね」
「ええ。それに、魔力のコントロールにも影響するし。午前の失敗に落ち込んで、お昼を抜いたものだから、午後の試験で時間が経つにつれて少しずつ魔法が乱れてきたのよ。うん、そうに違いないって思えてきた。あの子、お腹空いてるのよ」
セラハの言葉に、アルマークはもう一度頷く。
確かにそれなら、ウォリスのくれたアドバイスとも矛盾しない。
「よし、そういうことなら」
アルマークは素早く立ち上がると、モーゲンの席に歩み寄った。
「モーゲン」
「アルマーク、どうしたんだい」
顔を上げたモーゲンに、アルマークは囁く。
「君、お菓子持ってるかい」
「大事な試験中に、なんてことを聞くんだい」
モーゲンは顔をしかめた。
「持ってないわけないじゃないか」
「さすが」
アルマークは微笑む。
「少し、それを分けてくれないか」




