試験二日目
「どーん!」
アルマークの裂帛の気合とともに、彼の目の前に浮いていた石が音を立てて割れた。
「よし」
イルミスが頷く。
「次。ガレイン」
ガレインは頷いて、腕を大きく振る。
風切りの術。
ガレインの腕から放たれた風の刃が、ガレインの目の前の石を割る。
「よし。次、ノリシュ」
「はい」
ノリシュが自信に満ちた表情で腕を突き出すと、石は音もなく二つに切断された。
「うむ」
磨かれたようにきれいな切断面を見て、イルミスが頷く。
「次。ネルソン」
「はい!」
元気よく返事をしたネルソンは、思い切り手を突き出した。
「どーん!!」
元気な声とともに、石が真っ二つになる。
「いいぞ」
イルミスは頷く。
「次。モーゲン」
「はい」
緊張で青い顔をしたモーゲンが頷いて、腕を突き出した。
イルミスの顔が曇る。
宙に浮いていた石は、モーゲンの起こした風に煽られたようにぐらぐらと揺れた。
「あっ」
焦ったモーゲンが、慌ててもう一度腕を突き出す。
だが、逆効果だった。石は風に吹き飛ばされて、床に落ちた。
静まり返った魔術実践場に、石が転がる鈍い音だけが響く。
「緊張しているな、モーゲン」
イルミスは眉をひそめて、そう言った。
「だが、アドバイスはしないぞ。これは試験だからな」
「はい」
青い顔でモーゲンは頷く。
「分かっています」
「よし。もう一度だ」
イルミスの言葉と同時に、床に転がっていた石が浮き上がり、モーゲンの目の前まで飛んでくるとぴたりと止まった。
「さあ」
イルミスは厳しい表情で言った。
「この石を切りたまえ、モーゲン」
初等部卒業試験の二日目。
午前中は、武術や薬湯の実技試験が行われた。
武術の型を正確にこなすアルマークを見て、武術教官のボーエンは興味深そうに目を細めた。
「夏季休暇前の試験では、君の型は、野生の狼が無理やり飼い犬の真似をしているかのようだったが」
そう言って、実技を終えたアルマークの肩を叩く。
「今の君は、すっかり自然だった。型をきちんと自分のものにしていたな」
その言葉に複雑な顔をしたアルマークを見て、ボーエンは快活に笑う。
「あまり嬉しくないんだろう。顔に出ているぞ」
「いえ、そんなことは」
アルマークは首を振るが、ボーエンは笑顔で続ける。
「君の気持ちは分かるぞ。なんだか自分が弱くなったんじゃないか、とそんな気がするんだろう」
まさか、南の人間にそんなことを言われるとは思わなかった。
目を瞬かせるアルマークを見て、ボーエンは苦笑した。
「俺も武術を生業にしてきた人間だ。君が北で目にしたような本物の戦士とは違うかもしれんがな」
そう言って、アルマークの持つ剣に目をやる。
「それでも、俺もこの年になるまで、剣のことばかりを考えて生きてきた。だから、分かる」
その目が穏やかに細められるのを、アルマークは黙って見つめた。
「技術が洗練されると、かえって尖っていたものが失われたような気になる。穏やかに角の取れていく自分を、無性に物足りなく感じる。強さからどんどんと乖離していっているような気持ちになる」
ボーエンはそう言いながら、アルマークの手からそっと剣を取りあげる。
「かつての自分を取り戻そうと、わざと荒っぽくやってみたりもする。だがな、アルマーク」
不意に、ボーエンが腰を落とした。
その目が、虚空の見えない敵をぴたりと見据える。
次の瞬間、ボーエンの剣が、まっすぐにそれを貫いた。
一切の迷いも、無駄もない動き。
北の傭兵の息子であるアルマークの目から見ても、それは美しい剣技だった。
「それも、強くなるための一過程だ」
ボーエンは微笑んで、アルマークを見た。
「君が自分の目標をどこに置いているのかは知らないが」
そう言って、ボーエンは剣を再びアルマークに握らせた。
「君は正しい方向に向かって進んでいるよ、アルマーク」
アルマークがセリアの薬湯の試験もどうにか乗り越えることができたのは、やはりなんといってもバイヤーのおかげだろう。
授業や書物で勉強した薬草の知識よりも、バイヤーが披露してくれた薬草の知識のほうがずっと印象に残っていた。
バイヤーの補習の始まる前や、グリーレストの試練の後、空っぽになった魔力を補充するために。
はたまた、クラン島の砂浜で、闇の魔術師への反撃の狼煙を上げるために。
様々な場面でバイヤーが飲ませてくれた、自作の薬湯。
その成分について、バイヤーはいつも実に楽しそうに語ってくれた。
彼の言葉の一つひとつが、アルマークの心に刻み込まれ、授業や書物で学んだ知識と結びついて、いつの間にか実践的な力となっていた。
ありがとう。
アルマークは心の中で感謝した。
バイヤーだけではない。
苦しい戦いの後、いつも薬湯を飲ませてくれたセリア先生。
アルマークを心配して、自作の薬湯を飲ませてくれたレイラ。
とっくに身体から流れ去ってしまったはずのそれらの薬湯の成分が、自分の身体にまだ残っていて、力を与えてくれているような気がする。
ああ、アインの言う通りだな。
アルマークは理解する。
僕の過ごしてきた一年間に、答えは散りばめられていた。
この学院で出会った、全ての人が僕の先生だった。
午後から始まった魔術実践の試験は、翌日までまたがる大掛かりなものだ。
習った魔法一つひとつについて、課題が出題される。それを達成するには、単にその魔法が使えるというだけでは足りない。
速度、威力、正確性、様々な要素が必要となった。
習った魔法の数が膨大なだけに、出される課題の数もまた膨大だ。
夏季休暇の時とは比べ物にならない、本格的な魔術の試験であった。
だが、試験を受けるアルマークは、自分でも驚くほどに落ち着いていた。
確かに細かい点を見れば、クラスメイト達に見劣りする点は多々あった。
何度か失敗もした。
だが、初等部三年生として振るうには十分な魔法を、アルマークは使っていた。
自分でも、その自覚があった。
だからこそ、落ち着いて臨むことができた。
その自信はどこから来ているのか。
もちろん、個々の魔法の精度については、イルミスとクラスメイト達の補習によって鍛えられていたということもある。
しかし、こと、この試験に限れば、ウェンディの助けが大きかった。
アルマークとの補習でウェンディが準備してくれた、試験の想定問題。
それが、まさに模擬試験としての役割を果たしたのだ。
もちろん、そっくりそのままとは言わないが、ウェンディが出してくれた問題のエッセンスは、本番の試験と共通していることが多かった。
これは、やったことがある。
これも、やったことがあるぞ。
初めて与えられた課題にも関わらず、アルマークはまるで復習をするように対処することができた。
ありがとう、ウェンディ。
ありがとう、みんな。
深く感謝しながら、アルマークは課題をこなしていく。
この試験に、確かな手応えを感じていた。
だが、一つ気がかりなことがあった。
課題は、一人ひとりが別室に呼ばれて実施することもあれば、全員で並んで順番に実施することもあった。
全員で実施するときには、必然的に、クラスメイト達の魔法も目にすることになる。
ウェンディやレイラの正確な魔法。トルクやネルソンの豪快な魔法。ノリシュやリルティ、レイドー、セラハ。皆それぞれに実力を見せている。
全てにおいてそつのないウォリスの魔法は、底が知れなかった。
だがその中で一人、どうにもぱっとしない生徒がいた。
モーゲンだ。
クラン島の砂浜での、あんなに頼もしかった姿が嘘のように、この日の試験でモーゲンは初歩的なミスを繰り返していた。
どうしたんだ、モーゲン。
君の力はそんなものじゃないだろう。
見ていることしかできないアルマークは、歯がゆかった。
すぐにでも駆け寄って声を掛けたかったが、試験中ではそれもできない。
今また、風切りの術を失敗したモーゲンが、イルミスにやり直しを命ぜられて、真っ青な顔で頷いていた。
モーゲン、君らしくもない。
しっかりするんだ。
アルマークは唇を噛んだ。




