味方
コルエンたちと別れて自室の前に戻ったアルマークは、誰かが廊下の壁にもたれかかっているのを見付けた。
「アインじゃないか」
アルマークはその少年の名を呼ぶ。
「どうしたんだい。僕に何か用か」
「ああ」
アインは頷いて身を起こした。
「試験中だからな。時間は取らせない」
そう言って、アルマークの部屋のドアを親指で示す。
「少しだけ、いいか」
「いいよ」
アルマークは頷いて、ドアを開ける。
「おもてなしはできないけど。どうぞ」
「相変わらずの部屋だな」
アインは入ってくるなり、室内を見回して遠慮のない声を上げた。
「ここに来て一年になるのに、ほとんど物が増えていない」
「前にも言ったかもしれないけど」
アルマークは答える。
「僕は自分で持ち運べるくらいしか、物は持たないんだ」
「そのあたりは変わらないな」
アインは微笑んで、ベッドに腰を下ろす。
「いつでも北に旅立てそうだ」
「一つの場所にこんなに長く暮らすのは初めてなんだ」
アルマークは答えて、椅子に腰を下ろした。
「だから、どうしていいか分からないところもあってね」
「ああ。君は旅の鍛冶屋の息子だからな」
アインは真面目な顔で頷く。
「それはそうだろうさ」
「それでも、せっかくこの部屋にも馴染んだところだったんだけど」
アルマークはそう言って室内を見回した。
「中等部になったら、寮が変わるんだよね」
「ああ」
アインは頷く。
「中等部の校舎の近くに、中等部の寮がある。部屋が多少は大きくなる。みんな、もっと身体が大きくなるからな」
「そうか。次は二人部屋だといいな」
その言葉に、アインはにやりと笑う。
「君と一緒の部屋になった人間は幸運だな。部屋を広く使える」
冗談めかしてそう言った後で、アインは表情を改めた。
「本題に入ろう」
その言葉に、アルマークは椅子に座り直してアインの顔を見返す。
「うん」
「この間、2組の連中が全員で大挙して、学院長室に押し掛けただろう」
アインの言葉に、アルマークは目を瞬かせた。
「知ってたのかい」
「当たり前だろう。あれだけ大人数が一度に動けば、いやでも僕の耳に入る」
アインは呆れたように言う。
「先日の、クラン島から帰ってきたときの君の様子といい、何か大きな動きがあったということくらいは簡単に推測が付く」
そう言って、鋭い目でアルマークを見た。
「何があった」
「ええと」
アルマークが言い淀むと、アインは眼光をわずかに緩める。
「できれば僕にも教えてほしいものだな。同じ生死の境をくぐり抜けた者同士として」
アインの言うことにも一理あった。
図書館での罠に遭遇した後、アルマークは生死を共にしたアインにその時までに分かっていたことを話していた。
自分が、“暗き淵の君”に連なる闇の勢力に命を狙われたこと。
その理由が、自分の持つマルスの杖にあること。
だから、アインもアルマークの事情を全く知らないわけではないのだ。
「うん」
アルマークは頷く。
それでも、アルマークはためらった。
あの時とは、もう事情が変わっていた。
「君が信用できないというわけじゃないんだ。ただ、これはもう僕一人の問題じゃないから」
アルマーク一人が、アインを信用しているから、というだけではすまないことだった。
クラン島での出来事も、狙われたのはアルマークだが、しかしそこにはウェンディの存在が大きく関わっていた。
「君がためらうのも分かる」
アインは冷静に頷いた。
「だが、2組が大挙して学院長室に行ったということは、クラスの全員がその件を知ったということなんだろう? なら、早晩、噂になる。誰が漏らしたということでもなく、ごく自然に漏れるんだ。こういうことは」
その言葉に、アルマークはぐっと詰まる。
アインの言葉は正しいと思えた。クラスメイト達が故意にばらすとはアルマークも思わないが、それでも14人もの生徒が知ってしまった二人の事情は、これから徐々に広まってしまうことだろう。
聡明なウェンディのことだ。クラン島でみんなに話すとき、もうそこまで覚悟を決めていたに違いない。
だがアルマークはアインに言われるまで、考えがそこに至らなかった。
「だから、僕は君の口から直接聞きたいんだ」
アインは言った。
「いい加減な噂などではなく、きちんとした真実を君本人から」
アインに真剣な目で見つめられ、アルマークもその目を見つめ返す。
「分かった」
ややあって、アルマークは頷いた。
「君は前に言ってくれたね。僕の味方だって」
「ん」
アインは不意を衝かれたような顔をしたが、すぐに思い出したように頷く。
「ああ。図書館の事件の後の話だな。言った」
「あの言葉は、嬉しかった」
アルマークは微笑んだ。
「僕はあれから、君のことをずっと味方だと思っているんだ」
その言葉に、アインが片眉を上げる。
「だから、話すよ。僕の責任で、君に」
アルマークはそう言ってアインを真っ直ぐに見た。
「僕も、君にはきちんと知っておいてほしいから」
「ありがとう」
アインもいつになく真剣な表情で頷く。
「もう一度言う。僕は君の味方だ」
「“門”と、“鍵”」
アインは呟くように言った。
「それを狙う闇の魔術師ライヌル。それにもう一人の魔術師が、君たち全員を殺すと」
そう言って、アルマークを見る。
「おいそれとは信じられないような、壮大な話だ」
「ああ」
アルマークは頷く。
「僕もそう思うよ。実感はあまりない」
「だが、事実なのだろう」
「多分ね」
アルマークはマルスの杖を手に取った。
「何かの間違いじゃないかと思うこともあるけど、でも闇の勢力はずっと、僕とウェンディとこの杖を狙っていた」
「ふむ」
「だから、そのたびに思い出すんだ。これが事実で、僕らの背負った運命なんだって」
「そうか」
アインは顎に手を当てて、何かを考える仕草を見せた。
「なるほどな」
「何が、なるほどなんだい」
「いや」
アインは微かに笑う。
「魔術祭での君たちの演技が、やけに迫真だったわけがやっと分かったと思ってね」
「それは」
アルマークが顔を赤くすると、アインは手を振った。
「別にからかうつもりはない。僕たちの劇が及ばなかったのも仕方ないと、そう思っただけだ」
そう言うと、アインはベッドから立ち上がった。
「話してくれてありがとう、アルマーク。君の信頼に感謝する」
アインにしてはずいぶんと率直な言葉だった。
続けて椅子から立ち上がったアルマークに、アインは言った。
「心配はいらない。このことは誰にも話さない。僕の胸に秘めておく」
「君が誰かに話すとは思っていないよ」
アルマークは答える。
「話すなら、図書館の事件の後にすぐに話していただろうから」
「まあな。それは君の言う通りだ」
アインは肩をすくめた。
「だが、忘れるなよ。僕が君の味方だということは、つまり」
そう言って、アルマークの顔を見て微笑む。
「3年1組の全員が、君の味方だということだ」
「ああ」
アルマークは微笑む。
「そうだったね。だって1組は」
「僕のクラスだからな」
アルマークの言葉を遮って笑顔でそう言うと、アインは、試験前にすまなかった、と言い残して部屋を出ていった。




