(閑話)夢
がちゃがちゃん、というけたたましい音。
荒くれ者の一人が乱暴にテーブルの上の食器をひっくり返したのだ。
「なんだと、小僧」
髭面の男が叫んだ。
「もう一度言ってみろ」
殺気立った男のこめかみに血管が浮いていた。
周囲の客が巻き添えを避けるように離れていく。
「だから」
そう答えたのは、まだ年端もいかない少年だった。年のころ、せいぜい10歳になるかならないか。
だが、まるでその身体に合わない、大人が持つような長剣を背負っているのが一種異様に見えた。
「やるならやろうって言ってるんだ」
大の大人三人に囲まれているのに、少年の口調は至って冷静だった。
「ごちゃごちゃ言ってる時間が無駄だ」
「このガキ」
男たちの中の一人が、腰の剣に手をかけた。
「殺されてえみてえだな」
その瞬間、少年の目が鋭い冷たさを放つ。
「待て!」
そう叫びながら飛び込んできたのは、ひょろりとした青年だった。
「待て待て。けんかはいかんぞ」
「なんだ、てめえは」
髭面の男が目を剥いた。
北の粗末な酒場でのことだった。
食事と暖を求めて店に入った少年は、こういう店に入るときの常で、酔客たちから口々にからかわれたが、気にはしなかった。
少年が食事をするテーブルの隣にいた三人の男も最初、下品な冗談を少年に飛ばして嘲笑っていたが、少年がまるで相手にしないでいるうちに徐々に殺気立ち始めた。
悪い酒だった。
男たちの罵声は段々と、北の人間でも眉をひそめるほどのものになっていったが、少年の表情は変わらなかった。
まるで北の冬の厚い氷が少年の心を覆っているかのようだった。
やがて、男たちの一人が少年の持つ長剣に目をつけた。
「あの剣、意外と値打ちもんじゃねえのか」
「おう」
仲間の男が酔って濁った目を輝かせる。
「ガキに持たせておくにゃ惜しいな」
「いただくか」
そんな不穏な会話の後、男の一人が少年を脅すように声を荒げた。
だが、少年が全く微動だにもせず食事を続けるのを見て、リーダー格の髭面の男が切れた。
「てめえ、小僧」
そう叫んで立ち上がる。
「舐めてんのか」
少年はそこでようやく氷のような目を男に向けた。
「斬る価値もないけど」
少年は言った。
「斬ってほしいなら、そう言えよ」
「なんだと、小僧」
男はついにテーブルの食器をひっくり返すに至ったのだった。
「待て待て」
けたたましく少年と男たちの間に割り込んできたそのひょろりとした青年に、髭面の男が目を剥いた。
「なんだ、てめえは」
「なんだと言われれば、何でもないが」
青年はとぼけた答えを返す。
「だが、ここは酒場だ。酒場は酒を飲み飯を食う場所だ。殺し合う場所ではない」
そう言って、少年を庇うように男たちの前に立つ。
「ましてや大人三人で子供一人を相手に」
「どいてろよ」
その言葉が自分の背後から発されたのを聞いて、青年が目を丸くして振り返る。
「なんだって?」
冷たい目をした少年が、青年を睨んでいた。
「引っ込んでろ」
「お前、何を言ってるんだ」
青年が眉をひそめる。
「相手は大人三人だぞ」
「死ぬ覚悟もできていない連中が」
少年は吐き捨てた。
「何人いようが怖くはない」
「ガキが、舐めやがって」
髭面の男が叫んだ。
腰に提げた蛮刀を抜こうとその柄に手をかける。
「いかん」
青年が素早く身体を伸ばし、蛮刀の柄を上から手で押さえた。
「抜いてはだめだ」
「おめえは引っ込んでろ」
髭面の男は叫んで抜き放とうとした。だが、青年の手に押さえられた蛮刀はびくともしなかった。
「ぬぐ」
男が顔を赤くする。
「てめえ、その手を離せ」
「だめだ」
青年は真剣な表情で首を振る。
「手を離したら、あんた抜くだろう」
「当たり前だろうが」
「じゃあ離さない」
「何をごちゃごちゃと」
仲間の男が焦れたように腰の剣を抜いた。
「もういい。俺がやる」
そう言って少年に向けて剣を振りかざそうとした時だった。
音もなく少年が踏み込んでいた。
その長剣が目にも止まらぬ速さで男の首筋に伸びる。
耳をつんざくような金属音が店中に響き渡った。
少年は目を見開いた。
青年の抜き放った剣が、少年の長剣を弾き返していた。
一命をとりとめた男が、魂が抜けたように、どすん、と腰から床に崩れ落ちる。
「だめだ」
青年は鋭い目で少年を見た。
「簡単に命を奪うな」
少年は青年の顔を見て、目を瞬かせた。
「お前、何言ってるんだ」
「だから」
青年が少年に向き直る。
「こんなところで、そんなつまらない理由で」
そう言いかけた青年が、不意に身をよじって剣を振るった。
抜き放ったばかりの蛮刀を根元から叩き折られ、髭面の男が息を呑んだ。
「簡単に殺し合うな」
青年は言った。
捨て台詞を吐いて逃げ去っていった男たちを見送り、少年は自分の長剣を鞘に納めた。
「あんた、強いな」
少年は青年に言った。
「強いけど、おかしなやつだ」
「おかしいと思うのは、お前が子供だからだ」
青年は明るく笑った。
「だが、お前こそ強いな。まだ子供だってのに」
「子供、子供、と言うな」
少年は青年を睨んだ。
「アルマークっていう名前がある」
「そうか。そりゃすまなかったな」
青年は微笑む。
「俺は“銀の旋風”バルテ。この名は聞いたことがあるか?」
少年が首を振ると、青年はあからさまにがっかりした顔をする。
「なかなか広まらんな」
少年は青年の表情に構わず尋ねた。
「どうして邪魔をしたんだ」
「邪魔?」
青年は眉をひそめ、それから、ああ、と頷いた。
「けんかの仲裁のことか。そりゃあ、するさ」
そう言って、胸を張る。
「騎士バルテは、己の目の前で無益な血が流されるのを看過しない」
「騎士?」
少年は青年を胡散臭そうに見た。
「どこがだ」
「ははは。まあ、確かに今の俺はまだ騎士ではない」
青年は快活に笑い、それから少年を見る。
「だが、いつか必ず騎士になる男だ」
「嘘だ」
少年は首を振った。
「北にはこんなにたくさんの傭兵がいるのに、誰も騎士になれない」
そう言って、青年を睨みつける。
「あんたがなれるわけがない」
「なれるかなれないかは、俺が決める」
青年の口調はあくまで明るく、揺るがなかった。
「俺は騎士になるという夢と正々堂々向き合う。逃げも隠れもしない」
その言葉を聞いた少年の目に、一瞬憎悪に近い感情がよぎった。
だが、それはすぐに無機質な冷たい表情に隠れた。
「おかしなやつだ」
少年はもう一度そう言い、青年から目を逸らす。
「お前、旅の途中だろう」
青年は言った。
「どこへ行くんだ」
「南だ」
少年はぶっきらぼうに答える。
「南って、どこの南だ」
「南は、南だ」
少年の答えに、青年はおかしそうに笑った。
「そうか、まあいい。じゃあ、途中まで一緒に行くか」
「どうして、お前と」
「お前さっき、俺は騎士になれないって言ったろ?」
青年はそう言って少年を見た。
笑みを湛えた、だが、あくまで真剣な瞳。少年はその目をまっすぐ見返すことができなかった。
「見せてやるよ。俺が騎士になるところを」




