戦いの終わり
戦場の勝者と敗者が明確になりつつあった。
“黒狼”ジェルス率いる黒狼騎兵団本隊の突撃を、ギルフィン魔道傭兵団は一度は受け止めた。
“百陣”のマハドの指揮する歩兵たちは、重厚な騎兵の突撃に蹂躙されかけながらも、統制の取れた動きで戦列を維持し突破を許さなかった。
だが、その健闘に応えるべき、戦況を一気に変える強大な魔法が、彼らの後方から放たれることはなかった。
後方に目を走らせたマハドは、団長のギルフィンがレイズに右腕を斬り飛ばされ、血煙を舞わせながら一陣の風と共に姿を消すのを見た。
その時点でこの戦いの勝利を諦めたマハドの撤収は速かった。
残存戦力をすべて投入して黒狼騎兵団を一瞬だけ押し返すと、手際よく残兵をまとめて直ちに戦場からの離脱を図った。
無論それを簡単に許す黒狼たちではなかったが、先陣の被害を重く見たジェルスは追撃を途中で打ち切らせた。
不満げなガドルに、ジェルスは言った。
「ギルフィンが倒れればあの傭兵団は終わりだ。マハドにはもう一度戦いを挑んでくる気概も器量もねえ」
ジェルスはガドルたちに負傷者の救護を命じると、ギルフィンの消えた血だまりの前で立ち尽くすレイズに向かって馬を走らせた。
戦いは終わった。
雇い主のいない傭兵団同士の戦いは、個人の怨恨などの感情的な理由によって引き起こされることが多く、その分敗者の受ける損害は過酷だった。
今回の戦いに感情の介在はなかったが、それでもギルフィン魔道傭兵団はその兵力の半数と、戦力の中核となる魔道部隊の大半、そして団長“戦況を変える者”ギルフィンを失い、北の戦場からその名を消した。
だが、勝者の黒狼騎兵団も決して無傷ではなかった。
「モルガルドの様子はどうだ」
後方の馬車から戻ってきたレイズに、ジェルスが尋ねる。
「ああ、ぴんぴんしてる」
レイズは答えた。
「脚以外はな」
「そうか」
ジェルスは頷いた。
黒狼騎兵団の幹部モルガルドは、ギルフィンの二度目の衝撃波を伴う光の魔法を受けて落馬した際に脚を負傷していた。
その場から動けなくなっても剣を振るい敵を寄せ付けなかった武勇はさすがだったが、馬に乗れなくなった以上、当分は戦場で戦うことはできなくなってしまった。
「これから蛇退治ってときに、痛えな」
「ああ」
レイズも頷く。
「兵站の管理は今まで通りにやってくれるそうだ。伝令を二人ばかり余計につけて補佐させる」
「あいつがいなきゃ、うちは回らねえからな」
ジェルスは苦笑する。
「どいつもこいつも戦うことしか能がなくてよ」
「あんたが言っていい台詞じゃねえな」
レイズは顔をしかめた。
「一番戦いたがってるのはあんたじゃねえか」
その言葉にジェルスは肩をすくめる。
「モルガルド以外は大丈夫なのか」
「後は、ゲイザックの野郎が少し怪我してるが」
「あいつは、怪我して大人しくなったくらいでちょうどいいんだ」
ジェルスはそう言って笑う。
「どうせ、次も戦うって言ってんだろ」
「お前が想像したまんまの面で」
レイズは答えた。
「想像した通りのことを言ってるぜ」
へっ、とジェルスは笑った。
それから、後ろを振り返ってそこに立っている少年に声をかける。
「ガルバ。初めての本物の魔術師はどうだった」
「……怖かった」
ガルバは小さな声で答えた。
「目が見えなくなって、戦場で初めて怖いと思った」
「そうか」
ジェルスは目を細めた。
「それなら、よかった。なあ、レイズ」
「ああ」
レイズは頷く。
「一人前に近づいたってことだ」
それから、ガルバの肩を優しく叩いた。
「ガルバ。蛇骨傭兵団との戦いが終わったら、もう誰かの後ろにはつかなくていい。一人で動いてみろ」
その言葉に、今までのガルバであれば無邪気に喜びを表したはずだった。
だが、ガルバは複雑な表情で頷いた。
「嬉しくねえのか」
ジェルスの問いに、ガルバは首を振る。
「嬉しいよ。でも、怖さの方が強い」
そう言ってガルバは、ジェルスを見上げた。
「目の見えなくなった俺の前で、モルガルドが敵を引き付けてくれた。だから生き残れた。ガドルにそう聞いた」
「そうか」
「戦いが始まったときは、ギルフィンを俺の手で討てるかもって思ってた。でも、とてもじゃねえけど、今の俺じゃ相手にならなかった」
ガルバは息を吸う。
「今までの敵とは、桁が違った」
「だが、お前は生き残った」
レイズが静かに口を挟む。
「お前の勝ちだ。ガルバ」
ガルバはそれでも首を振った。
「強くなりてえ」
ガルバは言った。
「俺も、親父やレイズみたいに。もっともっと」
その言葉に、レイズは目を細めて頷いた。
モーゲンの身体がゆらゆらと揺れ始め、後ろに座るノリシュとセラハが顔を見合わせてくすくすと笑う。
ノルク魔法学院の初等部講堂。
ヨーログの講義は、抽象的な内容になりつつあった。
一つの具体的な魔法を取り上げてその解説をしていたかと思えば、急に複雑な概念の話になる。
「難しいんだよ、学院長先生の話は」
ネルソンが右隣のアルマークにそっと耳打ちした。
「意味がよく分からねえ」
「そうね」
アルマークの右隣のウェンディが小さく頷く。
「私たち子供にする内容じゃないみたい」
「そうだね」
アルマークも小さな声で囁いた。
「でも、面白いよ。僕はこの学院に来るまで、学院ではきっとこういうとても難しい話が聞けるんだろうと思っていた。何度聞いてもよく分からないような話が」
アルマークは壇上のヨーログをまっすぐに見上げる。
「だから、学院長先生の話を聞くといつもわくわくする」
話の中身はやっぱりよく分からないけどね、と言ってアルマークは微笑んだ。
ウェンディとネルソンは顔を見合わせ、それからアルマークに倣って壇上のヨーログを見上げる。
「魔術師は、ありのままを見る」
ヨーログは言った。
「さっきそう言ってくれたのは、誰だったかな」
「アルマークです」
一番前の席に座る、1組の聡明なクラス委員が間髪入れずに答えた。
「そうだったね。ありがとう、アイン」
ヨーログは頷く。
「ありのままを見るということは、実に難しい。なぜだろう」
そう言って、生徒たちを見回す。
「フィッケ」
「え、俺ですか」
フィッケが慌てて立ち上がる。
「ええと、それはあれです」
そう言って、頭を掻く。
「ありのままに見るってすごく難しいのは分かるんですけど、何でかって言うと、うまく言えません」
「ふむ」
ヨーログは頷く。
「不定形のもやもやとしたことを言葉にするのはとても難しいからね。君の答えにも一定の真実が含まれている」
「やった」
フィッケは握りこぶしを作る。
「正解した」
「正解じゃない」
アインが顔をしかめる。
「もう座れ」
「なんでだよ」
「これ以上1組の恥をさらすな」
二人の様子を見て微笑んだ後で、ヨーログは2組の生徒に目を向けた。
「では、君に聞いてみようかな。レイラ」
「はい」
突然の指名にも動じず、レイラが立ち上がる。長い黒髪が揺れた。
「ありのままを見るのが難しいのは」
レイラはそう言って、美しい切れ長の目をヨーログに向けた。
「それが、無意識の範疇だからだと思います。ありのままに物事を見るんだと意識した途端、そこに自分の主観が入り込み始める」
「なるほど」
ヨーログは頷く。
「ありのままに見ようとすればするほど、ありのままに見ることができなくなる。逆説的だが、面白い答えだ」
それから、笑みを含んだ目でレイラに尋ねた。
「では、ありのままに見るにはどうすればいいのだろう。君はその方法を、どう考えるかね」
「その方法は」
レイラは振り返った。きょとんとした顔のアルマークと視線が合うと、その目をすうっと細める。
「アルマークに聞いてください。彼は私のクラスで一番、物事をありのままに見ることのできる人だから」
「え?」
思わずアルマークは声を上げた。
「僕かい」
「ご指名だ、アルマーク」
ヨーログは微笑んだ。
「言ってみたまえ。ありのままに物事を見る方法を」
「自分では、ありのままに見れているという実感はあまりありません」
レイラに代わって立ち上がったアルマークは、そう前置きした。
「でも、そうですね」
自分の中の言葉を探す。
「多少はありのままに見ることができたな、と感じたときは」
アルマークは思い返していた。
苦しい戦い。生死を分ける境目。
雑念を捨て、生き残ることだけを考えた時、アルマークの頭脳は素早く、無駄なく回った。
剣だ。
アルマークは父譲りの長剣を思い出す。
剣が、いつもアルマークにシンプルでタフな思考回路を運んできた。
「目的がはっきりとしたときでした」
アルマークは答えた。
「自分がそこにいる意味。すべきこと。それをはっきりとさせることで、余計なものが取り払われた気がしました」
「いい答えだ」
ヨーログは頷いた。
「目的をはっきりとさせること」
ヨーログは手振りでアルマークを座らせ、生徒たちを見回す。
「卒業試験は、君たちにもう一度シンプルな問いを突き付けるだろう。この学院で3年間過ごしてきた意味。中等部に上がる理由。アルマークの言う通り、余計なものを省き、その問いを見つめ直した時、君たちそれぞれの答えが見つかるだろう」
ヨーログは言った。
「その問いに、正解はない。だが頑張りたまえ、小さな魔術師たちよ」
青い目が生徒一人ひとりの顔を捉え、優しくきらめいた。
「諸君がそれぞれの求める答えにたどり着くことを祈っているよ」




