先陣
行軍隊形を崩して動き始めた黒狼騎兵団に呼応するように、ギルフィン魔道傭兵団の歩兵中心の黒鎧の群れが動く。
その整然とした動きを遠目に眺め、ジェルスは、ほう、と感嘆の溜息を漏らした。
「良く統制がとれてる」
「率いているのが、あの“百陣”のマハドだからな」
モルガルドがそう言って馬を並べる。
「いくつもの傭兵団を渡り歩いてきた腕利きだ。マハドが率いる部隊はどこの傭兵団でも強い」
「なんでギルフィンなんかのところにいるんだかな」
ジェルスが笑う。
モルガルドは真面目な顔で首をひねった。
「さて。何か惹かれるものがあのギルフィンという男にあるのかもしれんが」
そう言ってから、ジェルスを見る。
「それより、こっちはこんなにのんびりと陣形を変えていていいのか」
その言葉にジェルスは肩をすくめた。
「今更、お互いに奇襲もできねえだろう」
そう言うと、自分の馬をぐい、と前に出す。
モルガルドはまたそれに並びかけて、声をかけた。
「とはいえ、こちらも先陣くらいはさっさと決めたらどうだ」
「うん?」
ジェルスは曖昧に返事をして乗馬を再び前に出す。
「いいか、ジェルス」
モルガルドはかすかに眉をひそめてジェルスのすぐ脇に馬を寄せた。
「レイズがいないから俺が言うがな」
そう言ってジェルスの乗馬の手綱を掴む。
「まさか、団長自ら先陣を切ろうとしてるわけではないだろうな」
「ん?」
ジェルスは素知らぬ顔で肩をすくめる。
「悪いか?」
「一軍の将が、軽々しく前に出るのは感心せんな」
モルガルドは答えた。手綱を掴まれたままのジェルスの乗馬が不機嫌そうにいななく。
「今回は雇い主のいない戦だ。ジェルス、お前が大将だ」
「だからいいんじゃねえか」
ジェルスは“黒狼”の異名の由来にもなった黒い髪をかき上げ、その黒い目を光らせる。
「たまにゃあ俺の好きなようにやらせてもらうぜ」
「俺の言った意味が分かっているのか」
モルガルドが険しい声を出した時だった。
「そのまま手綱を抑えとけよ、モルガルド」
そう言いながら一騎の戦士が二人の横を通り抜けた。
背中の大きな長柄斧が音を立てる。
「先陣は俺が切る」
「ゲイザック」
ジェルスが顔をしかめる。
「お前、勝手な真似するんじゃねえ」
「モルガルドの言う通りだぜ、団長」
“黒戦斧”ゲイザックは振り返ってにやりと笑った。
「大将はどっしりしてろよ。これはあんたの戦なんだろ」
それから、笑顔のままで声を落とす。
「それとも、俺たちにゃ任せられねえのか」
ちっ、とジェルスは舌打ちした。
「仕方ねえな」
おもちゃを取り上げられた子供のようにつまらなそうな顔をして、それでも渋々頷く。
「俺は後軍に回る。その代わり、かったるい戦をしやがったらすぐに交代するぞ」
「したことがあるかよ」
ゲイザックは長大な斧を軽々と一振りした。
「この俺が、かったるい戦なんざ」
「ふん」
ジェルスは鼻を鳴らし、それからゲイザックの影に従うように前に出たもう一騎の戦士を呼び止めた。
「ガルバ。お前は前に出るな」
父親のゲイザックよりもやや小ぶりの長柄斧を提げたガルバが、不満そうに振り返る。
「でも団長」
そう言い返す口ぶりには、まだかすかに幼さが残っていた。
「俺はいつも親父の後ろについてるんだ」
そう言って、ガルバは自分の馬をゲイザックの後ろに付けようとする。
しかし、ジェルスは首を振った。
「だめだ」
「団長」
ガルバが言い募る。
「無理はしねえよ」
「お前の配置は俺が決める」
有無を言わさぬ口調で、ジェルスは言った。
「お前はモルガルドの後ろに付け」
ガルバは顔を曇らせたが、渋々頷く。
「分かった」
「ガルバ」
ゲイザックが息子を振り返る。
「モルガルドは慎重だからな。あんまり長々と付き合って手柄を立て損ねるなよ」
けしかけるような父親の言葉に、ガルバは胸を反らした。
「その時は前に出る」
「前に出るタイミングは俺が見極める」
モルガルドはガルバの言葉を遮るように言った。
「お前は俺の後ろを離れるな」
「俺ももう十二歳になった」
ガルバが馬上で両腕を広げる。
「いつまで子ども扱いなんだ」
「そんなつまらねえことを言わなくなるまでだ」
ジェルスがぴしゃりと言った。
「ゲイザック。今日の相手はただの歩兵じゃねえからな。いつもの調子でいったらやられるぞ」
「分かってるよ。魔術師、だろ」
ゲイザックは笑った。
「そんな連中に後れは取らねえよ」
「魔術師」
ガルバが呟く。
「アルマークと同じか」
その言葉に、モルガルドが眉を上げる。
「覚えていたか」
「覚えてるさ」
ガルバは肩をすくめて口元を歪める。
そうすると、もうすっかり一人前の戦士のように見えた。
「南に行っちまったかわいそうなアルマーク。魔術師になんかならなきゃ一緒に馬を並べられたのによ」
そう言って、長柄斧を水平に振るう。ひゅん、という風切り音に、ジェルスも思わず目を細めた。
「いい音だな」
「もう俺の方が強いぜ、アルマークよりもよっぽど」
ガルバは言った。
「昔はあいつが羨ましかった。先に戦場に出ていったあいつの背中が」
言いながら、手綱を引きモルガルドの後ろに馬を付ける。
「でも、もう思い出すこともなくなったな。魔術師って聞いて久しぶりにあいつの顔を思い出した」
「戦場にずいぶん出たからな」
ゲイザックの言葉に、モルガルドが頷く。
「そうだな。ガルバ、お前はずいぶん成長した」
重々しくそう言うと、ガルバを振り返る。
「だから、こんなつまらんところで死ぬな」
「死ぬところに面白いもつまらねえもねえだろ」
ガルバは答えた。
「俺だって傭兵だ。いつもこれが最後かもしれねえと思って戦ってる」
「分かってるようで、分かってねえな」
ジェルスは苦笑した。
「まあ、その歳じゃ仕方ねえか」
その言葉にガルバは何か言いたそうにしたが、ジェルスは馬の手綱を引きながら声を張り上げた。
「ガドルの部隊が戻ったら開始だ。相手は魔術師だぞ、必要なのは速度だ」
部下の戦士たちを見回して叫ぶ。
「いいな、速度だ。速さが命だと思え」
「マハド」
ギルフィンは遠目に隊形を整えていく黒狼騎兵団を眺めながら、脇に控える“百陣”のマハドに声をかけた。
「魔道隊は前に出せ」
その指示に、マハドは武骨な顔をわずかにしかめる。
「よろしいのですか」
そう言って、敵軍の動きを細い切れ長の目で見つめる団長を振り返る。
「あまり前に出すと大事な子飼いの魔術師を失いかねませんぞ」
「かまわん」
ギルフィンは答える。
「仮にも北に武名轟く黒狼騎兵団だ。さすがに、そこいらの傭兵団のように簡単には勝たせてくれんだろう」
そう言うと、懐から杖を取り出した。
ねじくれたその黒い杖は、ノルク魔法学院の授業で使われているものよりもはるかに短かった。
「魔術の落差でけりを付ける」
その言葉に反応するかのように、杖が微かに青く光った。
「かしこまりました」
マハドは頷くと、傍らの部下に指示を発する。
「魔道部隊を前へ。前線四枚の後ろだ」
「マハド」
ギルフィンが首を振る。
マハドは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに右手を高く挙げ、人差し指と中指を立てた。
「訂正。前線二枚の後ろだ」
「そうだ」
ギルフィンは頷いた。
「さあ、狼狩りを始めようか」




