魔力
少年は小さい頃から魔法が得意だった。
勘がいい、というか、センスがあるというか。
学院に入って魔法の基礎を学ぶよりもずっと前から、自分の中で何となく魔力を練る感覚を体得していた。
灯の魔法くらいは不格好ながらも四歳のころからできたし、今でも得意な浮遊の術は六歳の頃にはすでに今と遜色ないくらいの精度を持っていた。
だから、七歳の時に親に連れられて行ったとあるパーティーでその少女を見た時、すぐに分かった。
この子は自分の力を持て余してるな、と。
おどおどして不安そうな目をしたその少女は、パーティーが始まってもずっと大人の陰に隠れているか隅っこでじっとしているかだった。
少年はよく大人たちから、この子は人の気持ちに気付くのが得意だ、と言われていたが、別に彼は人の気持ちの動きに敏感だったわけではない。
魔力を練るのと似たことだった。
少年は人の感情の揺れを魔力の揺れから見抜いた。
誰に教わったわけでもない。自分で何となくそのやり方を見付けたのだ。
パーティーが歓談に入ると少年はいつものように、顔馴染のほかの少年たちと庭に繰り出して、貴族の子弟としては眉をひそめられるような遊びをしていたのだが、その日はどうにもその少女のことが気になった。
魔力の揺れが、とても不安定だった。その場にいるだけの少年までもがその揺れに不安を覚えるほどに。
この子はとても大きい魔力を持っているんだ。
少年はそれに気づいて、改めてその少女を見た。
大きな目を伏せて誰の顔もまともに見ようとしない、小柄な少女。
ちょっと俺は休憩だ、と仲間の少年たちに言って、少年は彼らから離れた。
少女は、大人たちの歓談が続く広間の壁際で一人、ぽつんと所在なげに立っていた。
最初は声をかけてくれた同年代の女の子たちもいるにはいたけれど、もう諦めてどこかへ行ってしまったようだ。
少女は、近付いてくる少年を見て、顔を強ばらせた。
また魔力が揺れた。
「ええと」
少年は少女の前に立つと、頭を掻いた。
「息を思い切り吸うと、今度は息を吐きたくなるだろ。それと同じなんだ」
「え」
少女が目を瞬かせる。
「ずっと抑えてたら今度は伸びたくなるんだ」
少年は両腕を大きく頭上に伸ばしてみせる。
「こんな風に」
「ええと」
少女は困惑したように少年を見て、少し後ずさりしようとした。だが、自分がすでに壁際にいることに気付いて泣きそうな顔をする。
「お前の中の魔力の話だよ」
少年の言葉に、少女は目を見開いた。
「そんな風に、乱暴に押さえつけたままじゃだめだ。大きすぎて無理だろ」
「魔力」
少女が呟く。
「これって、魔力なの」
「ああ」
少年は頷く。
「お前、すごいな。そんなにでっかい魔力」
「分かるの」
少女は少年を見上げた。
「私の中の、これが」
「分かるよ」
少年は自分の中で魔力を器用に練ってみせた。
「俺の中のも、ほら、こうすれば分かるだろ」
少女は目を見開いて頷く。
「分かる」
「な」
少年が微笑むと、少女は戸惑ったように自分の胸のあたりに触れた。
「これが、魔力」
「ずっと抑えたまんまじゃ体に悪いんだよ、多分な」
少年は言った。
「だから、たまには使ってやれよ」
「使う?」
少女は不安そうな顔をする。
「……どうやって?」
「たとえばこんな風にさ」
少年が自分の指先に炎を出してみせると、少女は目を丸くした。
「魔法」
それから、少年の顔と炎とを交互に見る。
「あなた、魔術師だったの」
「違うよ」
少年は笑う。
「違うけど、魔法は使える」
「どうして」
「練習したからさ」
少年は指を一振りして、炎を消した。
「これくらい、ちょっと練習すればお前にもできるぜ」
「そうなの」
「ああ。誰でもできるってわけじゃないけど」
少年は少女の顔を見て微笑む。
「それだけ魔力があればお前にはできるよ。練習してみるか?」
「……うん」
少女が大きな目に初めて好奇心と意志を覗かせた。
「してみたい」
それから少年と少女は庭園の隅で、ずいぶんと長いこと練習をした。
魔力を練るところまでいくのが一苦労だった。
少年はまだ自分の感覚をうまく言葉にすることができなかったし、少女もずっと抑えてきた大きな魔力をどう解放してやればいいのか分からず、恐る恐る自分の魔力と向き合うところから始めなければならなかったからだ。
だが、少女が自分よりもはるかに聡明であることは、少年にもすぐに分かった。
少年の曖昧模糊とした説明を、少女は、それってこういうことかな、ときちんと言葉にしてみせた。
夕闇が迫り、長いパーティーがそろそろ終わりになる頃、庭園の片隅にぽつりと小さな炎がともった。
一瞬で風に揺れて消えてしまったが、それが少女の初めて使った魔法だった。
「一日でここまで出来たら上等だ。お前、すげえ才能あるよ」
少年はそう言って、少女に笑いかけた。
「たまには使ってやれよ、それだけの魔力がもったいねえぞ」
そう言って親のところに戻ろうとする少年の背中に、少女が声をかけた。
「ねえ。あなたは魔術師になるの」
「ああ」
少年は振り向いて頷く。
「俺、ノルク魔法学院に行きたいって思ってるんだ」
「ノルク魔法学院」
少女がその名を、自分に刻み込むように呟く。
「私も行きたい。そこに」
「そうか」
少年は笑った。
「じゃあ、向こうで会えたらいいな」
「うん」
少女が頷く。
今日最初に見た時とは別人のような、はっきりとした意志を持つ目。
「ありがとう」
少女が最後に言った。少年は手を振って、駆け出した。
思えば、あの頃が俺の一番輝いてた時だったのかもしれねえな。
廊下の窓際に寄りかかり、外の雨を眺めながら、少年はそんなことを考えた。
試験が近付くたびに、その頃のことを思い出す。
俺は、要はみんなよりもちょっと早めに魔力のコントロールを覚えたって、まあそれだけのことなんだよな。
首尾よくノルク魔法学院には入学できたし、一年の頃は、勉強はともかく魔法に関しては、自分がずば抜けて優秀なんじゃないかと思いもした。
だが、それは勘違いだった。
やはり皆、才能を認められて入学してきた天才たちばかりだった。
魔法の基礎を学び終えると、皆次々に少年を追い越していった。
今では、単なる平凡な学生の一人だ。
一年の頃のイメージで、クラス委員などやらせてもらってはいるが、それもほかの優秀な二人の委員に比べると明らかに見劣りがしているのは自分でも分かる。
「ルクス」
自分を呼ぶ少女の声で、少年は我に返った。
「どうした、ロズフィリア」
少年は歩み寄ってくる少女に向き直る。
「また何かあったか」
ロズフィリアは大きな目を細めてルクスに微笑む。
「別に大したことでもないけど」
そう言って、指で階下を示す。
「談話室でコルエンとキリーブがソファを占領して遊戯盤を囲んで大騒ぎしてるって、ほかのクラスから苦情があったの」
「またあいつら」
ルクスは顔をしかめた。
「それで、ポロイスが注意しに行くって下りていったんだけど、今覗いたら」
「それ以上は言わなくても分かる」
ルクスはため息をついた。
「三人で遊戯盤を囲んで大騒ぎしてるんだろ」
「正解」
ロズフィリアは微笑む。
「ポロイスって真面目だから、コルエンにそそのかされるとだめなのよね」
「まったく」
ルクスは窓際から身を起こした。
「卒業試験前に何をやってるんだ」
「あら、あなたこそ」
ロズフィリアはいたずらっぽくその頬をつつく。
「こんなところで試験前に一人で何の考え事?」
「別に」
ルクスはロズフィリアの指を払う。
「なんでもねえよ」
「そろそろ本気を見せてもいいのよ」
ロズフィリアは歩き出したルクスの隣に並ぶ。
「私なんかさっさと抜かしちゃって」
「よせよ」
ルクスは顔をしかめる。
「そんなことはアインにでも言え。俺の成績はどうせ今回もお前の足元にも及ばねえよ」
「まあ、いいんだけどね」
ロズフィリアは楽しそうに言う。
「あなたの凄さは私が一番知ってるから」
「だからよせって」
ロズフィリアの言葉に、ルクスは肩をすくめた。
「本当よ?」
ロズフィリアが不意に真剣な目をしてルクスの腕を掴む。
「パーティーのあの日から、私にとっての一番の魔術師は、ずっとあなただもの」
「あんなもん、お前」
ルクスが言いかけたとき、階下からコルエンの馬鹿笑いが聞こえてきた。
「ああ、あのばか」
腕を振りほどいて階段を駆け下りていくルクスの背中を見つめて、ロズフィリアは小さくため息をついた。
それから、表情を改めてルクスに声をかける。
「ねえ、遊戯盤ごとコルエンも燃やしちゃっていいなら、私も手伝うけど」
「ばか、やめろ」
ルクスの慌てた声。
「お前は部屋で勉強してろ。大事な時期なんだからよ、アインなんかに負けるな」
「はあい」
ロズフィリアが返事をして、上からルクスを覗き込む。
「ルクス。あなたに任せちゃっていいのね?」
「当たり前だ」
ルクスは答えた。
「俺は3組のクラス委員だぞ」




