負け犬
アルマークがドアを叩くと、誰何もなしにトルクが顔を覗かせた。
「やあ、トルク」
アルマークが言うと、トルクは不機嫌そうに低く唸った。
「てめえ、遅かったじゃねえか」
そう言って、アルマークを睨む。
「ウェンディとどっかに遊びに行ってやがったな。試験前だってのに」
「うん」
アルマークは頬を指で掻く。
「二人でパイを食べたよ」
はっ、とトルクは不機嫌そうに笑う。
「余裕じゃねえか。人に補習までやらせておいて」
「ごめん」
アルマークは素直に謝る。
「君の補習は本当にためになった」
「うるせえよ」
トルクは顔をしかめる。
「で?」
「え?」
「え?じゃねえよ」
トルクは舌打ちした。
「何か話があるって言ったのは、お前だろうが」
「ああ、うん。そうなんだ。それで来たんだよ」
アルマークは頷いて、ドアから一歩離れる。
「少し付き合ってくれないか」
「ここじゃあ話せねえのか」
「ここじゃちょっとだめなんだ」
アルマークは真剣な顔で言った。
「頼むよ、トルク」
ったく、と言って頭をがりがりと掻きながらトルクはドアを閉めて廊下に出てきた。
「お前は頼み事ばかりだな」
「ごめん」
アルマークはもう一度謝る。
「外に行こう。庭園まで」
「庭園?」
トルクが唸る。
「こっちは長旅で疲れてるって言っただろうが。そんなとこまで付き合わせるのかよ」
「これっきりにするよ」
アルマークは頭を下げた。
「頼む、トルク」
「お前」
トルクは呆れ顔でアルマークを見る。
「謝って頭を下げれば何でも通ると思ってるだろ」
「思ってないよ」
アルマークは首を振る。
「でも、頼む。トルク」
「思ってるじゃねえか」
トルクはまた舌打ちした。
「あんなところまで連れ出すからには面白い話をしてくれるんだろうな」
「面白いかどうかは分からないけど」
アルマークは首を傾げる。
「でも、すごく大事なことなんだ」
「いよいよウェンディの婚約者からお前に非難の手紙が来たか?」
トルクは皮肉な笑いを浮かべた。
「お前がしようとしてるのがその相談だったら、話はここですむぜ。どっちがウェンディを手に入れるか剣の決闘で決めようと言ってやれ。向こうが乗ってきたらお前の勝ちだ」
「ウェンディを手に入れるって言ってもな」
アルマークは困った顔をする。
「ウェンディは物じゃないから、ウェンディの気持ちだってあるし」
「眠たいこと言ってんじゃねえよ」
トルクは肩をすくめた。
「ウェンディがどう思うかなんて関係あるか。大事なのはお前がどう思うかだろ」
「僕がどう思うか」
アルマークは目を瞬かせる。
「でも、僕だけじゃ」
「いいか」
トルクは鼻を鳴らした。
「きれいな女なんて、男にとっちゃ勲章みたいなもんだ。欲しけりゃ奪えばいい」
「トルク」
アルマークは目を丸くしてトルクを見た。
「君もウェンディのことをきれいだと思うのかい」
「あぁ?」
意外な言葉にトルクが目を剥く。
「何だと?」
「僕もそう思うよ」
アルマークは真剣な顔で頷く。
「ウェンディはきれいだ」
「めんどくせえな」
トルクは吐き捨てるように言った。
「分かったよ。庭園まで付き合ってやるから、もう着くまで何も喋るな」
「……“門”と“鍵”か」
庭園にはまだ、港でも吹いていた冬にしては穏やかな風が残っていた。
石に腰かけたトルクはそう呟くと、アルマークの差し出したマルスの杖を握った。
「これが、“鍵”」
しげしげと眺め、それから首を振った。
「その辺に転がってる棒にしか見えねえがな」
投げ返されたマルスの杖を受け取り、アルマークは頷く。
「僕も、まさかそんな重大な物だとは思わなかったんだ」
そう言って、マルスの杖を握り直す。
杖は、またアルマークの手に馴染んだように感じた。
「でも、この杖を狙って武術大会でも魔術祭でも闇の魔術師たちが現れた」
そう言って、トルクに微笑む。
「彼らと戦って、それから蛇の呪いで闇の魔物とも戦って。それではっきりと自分でも分かった」
アルマークはマルスの杖に目を落とした。
「これが本物なんだって」
その姿をじっと見ていたトルクは、不意にぽつりと呟く。
「……闇の魔術師か」
トルクの目が、鈍く輝いた。
「どうだった。強かったか」
「うん」
アルマークは頷く。
「強かった。二回とも、イルミス先生に助けてもらわなかったら、きっと死んでいた」
「そこまでか」
トルクが目を見張る。
「お前、闇の魔物は倒したんだろ」
「ウェンディやモーゲンや、みんなの力を借りてね」
アルマークはそう言って微笑む。
アイン。フィッケ。レイラ。それに、ノルク島でのクラスの仲間たち。
「僕一人じゃ倒せなかった」
「それにしてもだ」
トルクはアルマークの目を覗き込んだ。
「闇の魔術師ってのは、そこまで強いのか」
「さっきも言ったけれど、そのライヌルという魔術師はイルミス先生の昔の同級生だ」
アルマークは答える。
「当時の成績も、イルミス先生よりも上だったって」
「そんな野郎がどうして闇に堕ちるんだ」
トルクは吐き捨てた。
「それだけ才能があって。ばかじゃねえのか」
「詳しくは分からない」
アルマークは首を振る。
「でも、何か理由が」
「理由なんて、誰にでもあるんだよ」
トルクはアルマークの言葉を遮った。
「逃げる理由なんて、付けようと思えばいくらだって付けられるんだ」
その激しい口調に、アルマークは眉をひそめる。
トルクは叩きつけるような口調で言った。
「逃げるかどうかは、そいつ自身の判断だ」
トルクの脳裏に、オルアシュールで見た兄の姿が蘇る。
「そいつは逃げたんだ」
トルクは言った。
ブルスターは、逃げたのか。逃げたから、まだ生き残っているのか。
それとも。
そんなこと、俺が知るかよ。
だが、はっきりと分かることがある。
「そいつは負け犬だ」




