忠告
寮の外に出ると、冬の冷たい雨が二人を包んだ。
雨除けの外套を羽織り、アルマークとウェンディは身を寄せ合うように歩き出した。
「すごい雨」
ウェンディが呟く。
「こんな雨の中でも、エストンはわざわざ図書館になんて行くんだね」
「うん。僕も部屋で勉強すればいい気がするけど」
アルマークは頷く。
「雨だと、図書館も空いているだろうから、それを狙っているのかもしれないな」
「あ、そうかもしれないね」
ウェンディの表情はフードで隠れて見えないが、その声は明るかった。
「雨の日って、寮は人であふれてるものね。図書館なら静かそう」
「勉強に集中できるのかもね」
「うん」
「そこにお邪魔するのは気が引けるけど」
アルマークは言った。
「トルクと、トルクを心配するデグとガレインのためだ。仕方ないね」
「あの三人は本当に仲がいいよね」
ウェンディが小さな水たまりを飛び越える。
「いつも一緒」
「うん」
アルマークは頷く。
「補習で二人がそれぞれ僕に話してくれたよ。尊敬するトルクのことについて」
それを聞いて、ウェンディがふふ、と笑う。
「そんなこと言いながら、アルマークだってトルクの心配をしてるんでしょ」
「え?」
「だって、わざわざこんな雨の中を」
「心配、か。どうかな」
アルマークは真剣な顔で首をひねった。
「トルクなら、僕に心配なんてされたら怒るんじゃないかな。僕はただ、デグたち二人のために」
「もういいよ」
ウェンディは笑顔で首を振る。
「男の子って面白いね」
「そうかな」
首を傾げながら、アルマークは目の前の大きな水たまりを飛び越えると、振り返って腕を伸ばす。
その腕を掴んだウェンディが、思い切りよくジャンプした。
「えい」
アルマークに引っ張られて、ウェンディも無事水たまりの向こうに着地する。
「さあ、早く図書館に行かないとね」
ウェンディがアルマークの腕を引っ張った。
図書館に着くころには、雨除けの外套からは水が流れるように滴っていた。
外套の水を払って入口の壁の出っ張りに引っかけると、二人は図書館の中に入った。
閲覧室は、静かだった。
受付に座っていた司書のタミンが、ちらりと入ってきた二人を見る。
閲覧室には数人の学生しかいなかった。
身体の大きいエストンがその中にいることは、一目見てすぐに分かった。
アルマークは、本を積み上げて真剣な顔で勉強しているエストンの脇に立ち、そっと声をかけた。
「エストン」
エストンは返事もしなかった。
聞こえているはずだが、まるで聞こえていないかのように勉強を続ける。
「エストン」
アルマークはもう一度声をかけた。
「聞きたいことがあるんだ」
「図書館というものを知っているか、北の民」
エストンは顔も上げずに、ぼそりと言った。
「ここはお喋りをする場所じゃない」
「知っているよ」
アルマークは答える。
「でも、どうしても君に聞きたいことがあるんだ。あまり時間は取らせないから」
「断る」
エストンはにべもなく言った。
「勉強の邪魔だ。静かにしろ」
「そう言わないで」
アルマークの後ろからウェンディが顔を出した。
「お願い、エストン。勉強の邪魔なのは分かるけど」
エストンが顔を上げて、ウェンディの顔を見た。
「ウェンディ」
エストンは目を見開く。
「どうして君が、こんなやつと」
「二人で聞きに来たの」
ウェンディは言った。
「あなたの話を」
その前髪から、雨の滴がぽたりと机に垂れた。
「あ、ごめんなさい」
「い、いや」
エストンは魅入られたように首を振る。
「君の質問なら、答える」
エストンは言った。
「僕でよければ、答えるとも。断るわけがない」
エストンは自分の胸を叩く。
「なんなりと聞いてくれ。ウェンディ」
「そこのあなた」
受付のタミンの、冷たい声がした。
タミンの指は、まっすぐにエストンを指していた。
「少しうるさいわよ。静かになさい」
閲覧室を出て、図書館の軒下で降り続く雨を見ながら、アルマークとウェンディはエストンと向かい合った。
「で?」
エストンは、先ほどのウェンディに対するのとは明らかに違う冷たい態度で、アルマークの方を見た。
「何が聞きたいんだ、北の民」
「トルクのことだ」
アルマークは答えた。
「君が休暇中にトルクを見たという話を、僕にも詳しく聞かせてほしいんだ」
「トルク?」
エストンは一瞬怪訝そうな顔をした後、ああ、と言って笑った。
「オルアシュールで彼を見た件か」
「そう。それだ」
アルマークは頷いた。
「そのことについて詳しく教えてくれないか」
「それはできないな」
エストンは首を振った。
「トルクも、一応は誇りあるガライ貴族のはしくれだ。彼の尊厳に関わることについて、部外者である君に話すことはできない」
エストンはそう言って口を歪めた。
「彼と彼の家の、残りわずかな名誉のためにもな」
「それなら、私に教えて。エストン」
ウェンディがアルマークの隣からそう言った。
「私なら、部外者じゃないから教えてもらえるわね?」
「ウェンディ」
エストンが困った声を出した。
「それも君の優しさなんだろうが、あまり感心しないな」
「どういうこと?」
ウェンディが目を瞬かせる。
「感心しないって」
「彼のような人間と親しく付き合うことだよ」
エストンは答えて、アルマークをちらりと見た。
「僕はルーディッシュ家の人間として、この学院でも節度を保った生活をしている。必要以上に、下々の者と狎れあったりはしない。君も誉れ高きバーハーブ家のご令嬢であるという自分の立場をよく考えないと」
そう言って、ウェンディに目を戻す。
「対等に付き合えるんじゃないかと、おかしな誤解をさせてしまうよ。下の人間ほど、すぐに身の程を忘れる。ましてや彼は」
エストンはアルマークをもう一度見た。
「南の常識の通じない獰猛な北の民だ。何をするか分からない。君ももう少し人付き合いに慎重であるべきだ」
「エストン」
ウェンディはエストンに微笑みかけた。
「心配してくれてありがとう」
「いや」
エストンは首を振る。
「同じガライ貴族として、君ほどの名家の人間にきちんと言ってあげられるのは僕くらいのものだからね。当然のことだと思ってくれ」
「そうね、ありがとう」
ウェンディは穏やかな表情で頷いた後、でも、と言った。
「私も、あなたは自分の立場をよく考えるべきだと思う」
「え?」
エストンが目を見張る。
「僕が?」
「ええ」
ウェンディは頷く。
「あなたは、誇り高きノルク魔法学院の生徒として、いつまでそんなことを言っているのか。本当に魔術師になるつもりがあるのか。それをきちんと考えた方がいいと、忠告しておくわね。だって普通の貴族の社交がしたいのなら、無理にこの学院にいる必要はないんだもの。それなら家に帰ればいい」
刺すようなウェンディの口調。
思いがけない辛辣な言葉に、エストンの表情が強ばった。
「エストン」
ウェンディはまっすぐにエストンを見た。
「それでも、今日はあなたの意見を尊重するわ。私たちはトルクが心配なの。話す気があるのなら、私に教えて」
その目が、いつものウェンディらしからぬ鋭さを帯びていた。
「話す気がないのなら、私たちは今すぐ帰ります。勉強の邪魔をしてごめんなさい」
おそらく初めて見たであろうウェンディの厳しい表情に、毒気を抜かれたようになったエストンは、身を翻そうとするウェンディを慌てて呼び止めた。
「ウェンディ。待ってくれ」
険しい顔で振り向いたウェンディに、エストンは懇願するように言った。
「分かった。分かったから、そんな顔をしないでくれ」
そう言って、ウェンディをなだめるように首を振る。
「トルクの話だろ? もちろん君には話すよ。でも、彼には僕の口からは話せない。それは分かってくれるね?」
その言葉にウェンディは眉をひそめ、アルマークを気遣わし気に見た。
アルマークは頷く。
「ああ。ウェンディに話してもらえば僕はそれで構わないよ」
そう言って、アルマークは閲覧室の扉に手をかけた。
「本を読んで待っているよ。話が終わったら呼んでくれ」
「分かったわ」
ウェンディは平板な声で答える。
「そんなに長くはかからないと思う。エストンの勉強の邪魔をしても悪いし」
「ウェンディ」
エストンが渋い顔をする。
「僕は君に言ったわけじゃ」
「うん。それじゃあ頼むよ」
アルマークはウェンディに手を振って、扉を開けた。




