事件
「オルアシュールの監獄」
ウェンディは目を見張った。
「トルクが、あそこに」
「ああ」
アルマークは頷く。
「エストンがそう話していたのを、フィッケが聞いたっていうんだ」
「そう」
ウェンディは顎に手を当てて、考える仕草を見せた。
「トルクが、オルアシュールに」
小さく、そう呟く。
アルマークは丸椅子に腰かけたまま、ウェンディの顔をじっと見つめた。
ガライ王国のことを考えるからだろうか。
ウェンディは、いつものアルマークのよく知る学院の生徒の顔ではなく、貴族の令嬢としての顔をしているように見えた。
やがて、ウェンディがアルマークに顔を向けた。
「あのね、アルマーク」
「うん」
「オルアシュールは、重罪を犯した人だけが入れられる監獄なの」
「ああ」
アルマークは頷く。
「僕もそう教わったよ」
「重罪、といってもね」
ウェンディは慎重に言葉を選ぶ。
「普通の意味での重罪、というのと少し意味合いが違うの」
「そうなのかい」
アルマークは小さく首をひねってウェンディに続きを促す。
「どう違うんだい」
「オルアシュールに入れられる人たちが犯したのは、ガライ王国を揺るがすような罪なの」
ウェンディは言った。
「国や王家を危機に陥れるような、そういう罪」
「国や王家を」
アルマークは眉をひそめる。
「ええ」
ウェンディは硬い表情で頷いた。
「だから、まだ子供のトルクがオルアシュールに入れられるということは、それはもう」
そう言って、顔をしかめる。
「ものすごくたくさんの人を殺したり、王族の暗殺を直接企んだり、そういうことをしたということなの」
「それは」
アルマークが目を見張った。
「いくらなんでも」
「ええ」
ウェンディは頷く。
「ノルク島の学院で生活していたトルクが、十日くらいの休暇の間にそんなことをするなんて、とても考えられないわ」
「そうだね」
アルマークは腕を組む。
「それなら、やっぱりエストンの見間違いっていうことかな。それとも、フィッケの聞き間違いか」
「うーん……」
ウェンディは煮え切らない返事をした。
「違うのかい」
アルマークはウェンディを見る。
「ほかに、可能性があるのかい」
「うん……」
ウェンディは頷いたが、それでもそれを口にするかどうしようか迷っているようだった。
「ウェンディ。君がどうしても言いたくないのなら」
「ううん」
ウェンディは首を振る。
「私がどうこうというよりも、これはトルクのことなの」
ウェンディは窓の外の雨をしばらく見つめ、やがて決心したように頷いた。
「アルマーク、あなたにだけ話すね。誰にも言わないで」
その口調がいつにも増して真剣だったので、アルマークは丸椅子の上で座り方を改める。
「重大なことなんだね」
アルマークは言った。
「分かったよ」
「ありがとう」
ウェンディは周りを見て、人がいないことをもう一度確かめる。
「オルアシュールにはね」
誰もいないのが分かっていて、それでもウェンディはアルマークに顔を近付けて声を潜めた。
「トルクのお兄さんが収監されているの」
「トルクの、お兄さん」
アルマークは、ウェンディの大きな目を見つめ、自分も声を潜める。
「トルクのお兄さんだって?」
「ええ」
ウェンディは目を伏せた。
「トルクのお兄さんは、四年くらい前に起きた大きな事件に関わっていたの」
「大きな事件」
アルマークは繰り返す。
「それって、どんな事件なんだい」
「ガライの貴族なら、みんな知っているわ。ガライの貴族社会を大きく揺るがした事件だってお父様も言っていたから」
ウェンディは、そう前置きした。
「有力な貴族のグループが国王陛下を失脚させようとした、と言われているわ」
「ガライの王様を、失脚」
「ええ」
ウェンディは頷く。
「計画に参加していたとされるたくさんの貴族が捕まったわ。中には、家ごと取り潰された貴族もいるの」
「じゃあ、トルクのシーフェイ家も」
「潰されはしなかったけれど」
ウェンディは言った。
「シーフェイ家は、もともとかなり大きな家だったけれど、この事件にトルクのお兄さん……ブルスター・シーフェイが関わっていたせいで、ほとんどの領地を没収されてしまったそうよ」
「そうなのか」
貴族としての誇り。
アルマークは、トルクの持つ強い意志の源泉の一つはそれだと思っていた。
だが、シーフェイ家が実はそんな危機的な状況になっていたなんて。
休暇前、故郷に帰るというのにどこか浮かない顔をしていたトルクのことを思い出す。
「だから、もしかしたらトルクがオルアシュールに行ったのは」
ウェンディは言った。
「お兄さんとの面会のためなのかもしれないわ」
「面会、か」
アルマークは目を見張る。
「なるほど。それは思いつかなかった」
肉親との面会。それは、大いにあり得ることだ。
少なくとも、トルクが国家に関わるような大犯罪をして捕まった、などという話よりはよほど可能性は高いだろう。
「さすがウェンディだ」
そう言ってウェンディを見たアルマークは、そこでようやく、自分たちが声を潜めるあまり、お互いに頬が触れそうなほどに顔を近付けていたことに気付く。
ウェンディもアルマークとほとんど同時にそれに気付いたようで、はっと顔を赤くした。
二人は同時に顔を離す。ウェンディは恥ずかしそうにうつむき、アルマークも咳払いをして窓の外に目を向けた。
「でも」
気を取り直して、アルマークはウェンディを見る。
「オルアシュールで面会なんてできるのかい」
「私も詳しくはないけど」
ウェンディも少し赤い顔で、意味もなく手で髪を押さえながら答えた。
「条件が整えば、許されることもあるみたい」
「そうか」
アルマークは頷いた。
「お兄さんの面会、か」
ブルスター・シーフェイ。
ウェンディはトルクの兄の名を、そう呼んだ。
アルマークは、トルクがその兄と暗い室内で向かい合っている光景を想像した。
それは、一体どんな気持ちなのだろう。
「君は、ガライの貴族ならこの事件のことはみんな知っているって言ったね」
アルマークの言葉に、ウェンディは頷く。
「ええ。私は今よりもっと子供だったし何も分からなかったけど、それでもその事件のことは知っているもの」
「そうか、その頃は君は8歳くらいか」
アルマークは頷いた。
8歳なら、僕も戦場にも出ていなかった。
それでも、大きな戦のことは知っていた。大人が皆、その話をするからだ。
トルクの兄の関わった事件は、それと同じくらい大きなことだったのだろう。
「とても大きな事件だったんだね」
「ええ」
貴族にとってはね、とウェンディは答えた。
そのとき、外で風が吹いたのか、雨が窓に当たってぱらぱらと音を立てた。
「貴族なら、みんなその話題には無関心ではいられなかったんだと思う。自分の家が関係していようといまいと」
ウェンディは言った。
権力と領地の大きな変動の予感。
無関心な貴族など、いるはずもない。
「ということは」
アルマークは眉をひそめる。
「エストンも知っているんだね」
「知らないことは、ないと思う」
ウェンディは答えた。
「エストンのルーディッシュ家も名家だし」
「それなら、トルクのお兄さんがオルアシュールに入っていることも知っているんだね」
「……と、思うけど」
ウェンディは少し自信がなさそうな顔をする。
「そこは、絶対とは言えないわ」
「知っていたとしたら、ゼツキフにあんな言い方をするかな」
アルマークは腕を組んだ。
「まるでトルク自身が捕まったみたいな言い方を」
「エストンはそういう言い方を好む子だから」
ウェンディは目を伏せる。
「皮肉のつもりだったのかもしれない」
「やっぱり、本人からきちんと聞いてみようと思う」
アルマークは立ち上がった。
「フィッケも通りがかりに耳にしただけで、ちゃんと全部聞いたわけじゃないんだ。何か誤解があるのかもしれないし」
「フィッケなら、勘違いしていることもあるかもね」
ウェンディも頷いて立ち上がると、身体をかがめてアルマークのズボンについた埃を払った。
「ほら。やっぱりこんなに汚れてる」
「ああ、ごめん」
アルマークは自分でも乱暴に埃を払うと、改めてウェンディに向き直った。
「ありがとう、助かったよ」
「これからエストンのところに行くの?」
「うん。今日、エストンは図書館に行っているらしいんだ。夕方まで帰ってこないらしいから、僕も行ってこようと思う」
「それなら私も行く」
「え?」
アルマークが驚いてウェンディの顔を見ると、ウェンディは微笑んだ。
「エストンって結構口が立つから、ガライのことをよく知らないとうまく丸め込まれちゃうよ」
そう言って、自分を指差す。
「でも私がいたら、エストンもいい加減なことは言えないでしょ」
「そうか」
アルマークは微笑んだ。
「確かに君の言う通りだ」
それから、窓の外に目をやる。
「でも、雨も強いよ。いいのかい」
「どこにでも行くって言ったでしょ」
ウェンディは澄ました顔で答えた。
「あなたの行くところなら」




