本当の姿
剣を背負って寮に戻ったアルマークは、自分の部屋の前に誰かが立っているのに気付いた。
「……ウェンディ?」
アルマークは目を見張る。
「どうしたんだい、こんな朝早くに」
「あ」
ウェンディはアルマークに気付くと、ほっとしたように両手を組んだ。
「よかった」
「よかった? 何がだい」
目を瞬かせるアルマークに歩み寄り、ウェンディは恥ずかしそうに彼を見上げる。
「あのね」
「うん」
「怖い夢を見たの」
「え?」
きょとんとするアルマークを見て、ウェンディは頬を赤くした。
「クラン島であんなことがあって、みんなやレイラに何度も私たちの話をしたせいかもしれないんだけど」
恥ずかしそうに早口でそう言って、アルマークから目を逸らす。
「あなたがこの学院からいなくなってしまう夢を見たの」
「僕が、この学院から」
アルマークは言葉の意味を測るように繰り返した。
「いなくなる夢を」
「うん」
ウェンディは頷く。
「学院中、どこを探してもあなたが見付からないの。誰に聞いても、知らないって」
そう言って、ウェンディは目を伏せた。
「寂しくて、悲しくて。目を覚ましたら、部屋にカラーもいなくて」
「ああ」
アルマークは頷く。
「カラーもアインたちとクラン島へ行っているからね」
「それで、あなたの部屋に確かめに来ちゃったの。ちゃんといるかどうか」
「そうか」
アルマークは微笑んだ。
「ごめん。ちゃんといればよかった。庭園に剣の練習に行っていたんだ」
「ううん」
ウェンディは首を振った。
「いいの。いてくれてありがとう」
「どういたしまして」
答えてから、二人で顔を見合わせて、なんだか変だね、と言い合って笑う。
しばらくアルマークの顔をじっと見つめていたウェンディは、うん、と頷いた。
「安心したから、戻るね」
「もういいのかい」
「ええ」
頷いてから、ウェンディは思い出したようにアルマークを見た。
「そういえば、今日の船でウォリスが帰ってくるって」
「ウォリスが」
アルマークは微笑む。
「分かった。僕たちの話をしておくよ」
「うん。よろしくね」
ウェンディは笑顔で手を振って、廊下の角の向こうに消えた。
「……それで」
石に腰かけたウォリスが、挑発するような目をアルマークに向けた。
「人をわざわざこんなところまで呼び出しておいて」
そう言って、人気のない庭園をぐるりと見回す。
「“門”と鍵の話をクラスの連中にした、と。話というのは、その程度のことか」
「君にとってはその程度のことなのかもしれないね」
アルマークは頷く。
「君が僕なんかよりずっと色々なことを知っているんだってことは、僕にも分かっている」
アルマークの言葉に、ウォリスは片眉を上げてアルマークを見た。
「でも、この話をクラスのほかのみんなに話したということは、君にも知っておいてほしかったんだ」
「それはわざわざ、どうも」
ウォリスはそっけなく言った。
「ネルソンあたりが、さぞ大げさに騒いだだろうな」
そう言って薄く笑う。
「まあ、想像はつく」
「ネルソンは、大げさになんて騒がなかったよ」
アルマークは言った。
「静かに聞いてくれた。それから、僕らの力になると言ってくれた」
「そうか。美しい友情だな」
ウォリスは今度ははっきりと嘲りの表情を見せた。
「いい友人に恵まれたものだ」
「君の言葉は間違ってはいないけれど」
アルマークは答える。
「どうして、そんなにばかにしたように言うんだい」
「そう見えたか」
ウォリスは肩をすくめる。
「別に、そんなつもりはなかったのだがな」
「ウォリス」
アルマークは、庭園の向こうを見るでもなく見やっているウォリスの整った横顔を見た。
「君は、この休暇でまた変わったな」
その言葉に、ウォリスは一瞬だけアルマークの顔に目を戻す。
「変わった?」
意外そうな声。
「変わっただと? 君に、僕の何が分かる」
「僕だってこの一年、君を見てきた」
アルマークは言った。
「クラス委員としての君を」
「それが」
ウォリスは鼻で笑う。
「本当の僕だとでも言いたいのか」
「本当の君、なんてものがあるのかい」
「なんだって?」
ウォリスの目が鋭くなる。
「それはどういう意味だ」
「都合よく、取り出せるものなのかと思ってね」
アルマークは言う。
「自分の中から、本当の自分、なんてものを」
「取り出せるさ」
ウォリスは口元を歪めた。
「たとえば、そうだな。君の本当の姿を取り出してみようか」
そう言って、アルマークの顔の前にゆっくりと指を突き付ける。
「大好きなおもちゃを取り上げられて、そのおもちゃで遊ぶほかの子供をちらちらと羨ましそうに見ている。そして、新しく与えられたおもちゃに一生懸命夢中になったふりをしている子供。それが君の本当の姿だ」
顔を強ばらせて絶句するアルマークを見て、ウォリスは喉の奥で笑う。
「図星だろう」
そう言って足元の小石を拾い上げると、それを弄びながらアルマークを憐れむように見る。
「どうしてそんなに夢中になったふりをしなければならないのか、僕には分からない。親の目でも気にしているのか」
親の目。
親の目だって。
その指摘にアルマークは言葉を失う。
僕が父さんの目を気にしているって。
「君が僕を見てきたと言うのなら、僕も一年間君を見てきた」
ウォリスはつまらなそうに言った。
「だからまあ、それくらいのことは分かる」
その目が冷たい輝きを帯びる。
「君以外の連中に至っては、僕はもう三年も見てきたんだ」
そう言って、口元を歪めた。美しい顔だからこそ、そうするとひどく粗野に見えた。
「彼らを思い通りに動かすことなど造作もないと、そうは思わないか?」
その目は、魔術祭の劇を成功に導いた頼れるクラス委員のものではなかった。むしろ、その成功自体を茶番であると嘲笑うかのような、冷めた目だった。
「……君は」
アルマークはようやく言った。
「クラス委員としての自分は、本当の自分ではないと?」
「当たり前だ」
ウォリスは肩をすくめる。
「みんなの意見を聞いて、調整をして、一つにまとめて。そんなつまらないことをしているのが、本当の僕だと?」
「つまらないことなんかじゃない」
アルマークは首を振る。
「君のおかげで、クラスが一つにまとまった」
「それも劇だよ、アルマーク」
ウォリスは言った。
「僕にとっては、魔術祭の劇の延長のようなものだ」
「それは、どういう意味だ」
「察しの悪さを装うのが下手だな、君は」
ウォリスがまた口元を歪めて笑う。
「分かるだろう。僕は単にクラス委員という役を演じているだけだ」
「それ以上言うな、ウォリス」
アルマークは首を振る。
「みんなの信頼を裏切るようなことを」
「君は僕を何だと思っているんだ」
ウォリスが不意に石を持った腕を振った。
小石は驚くほど遠くまで飛んでいき、木の枝に当たって乾いた音を立てた。それに驚いた鳥が数羽、羽ばたいた。
「僕は常に一人だ。信頼も助力も、何も要らない」
ウォリスの言葉が、劇のアルマークの台詞と重なる。
俺は一人でも、こんなにも強い。
「モズヴィル領に、何かあるのか」
アルマークはウォリスの顔を見た。
「休暇に帰るたび、君の闇が深くなっている気がする」
「ご心配、実に痛み入るね」
ウォリスは微笑んだ。
「闇が深くなる? 君に、闇のことが分かるとは思わなかった」
「僕も今までに闇の魔物と戦ってきたよ」
アルマークは言った。
「デリュガン。エルデイン。ボラパ」
それ以外にも、闇をまとったいくつもの魔物たちと。
「そうだな」
ウォリスは頷いた。
「君が闇の表面をなぞったことがある、ということは認めてもいい」
それから、ゆっくりと立ち上がる。
「だが君は、池のほとりに座って水面を眺めるのと、池に飛び込んで底まで潜るのが同じことだとでも?」
それ以上の会話は不要だと言わんばかりに、ウォリスはアルマークに背を向けた。
はっきりとした拒絶の意思がその背中から伝わってきて、アルマークも声を掛けられなかった。
ウォリスはそのままゆっくりと歩き去っていった。




