剣
翌朝のことだった。
アルマークは早朝から一人、庭園を歩いていた。
まだ日の上らないこの時間は冷え込みも厳しい。
昨日までのクラン島での暑さが、本当に嘘のようだな。
アルマークは思った。
世界には、不思議なことがまだまだたくさんある。
白い息を吐きながら、アルマークは庭園を奥まで歩いた。
その背には、相棒の長剣があった。
懐かしい重さ。
旅の間、ずっとともにあった重さだ。
アルマークは庭園の奥の、植え込みに囲まれた人目のつかない場所で足を止めた。
剣を鞘から抜く。
目の前に、幻の敵。今日は、その姿はどこか“銀髑髏”ギザルテに似ている。
アルマークは、ゆっくりと剣を構えた。
目の前の敵と、向き合う。
それだけで、神経が研ぎ澄まされていく気がした。
やはり、僕は傭兵の息子なんだな。
それを改めて感じる。
命が、剣と結びついている。
アルマークは一歩踏み込んだ。剣を振るう。
鋭い風切り音。
幻の敵が、それをかわした。にやり、と笑った気がする。
だが、この使い慣れた重さとバランス。
あの島にお前を持って行っていれば。
アルマークは思った。
ギザルテやアンゴルと、もう少しいい勝負ができたかもしれないな。
もう一度、剣を振るう。幻の敵はまだ捉えられない。
肩にじわりと痛みが走った。
クラン島でギザルテに受けた傷。
痛みはいずれなくなるだろう。だが、傷跡は残る。
アルマークはまた一歩踏み込み、剣を振るった。
それでいい、と思った。
無傷のまま成長していけるほど器用ではない。僕は、身体に刻み込まれた傷とともに、強くなる。
剣を大上段に振り下ろした。
ようやく、幻の敵が断ち切られて消える。
すぐに次の敵が現れた。今度は槍使い。
アルマークはそちらに構え直す。
身をよじる。
突き出された槍をかわしざまの、一撃。
剣が鋭い音を立てる。
ああ。いいな。
こうして剣を振るっていると、無心になれる。心の中にあった余分なものが、汗とともに流れ落ちていくような感覚。
シンプルでいいんだ、アルマーク。剣にそう言われている気がした。
難しく考えすぎる必要はない。
シンプルなものほど硬く、強い。
アルマークは、時間を忘れて鍛えられた金属の塊を振るい続けた。
遅い冬の太陽が顔を出し、アルマークは汗だくで植え込みの陰を出た。
自分の長剣をこんなに振るったのは久しぶりだった。剣の手入れだけは欠かさなかったが、それでもここ最近は試験勉強続きで、本気で剣を振るうことはほとんどなかった。
お前、弱くなったな。
ギザルテの言葉が、脳裏に蘇る。
僕は、弱くなったのだろうか。
アルマークは考えた。
魔術師としての道を進んだ先。
傭兵として、戦場で剣を振るった先。
僕の強さは、そのどちらにあるのだろうか。
そもそも、僕の求める強さとは。
強さ。
その言葉に、アルマークは不意にウェンディの顔を思い出した。
その時、寮の方から、すらりとした女子生徒が歩いてくるのが見えた。
レイラだった。
「レイラ」
アルマークが声をかけると、レイラは眩しそうに目を細めてアルマークを見た。
「早いわね」
そう言って近づいてくると、アルマークの背負う剣に目を止める。
「今日は、剣の練習?」
「ああ、うん」
アルマークは頷く。
「気分転換にね」
「あなたの魂は、剣と結びついているんだものね」
レイラはそう言って真剣な顔で頷いた。
「聞いたわ、ウェンディから。クラン島でのこと」
「そうか」
アルマークは頷いて、右手をレイラに差し出す。
「おかげで、もうこの中に蛇はいなくなったと思うよ」
レイラは、その手を覗き込む。
「感じるの?」
「いや」
アルマークは首を振る。
「正直、本当にいなくなったのかどうかは分からない。けれど、クラン島で戦った相手は間違いなく闇だった」
「そう」
レイラは、風で揺れる長い髪を手で押さえた。
「“門”と“鍵”」
レイラはそう言ってアルマークの目を覗き込んだ。
「ウェンディとあなたにそんな大きな運命が課されていたなんて、知らなかったわ」
「うん」
アルマークは頷く。
「僕にもあまり実感はないけれど」
そう言って、苦笑いする。
「それでもこうして時々、闇が僕にそれを思い出させようとしてくる」
「私は、自分でもずいぶん大きなものを背負っているつもりでいたけれど」
レイラはアルマークから目を逸らし、空を見上げた。
「あなたたちの方がはるかに大きなものを背負っていたのね」
「比べるものではないと思うよ」
アルマークは首を振る。
「僕やウェンディのは、急に降りかかってきたものだ。でも、君のは」
そう言って、レイラの整った顔を見る。
「自分から立ち向かうと決めたことなんだろ」
レイラは微かに笑って首を振った。
「ウェンディからその話を聞かされた時、後悔したわ」
「え?」
「私もあなたの言う通り、クラン島へ行けばよかった」
レイラはそう言って、普段の彼女よりも少しだけ子供っぽい表情を見せた。
「私も闇の魔術師と戦いたかった」
「ああ」
アルマークは頷く。
「君やトルクなら、それは悔しがるだろうと思っていた」
「それに」
レイラは、アルマークの背負う剣の柄を見た。
「私、あなたがその剣を振るうところをまだ見たことがないもの」
「剣を?」
アルマークは目を瞬かせた。
「だってあなた、泉の洞穴ではマルスの杖を振り回していたでしょう」
「ああ」
アルマークは苦笑する。
確かにそうだった。あれが、マルスの杖を杖として使った最初の戦いだった。
「武術の授業で使う剣や、劇で使った木の剣じゃなくて、あなたのその本物の剣」
レイラは言った。
「話には聞いていたから、気にはなっていたの」
「そうなのかい」
アルマークは腕を組む。
「でもこの剣は島には持っていかなかったよ。向こうでも、マルスの杖を使って戦ったんだ」
アルマークは、幽霊船の上での戦いについては、ウェンディにも詳しくは話していなかった。ただ、船の上で拾った剣で亡霊のような敵と切り結んだ、とだけ伝えていた。
隣で聞いていたモーゲンも、それで大体の事情を察したようで、何も聞いては来なかった。
“銀髑髏”ギザルテのことは、ウェンディに話すには記憶に新しすぎたし、“陸の鮫”アンゴルの話をするのは、アルマーク自身が辛かった。いずれにせよ、北の傭兵の話をウェンディたちにはしたくはなかった。
「そう。その剣は持って行かなかったの」
レイラはそう言った後で、不意に不思議な表情でアルマークを見た。
「ねえ」
その声が、わずかに弾んだ。
「じゃあ、今見せてくれないかしら」
「え?」
「あなたが、剣を振るうところ」
レイラは言った。その目に、何か切実な色があった。
「見たいの」
「別にいいけど」
アルマークは頷いた。
「見ても面白いものじゃないと思うよ」
そう言ってから、ふと思い出して付け加える。
「昔、旅芸人の一座にいた時に、人に見せる剣を少し練習したんだ。そっちの方がいいかな」
「ううん」
レイラは首を振った。
「シンプルなのでいい」
そう言って、アルマークが剣を握るのをじっと見つめる。
「あなたがいつも振るように、自然に振ってほしいの」
「分かった」
アルマークは頷いて、レイラから少し距離を取る。
剣を抜くと、レイラが息を呑んだ。
「本当に長いのね」
「劇では、モーゲンが短めに作ってくれたからね」
アルマークは答えて、剣を構えた。
いつも振るように。
アルマークの目の前に、また幻の敵が現れる。
ゆっくりと間合いを取る。
レイラはアルマークから目を離さない。
幻の敵が動く。
アルマークは機先を制するように一歩踏み込むと、剣をそのまま水平に振り切った。
びゅん、という重く鋭い風切り音が朝の庭園に響き渡る。
斬った。
アルマークは剣を構え直して、次の敵に備える。
「ありがとう」
レイラの言葉に、アルマークは振り向いた。
「もういいのかい」
「ええ」
レイラは微笑んでいた。
「また、いつか見せて」
「こんなことでよければ」
アルマークは剣を下ろした。
「いつでも、何度でも見せるよ」




