見送り
翌日の朝早くに寮の倉庫前に集まったアルマークたちは、ちょうど三日前のアルマークたちと同じようにテントを担いで出ていく1組の生徒たちに出くわした。
「おう、アルマーク」
フィッケが元気な声で手を振り上げる。
「聞いたぜ。2組は一泊延ばしたんだって?」
「おはよう、フィッケ」
アルマークは微笑む。
「うん。そうなんだ」
「負けねえぞ」
フィッケはにやりと笑って拳でアルマークの胸を叩く。
「俺たちは二泊延ばしてやる」
「ばかか、お前は」
フィッケの首が後ろから引っ張られ、おかしな音を立てた。
「ぎゃあ」
フィッケが悲鳴を上げる。
「一泊で十分だ」
その背中を乱暴に叩いて、テントを軽々と担いだエメリアが通り過ぎていく。
「大丈夫かい、フィッケ」
「首が! 俺の首が!」
悲痛な声を上げながら、フィッケがぎくしゃくとエメリアの後をついていく。
「カラー! 俺の首が」
「うん。もげてないから大丈夫」
ウェンディと笑顔で話していたカラーはフィッケを見もしないでそう答えると、話を続ける。
「いつまでそうしているんだ。船に乗り遅れるぞ、カラー」
アインが顔をしかめてそう言って、その脇を歩いていく。
コールやフレインといった男子たちだけでなく、女子でもエメリアはもちろんカラーまでがテントや支柱を分担して持っている中で、アインは自分の荷物以外何も持っていない。
「アイン。君は何も持たないのかい」
アルマークがそう声をかけると、アインは肩をすくめた。
「まだ君はこの僕にそんなことを言うのか」
「え?」
「僕は、頭脳労働専門だ。分担を決める苦労は全て僕が負った」
そう言うと、アルマークの肩を叩いてアインはフィッケたちの後に続いていく。その後ろを、ようやくウェンディとの話を終えたカラーが追いかけた。
「行ってらっしゃい」
アルマークが言うと、アインは少し意外そうに振り向いた。
「行ってらっしゃい、か」
「おかしいかい」
「いや」
そう言って、表情を少し緩める。
「君にとっても、出ていく人を送り出す場所になったんだな。この学院が」
きょとんとするアルマークを尻目に、アインは身を翻した。
「ああ。行ってくるよ」
「アイン。かっこつけてないで私の半分持ってよ」
「断る」
不満そうなカラーを見もせず、アインは歩き去っていった。
1組の出発を見送った後で、アルマークたちは井戸から冷たい水をくみ上げてテントを洗った。
「向こうのベンチが、この時期一番太陽が当たるんだ」
モーゲンが植え込みの向こうのベンチを指差す。
「干すなら、絶対あそこだよ」
「さすがモーゲン。日当たりのいい場所に詳しいね」
アルマークが感心し、ネルソンが笑う。
「野良猫みてえだな」
わいわいと賑やかにテントを運び、ちょうど照らし始めた太陽にきちんと晒すように干した後で、アルマークたちは寮から離れた人気のない庭園のベンチに移動した。
アルマークとウェンディは、そこでネルソンたちにもう一度改めて自分たちの話をした。
話はやはりウェンディが中心となって、クラン島での話よりももう少し詳しい内容に踏み込んだ。
アルマークはところどころでモーゲンとともにぽつりぽつりと補足した。
仲間たちは皆、その話を真剣な顔で聞いた。
今回の件も学院長やイルミス先生に報告するつもりだ、と言ってウェンディが話を終える。
ネルソンが真っ先に、おう、分かった、と言った。
「今は、なんていうか」
ネルソンはじれったそうに手の指をグネグネと動かした。
「うまい言葉が出てこねえけどよ」
そう言ってアルマークを見る。
「俺も力になるぜ」
「ありがとう」
アルマークは微笑んだ。
「君が力になってくれるなら、心強いよ」
「私たちも」
ノリシュが言う。
「何ができるのか分からないけど」
「うん」
セラハも頷く。
「力になるよ」
「ありがとう」
ウェンディが頷く。
「みんな、本当に」
「お礼を言われるようなことじゃないよ」
レイドーが言った。
「これはもう君たちだけの問題じゃないんだからね」
「そうだぜ」
ネルソンが頷く。
「あの闇の魔術師は、俺たち全員に向けて、殺してやるって叫んだんだからな」
「ああ。その通りだ」
頷くレイドーの目に、静かな闘志が燃えていた。
「僕はね、アルマーク。あの魔術師みたいに、できもしない大きなことを言うだけ言って逃げていく人間が一番嫌いなんだ」
「できもしない大きなこと」
アルマークは目を見張る。
できもしないことではなかった。
あの闇の魔術師がアルマークたちをその魔力で圧倒していたのは事実だったからだ。
もしもあのまま戦ったとしたら。
あの男の魔術はアルマークたちを容赦なく蹂躙しただろう。
ライヌルの罠がなければ、みんなどうなっていたか分からなかった。それほどの魔力だった。
だが、レイドーはそれを、できもしないこと、と断言した。
あの魔術師の強大さが分からないレイドーではない。
それでも、その目には抑えきれない闘志が燃えていた。
「あいつはきっと、邪魔さえ入らなければ僕たちを簡単に殺すことができたと思っているだろうね」
レイドーは口元を歪めた。
「舐めた野郎だ」
その言葉遣いに、アルマークだけでなく、皆がレイドーを見る。
「ごめん。兄の口癖でね」
レイドーは、もういつも通りの口調に戻っていた。
「何か気に食わないことがあるたびに、いつもそう言うんだ。僕はそれがあまり好きではなかったけれど」
そう言って、穏やかに笑う。
「でも、兄弟だからかな。本当に頭に来たときは、僕もつい無意識に出てしまうんだ」
「ははっ」
ネルソンが笑った。
「さすがレイドーだ」
そう言って、レイドーの肩を乱暴に叩く。
「お前の言う通りだ。俺たちはあんな舐めた野郎になんか負けねえ」
「ああ。次は、しっかりと思い知らせてやろう」
レイドーは穏やかな口調で言った。
「ノルク魔法学院の生徒を敵に回したら、どうなるのかってことを」
「おう」
デグが笑う。
「今日のレイドーはかっこいいな」
その言葉にガレインも頷く。
「ねえ、勇ましいのは悪いことじゃないけど」
ノリシュが思案顔で、盛り上がる男子の会話に口を挟んだ。
「私たちには戦いの経験がほとんどないのは事実だわ」
そう言って、ウェンディを見る。
「闇について授業できちんと学び始めるのは、中等部からだし」
「そうね」
ウェンディは頷いた。
「私にも、戦いの経験がそんなにあるわけじゃないの」
ウェンディは隣に立つアルマークを見た。
「私もモーゲンも、必死にアルマークについていっただけだから」
「うん」
モーゲンも頷く。
「アルマークを信じてついていったら、何とかなったんだ」
「君たちがいなかったら、僕はとっくにこの世にいないよ」
アルマークは言った。
「戦い、か」
その経験は、この平和な南の地で積めるものではない。
北だけでなく南でまでこんなにも血を流し、命の危機に晒されてきたアルマークが異常なのだ。
「経験は、蓄積だもの。今すぐどうにかなることじゃないんでしょうね」
キュリメが静かに口を挟んだ。
「そうでしょ、アルマーク」
「ああ」
アルマークは頷いた。
キュリメの言う通り、新兵が一夜で歴戦の古強者になることはできない。
でも。
「でも、一度でも戦いを経験したのとしていないのとでは雲泥の差がある」
そう言って、仲間たちを見回す。
「だから、僕には分かるよ。次の君たちは、きっともっと強い」
その時のことを想像すると、口元が緩む。
「あの闇の魔術師の予想なんかよりも、遥かにね」
「そうであることを願うよ」
バイヤーが言った。
「レイドーに言いたいことを全部奪われてしまったけど、僕だって相当に頭にきているからね」
「バイヤーは、血の気が多いよな」
ピルマンがそう言って笑った。
「ケンカはからきしなのに」
「立ち向かうことに意義があるのさ」
バイヤーは答えた。
「結局は、自分で自分に納得できるかどうかなんだから」
「そういえば」
デグが思い出したように言う。
「トルクに、この話はしてもいいのか?」
「僕も、それを聞こうと思っていた」
レイドーも、頷く。
「島に来なかったウォリスとレイラにもだ」
「ああ」
アルマークはウェンディと顔を見合わせた。
アルマークはレイラとは泉の洞穴で、ともに蛇の罠と戦った。だから彼女はある程度の事情は知っている。この話を聞いても、そこまでは驚かないだろう。
ウォリスに至っては、おそらくアルマークたちが知っている以上の何かを知っている。話したところで、多少なりとも驚くかどうか。
後は、トルクか。
「レイラには、私から話すわ。寮にいるし、今日にでも」
ウェンディが言った。
「ウォリスとトルクには、アルマーク。あなたから」
「分かった」
アルマークは頷いた。二人はこの休暇の残り、あと数日間は寮に帰ってこないだろう。
「帰ってきたら、僕から話すよ」
「ありがとう」
ウェンディが微笑む。
「トルクには、俺から話したかったのにな」
デグが残念そうに言うが、ガレインがその肩に手を置いた。
「本人が話すのが、一番いい」
「まあ、そりゃそうだよな」
デグは笑う。
「それじゃあ、とりあえず今の俺たちにできることは」
「おう」
ネルソンが頷く。
「何でもするぜ。言ってくれ」
「うーん、それなら……」
ウェンディは唇に指を当てた。
「とりあえず、卒業試験の勉強かな」
ウェンディが言うと、ネルソンが情けない顔をした。
「そりゃねえぜ、ウェンディ。こんなでかい話をしておいて、結局それかよ」
「でも、今はそれが一番大事だよ」
ウェンディは言う。
「だって、学院で習った魔法は、クラン島で私たちを裏切らなかったでしょ?」
そう言われて、ネルソンは虚を突かれたように黙り込んだ。
ほかの皆も黙り込む。
それぞれが、クラン島での自分たちの魔法を思い起こしているようだった。
やがて、ネルソンが大きく息を吐いた。
「分かってたけどよ」
そう言って、苦笑いする。
「結局、試験勉強するしかねえのか」
「おかえり、ネルソン」
レイドーが優しくその肩を叩いた。
「現実に」




