やり直し
ようやくアルマークの前に姿を見せたウェンディは、やはり少し目が腫れていた。けれど、もちろんアルマークはそれがひどい顔だなどとは思わなかった。
「ウェンディ。君のおかげで」
アルマークは右足を元気に振り上げてみせる。
「ほら」
その動きに、ウェンディは安心したように微笑んだ。
「よかった」
「ありがとう」
アルマークは感謝を込めてウェンディを見た。
「君のおかげだ」
「私は、別に」
ウェンディが首を振る。
ウェンディがそう言うだろうということは、アルマークにもなんとなく分かっていた。
ウェンディは、アルマークの力になりたい、とは言っても、アルマークの力になったとは決して言わない子だからだ。
だから、アルマークは自らはっきりと言い切った。
「いや。君のおかげだよ、ウェンディ」
そう言って両腕を広げる。
「今、こうして僕が昨日までと同じように立って話ができているのは」
「そんなこと」
ウェンディがうつむく。
「あれだけの傷を治癒術で治すのは、大変だったと思うんだ。君の身体の方こそ大丈夫かい」
「うん」
ウェンディは微かに笑う。
「終わった後で、ネルソンとノリシュが強引にテントに押し込んでくれたから。そのおかげで気を失うみたいに眠っちゃった」
そう言って、上目遣いにアルマークを見た。
「だから、もう元気」
「それならよかった」
アルマークが微笑むと、ウェンディの瞳が揺れた。
わずかな逡巡の後、ウェンディは顔を上げてアルマークを見た。
「ずっと、あれでよかったのかって悩んでいたの」
硬い表情。そこに、ウェンディの後悔が表れていた。
「あなたを一人であの船に行かせてしまって、本当にそれでよかったのかって」
「そうか」
アルマークは顔をしかめた。
「ごめん」
一人で行くと言ったのはアルマークだ。だが、その責任をウェンディに背負わせてしまった。
しかしこれは難しい問題だった。
正解など、果たしてあるのだろうか。
結果的には、アルマークは一人でアンゴルに打ち勝つことはできなかった。仲間たちの歌の力がかろうじて彼の命を救った。
けれど、もしもほかの仲間たちまで船に乗り込んでいたら。
アルマークに、彼らを気遣い、守る余裕など微塵もなかった。
おそらく、ギザルテを倒すだけで何人もの仲間が傷つき、命を落としていただろう。
アンゴルが出てきた後のことは、想像したくもなかった。
「みんなに、私たちのことを話したわ」
ウェンディの言葉に、アルマークは目を瞬かせる。
「え?」
「“門”やマルスの杖のこと」
「ああ……」
「あなたに相談せずに、話してしまってごめんなさい」
ウェンディはそう言って、目を伏せた。
「でも、話すべきだと思ったの」
「君の判断は間違っていないよ」
アルマークは答えた。
「これだけのことに巻き込んでしまったんだ。みんなには、聞く権利がある」
そう言って、ほかの仲間のほうに目をやる。
二人の会話が聞こえているのかいないのか、仲間たちは皆、焚火の周りで思い思いに過ごしているように見えた。
「時間もなくて、そこまで詳しい話はできなかったけど」
ウェンディはその時のことを思い出したように少し声を上ずらせる。
「みんな、理解してくれたと思うの」
「うん」
アルマークは頷く。
「船の上でリルティの歌が聞こえた。君たちみんなの魔力が乗っていた」
アルマークはそう言って、自分の腿を軽く叩く。
「それで、足が動いたんだ」
アルマークは微笑んだ。
「誰一人欠けず、全員の魔力が乗っていたんだよ。ウェンディ、全員が僕の背中を押してくれたんだ」
「うん」
「だから、勝てた。きっとみんなが君の言葉を理解してくれたんだ」
「うん」
ウェンディは目頭を押さえる。
「ああ、もう今日は泣かないつもりだったのに」
「ごめん」
アルマークが慌てて手を伸ばし、その涙を拭おうとする。
その手を、ウェンディが握った。
「でも、よかった」
「え?」
「これで、蛇の罠は解けたんでしょ? あなたの右手の蛇は、いなくなったんでしょ」
そう言って、握ったアルマークの右手を愛おしそうに撫でた。
「ああ」
そんなことは、すっかり忘れていた。
「そういえばそうだね」
アルマークのとぼけた言葉に、ウェンディは噴き出す。
「なあに、忘れてたの」
そう言って、そっと涙を拭う。
「自分のことなのに」
「自分のことだからかな」
アルマークは答えた。
「多分、だから忘れていたんだ」
二人が焚火の傍に戻ってくると、ネルソンが声を上げた。
「話は済んだのか」
「うん」
アルマークは頷く。
「みんな、ありがとう」
「お前らにいろいろとあるってことは聞いたけどよ」
ネルソンは両腕を頭の後ろで組む。
「難しい話は、学院に帰ってからじっくりと聞かせてくれや」
「え?」
「まさか忘れたわけじゃねえだろうな」
ネルソンはにやりと笑った。
「俺たちはこの島に遊びに来たんだぜ」
その言葉に、アルマークとウェンディは顔を見合わせる。
「遊びに」
ほかの仲間の顔を見ると、全員がネルソンと同様に笑顔だった。
「やり直しだ、休暇の」
ネルソンは宣言するように言った。
「つまらねえ邪魔が入っちまったからな」
その明るい声は、まるで闇が去り日常が戻ってきたことの象徴のように響いた。
「明日まで、のんびり楽しく過ごそうぜ」
「ネルソンにしてはいいこと言うよね」
セラハが笑顔で言った。
「真剣なのは、この島ではもう終わり。ね、ノリシュ」
「そうね」
ノリシュが澄ました顔で頷く。
「ネルソンに言われたのが気に入らないけど」
「お前なあ」
ネルソンが情けない顔をする。
「そういうことで、アルマーク、ウェンディ。今日はもうその話は終わりね。聞きたいことはもちろんいろいろとあるけど、それは帰ってからにしよう」
ノリシュはそう言って二人の顔を見た。
「ね?」
その目が微かに心配そうに揺れた。
「うん」
「分かった」
二人の返事を聞き、ノリシュは微笑む。周囲の仲間たちも安心したように笑顔を見せた。
「じゃあ僕は釣りに行ってこようかな」
モーゲンがそう言って大きく伸びをした。
「もう一回夕食作らなきゃならないわけだからね」
「僕は、山に薬草を採りに行くか」
「お前は少し慎め」
バイヤーの言葉にネルソンがすかさず口を挟み、皆が笑った。
それから、時間は穏やかに過ぎた。
前日と違い、魚はあまり釣れなかったが、それでも別に構わなかった。
モーゲンはやはり途中から昼寝を始めたし、アルマークたちは野良猫と戯れたりしてのんびりと過ごした。
前夜の死闘のことは、誰も口にしなかった。
海岸に落ちたはずの幽霊船の木材は、どういうわけか、全く残っていなかった。
あれだけの量の木が一晩で流されてしまうわけはない。だが、船の痕跡は全て忽然と消え去っていた。
砂浜に大量に湧き上がるように現れた骸の戦士たちも、その残骸はもちろん、剣や鎧も何も残っていなかった。
ただ、波打ち際に一本だけ、戦いのあった証のように錆びた剣が刺さっていた。
広場の高台から遠目に見たアルマークは、それがギザルテに渡された剣であることに気付いた。
昨夜あれを使ったときは、あんな風に錆びついてはいなかったのに。
「剣、だね」
いつの間にか隣に立っていたウェンディが言った。
「呪いの触媒」
「……ああ」
アルマークは頷く。
貨幣。書物。指輪。杖。そして、剣。
やはり罠はアルマークたちの予想した通りの構成だった。
剣を眺めているうちに、アルマークの中ではある考えが膨らんでいた。
「……ウェンディ。前に、闇の内通者がいるって話をしたのを覚えているかい」
アルマークの言葉に、ウェンディは小さく頷く。
「ええ。中等部に、闇の手先がいるかもしれないって」
「うん」
アルマークはまだ自分の考えをまとめきれないでいた。
頭にあるのは、ぼんやりとした予想のようなもの。
けれど、彼の勘は、その考えが正しいであろうことを告げていた。
「この島には、中等部の生徒がたくさん来ていたんだよね」
「ヒルダさんたちのこと?」
「うん。ヒルダさんたちもいたね」
アルマークは頷く。
「でも、あの人たちだけじゃない。その前からほかのグループもたくさん来ていたって船員さんが言っていた」
「ええ」
「確か、幽霊船が出るようになったのは、ここ数日のことだったよね」
アルマークの言葉に、ウェンディは顔を強ばらせた。
「アルマーク。それってつまり」
「分からない。だけど」
アルマークはウェンディの顔を見た。
「気を付けよう。ウェンディ」
中等部に、闇の手先がいるのかもしれない。その疑いはまた濃くなった。
蛇は消えても、まだ闇との繋がりが切れたわけではない。これからもっと卑劣な手段を取ってくるかもしれない。
「うん」
ウェンディは頷いた。不安そうに、そっとアルマークに身を寄せる。
わずかな沈黙。
「ウェンディ。アルマーク」
焚火の方から、名前を呼ばれた。
「そろそろ夕食を作るわよ」
振り返るとノリシュたちが手を振っていた。
「ああ」
「今行くね」
二人は答える。
「アルマーク」
ウェンディがアルマークを見た。
「ネルソンがさっき、やり直しだって言ったでしょ」
「うん」
「だから、私ももう一度言うね」
ウェンディは微笑んだ。
「門のことも、試験のことも」
そう言って、息を吸う。
「この島にいる間だけは、全部忘れて楽しむの」
ウェンディは、アルマークの手を引いた。
「ね?」
ウェンディの瞳が揺れる。
悩みも不安も、消えるわけではない。ずっと自分たちの中にある。それと向き合い、戦うことで僕たちは成長していく。
けれど、時にはそこから目をそらす日があってもいい。
「うん」
そうだ。難しいことは、また後で考えればいいじゃないか。
アルマークはウェンディの手を握り返した。
悪夢のような昨日はもう過ぎた。今僕が過ごしているのは、今日というかけがえのない時間だ。
「そうだね。そうしよう」
アルマークは言った。
「君の言う通りだ」
その言葉にウェンディが嬉しそうに笑う。
向こうでモーゲンとバイヤーが鍋を囲んで何やらごそごそしているのが見えた。
「魚、ほとんど釣れなかったけど夕食大丈夫かな」
ウェンディの言葉に、アルマークは頷く。
「大丈夫。モーゲンなら何とかするさ」
二人は顔を見合わせて笑うと、並んで仲間たちの方へと駆け出した。
第二十章クラン島編はこれで完結となります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
書籍版アルマークも、どうかお願いいたします。




