葬送
霧の晴れた砂浜。
ウェンディが語る信じ難い話を、レイドーたちは皆、息を呑んで聞いた。
途中で口を挟む者は誰一人いなかった。
ネルソンですら、一言も漏らさず耳を傾けていた。
ウェンディは努めて淡々と話した。
冬の屋敷での、北の傭兵の襲撃。
アルマークの右手に仕込まれた、蛇の呪い。
図書館の罠。洞穴の罠。森の罠。
魔術祭での、ライヌルの襲撃。
マルスの杖。“門”。
学院長から語られた、アルマークと自分の運命。
暗き淵の君。
そして、あの幽霊船もおそらくは最後の蛇の罠であろうということ。
「……今まで、そんな戦いをしていたの」
全て聞き終えると、呆然とした表情でノリシュが言った。
「私たちが普通の学院生活を送っている間に」
「隠していて、ごめんなさい」
ウェンディはうつむく。
「もっと早くに言うべきだった」
「本当にそうだぜ、ウェンディ」
ネルソンが真剣な顔で言った。
「水臭えじゃねえか。アルマークも、モーゲンもだ。どうして話してくれなかったんだ」
ネルソンの鋭い目を向けられ、モーゲンも唇を噛む。
「ネルソン」
ノリシュが首を振る。
「単なる隠し事じゃないのよ、これは」
「そうだね」
レイドーが静かに頷いた。
「暗き淵の君」
レイドーも、辺りを憚るようにその名を口にする。
「そんな恐ろしいものがこの世に蘇るための“門”が自分だと言われたら、おいそれと人には話せるわけがない」
そう言って、労わるようにウェンディを見た。
「ウェンディ。むしろ、よく話してくれたよ」
「そうだよ」
セラハがレイドーの意見に同意する。
「私だったら、耐えられないかもしれない。ウェンディ。あなたの話を聞いても、私にはあなたがどうやってその運命を受け入れて今に至っているのか、想像もつかないもの」
「それでも」
ネルソンが声を上げた。
「俺は、話してほしかった。俺のことを信用できねえんじゃなければ」
握りしめた拳が、ぶるぶると震えていた。
「ネルソン」
ノリシュが辛そうな目で何か言いかけて、やめた。
「僕も、ネルソンと同意見だ」
そう言ったのは、バイヤーだった。いつになく厳しい表情をしていた。
「もう他人事じゃない。こんなに危険な目に遭う可能性があると分かっているのなら、ちゃんと話しておいてほしかった」
「ごめんなさい」
ウェンディはうなだれる。
「みんなを危険な目に遭わせてしまって。私のせいで」
「ウェンディだけのせいじゃないよ」
慌ててモーゲンが言った。
「それなら、僕のせいでもあるんだ」
「いいの、モーゲン」
ウェンディは首を振る。
「みんな、今回はたまたま助かったけれど、一歩間違えば誰かが命を失っていてもおかしくなかった。そんなことに巻き込んだのは私のせいだもの」
「違う」
ネルソンが叫ぶ。
「俺が言いたいのは、そういうことじゃ」
「ネルソン、僕が言うよ」
バイヤーがぴしゃりとネルソンの言葉を遮った。
「ウェンディ。モーゲン。誤解しないでくれ」
バイヤーは、うなだれる二人を見た。
「僕は、君たちのせいで危険な目に遭った、なんてことを責めているわけじゃない。僕が言いたいのは、そんなことじゃない」
バイヤーの声が震える。
「僕が言いたいのは、事情さえ分かっていれば、僕だってもっと君たちの力になれたのにってことだよ」
意外な言葉に、ウェンディが顔を上げる。
「だって、そうだろ」
顔を紅潮させて、バイヤーは言った。
「僕は今回、ろくに君たちの力にもなれなかった。怪我をして治癒術を使ってもらって、足を引っ張っただけだった。本当なら、もっとやれたんだ、僕だって」
そう言って、悔しそうに拳を振り上げる。
「空から落ちてきた、あの闇の魔術師だって逃がさずに倒せたかもしれない」
バイヤーは、ネルソンを見る。
「そうだろ、ネルソン」
「おう」
ネルソンが頷いた。その口元が、勝気に緩む。
「さすがバイヤー。分かってるじゃねえか」
ネルソンはウェンディとモーゲンを見た。
「今回は、不意を突かれたからこのざまだった。だけど、それでも俺たちはこれだけのことをやってのけた。次は絶対に負けねえ。あんな連中には、ウェンディにも、アルマークにも、手を出させねえ。返り討ちにしてやる」
そう言って、ノリシュを振り返る。
「なあ、ノリシュ」
頷いたノリシュが、ものも言わず背中に抱き着いてきたのでネルソンはおかしな声を上げた。
「な、なんだよノリシュ」
「やっぱりあんたは騎士だわ」
ノリシュはネルソンの背中に顔をうずめたまま、涙声で言った。
「そういうところが、いい」
「ああ?」
それを見て、デグとガレインがにやにやして顔を見合わせる。
「みんな、ありがとう」
ウェンディも涙声で言った。
「ごめんなさい」
「もう謝らないで、ウェンディ」
ネルソンの背中から顔を上げて、ノリシュが言う。
「一番つらかったのは、あなたたちなんだから」
「そうだよ」
セラハが頷く。
「これからは私たちも力になる」
「そうだ、それじゃあ僕たちも乗り込むかい」
ピルマンが言った。
「あの幽霊船に」
その言葉に、ウェンディがはっと海を振り返る。
波打ち際に乗り上げた船。
その甲板から、また新たな瘴気のようなものが沸き上がりつつあった。
「まだ、戦ってるのかよ。アルマークは一人で」
ネルソンが呟く。先ほどの闇の魔術師との戦いで疲労困憊している自分たちと比べて、アルマークのなんとタフなことか。
「よし。加勢に行くか」
「それは、やめたほうがいいと思う」
遠慮がちにそう言ったのは、キュリメだった。
「魔力もほとんど使い果たした今の私たちが行ったところで、アルマークの足手まといにしかならないと思う」
「そんなの行ってみなけりゃ」
ネルソンはそう言いかけたが、ほかの仲間たちが辛そうにうつむくのを見て唇を噛む。
空元気は一番の得意技だった。だがそれでもネルソンとて、魔術師としての訓練を三年も受けてきた少年だ。自分たちのありのままの現状を考えれば、キュリメの言葉が正しいのは火を見るよりも明らかだった。
「こんな俺たちが行ったって、アルマークの足を引っ張るだけか」
ネルソンは悔しそうに呟いた。
だから、事前に言ってくれって言ったんだ。そうすりゃあもう少しマシに戦えた。アルマークの力になることだってできたのに。
「何かねえのかな」
ネルソンはじれったそうに声を上げた。
「俺たちにできることが、何か」
「ありがとう、ネルソン」
ウェンディが震える声で、気丈に答える。
「でも、今はアルマークを信じるしかないの」
信じる。
そう決めたから。
ウェンディの顔を見て、モーゲンが辛そうに顔を歪めた。
「ねえ」
か細い声。
だが、一斉にみんなが振り向いた。その声に、強い意志が込められていたからだ。
「私、歌うね」
リルティだった。
「アルマークに届けたい歌があるの」
「歌、か」
レイドーが眉を上げる。
「それなら、足手まといにならなくて済むか」
「できたら、みんなの魔力を貸してほしい」
リルティは言った。
「相手はみんな、死体みたいな魔物だったでしょ。それなら、きっとあの歌が力を持つはずだから」
「あの歌」
ウェンディが目を瞬かせる。リルティは頷いた。
「ええ」
強い意志と決意を込めた瞳で、リルティは言った。
「北の歌。アルマークが教えてくれた」
アンゴルの巨体が迫る。
肩、足。それともほかのどこか。もうどこが痛むのかも分からない。
だが、ここが生死の最後の分かれ目だ。それだけは分かった。
霞む目を必死で凝らすアルマークの耳に、突然その歌が聞こえてきた。
この歌は。
アルマークは耳を疑った。
我らは見た
汝 戦いしさま
「嘘だろ」
ギザルテが声を上げた。
「まさか、こんなところで」
アルマークも目を見開く。
これは、北天の歌だ。北の戦士が、仲間を弔うために歌う歌。
得物振るい 挙げし首級
その勇ましき武勲を
リルティの震えるような歌声が、船を包む。
そこに、仲間たち全員の魔力が乗っていた。
何て優しくて、力強い魔力だ。アルマークは一瞬自分の痛みを忘れる。
アンゴルの動きが止まった。槍の穂先が、獲物を見失ったかのようにふらふらと揺れる。
アルマークは息を吸った。
我らは見た
汝 斃れしさま
その歌声とともに、アルマークは最後の力を振り絞った。
ネルソンの魔力が乗っていた。
ありがとう、ネルソン。君の勇気が僕に。
アルマークは倒れこむように甲板を駆けた。
地に伏した誇り高き躯
レイドーたち男子の魔力が力強くアルマークの背中を押した。
ありがとう、みんな。あと数歩でいい。僕を走らせてくれ。
アルマークの足は、崩れることなく甲板を蹴った。
北の葬送の歌声に包まれたアンゴルの巨体は、ぐらぐらと揺れた。だが、その槍の穂先がようやくアルマークに向けてぴたりと定まる。
その戦士の勲の末期を
ノリシュたち女子の魔力が、アルマークの視界を晴らした。
霞んでいたアルマークの目にも、ごく一瞬、隙だらけで揺れるアンゴルの姿がはっきりと見えた。
ありがとう、みんな。いつも僕を助けてくれて。
アルマークは歯を食いしばって剣を振り上げる。
我らは見る
汝の魂が北天に駆けるさま
モーゲンの魔力。
ああ、そうだ。モーゲン。そういえば、君が言ってくれたんだった。
空を切り裂いてアンゴルの槍が伸びる。凄まじい速度の突き。
だが、アルマークはそれを紙一重でかわした。
剣を持った僕は、無敵だと。誰にも負けないんだと、君が。
アルマークは全体重を乗せた剣を、アンゴルの首筋に叩きこんだ。
戦士よ 迷いなく
真っ直ぐに帰れ
ウェンディの魔力が、アルマークの剣に最後の力を与える。
僕が帰るのは、まだあの星のもとじゃない。
アルマークは残った全ての力を振り絞る。
僕は帰る。君のもとに。
生きて、帰る。
鎧ごとたたき割るように、アルマークの剣がアンゴルの首を刈り取った。
揺るぎなきあの星のもとまで
その最後の一節を、アルマークも口ずさんだ。
首を失ったアンゴルの巨体がゆっくりと崩れる。その身体から、霧のような黒い煙が立ち上って、溶けるように消えた。
「戦士アンゴル」
アルマークは呟いた。
「僕はいつか、本当のあなたともう一度勝負がしてみたい」
戦士の誇りを持ったあなたと。その時は、自分だけの力で勝ちたい。
闇のアンゴルは答えなかった。
がらんどうのようになったその鎧が、大きな音を立てて甲板に散らばった。
それを見届けたアルマークはふらりとよろけた。
「ここで、北の弔いの歌が聞けるとは思わなかったぜ」
その声に、踏みとどまって振り返る。ギザルテだった。
「生き返ってみるもんだな」
ギザルテは口元に皮肉な笑みを浮かべていた。
「ギザルテ」
かりそめの命の刻限が迫り、その身体が徐々に崩れ始めているのを、アルマークは痛ましい目で見た。
「あなたは強かった」
「知ってるよ」
ギザルテは肩をすくめる。
「俺とアンゴルに勝ったんだ。お前、つまらねえ相手に負けるんじゃねえぞ」
そう言ってアルマークを睨むと、にやりと笑って付け加える。
「特に、魔術師なんて名乗る連中にはな」
消滅を前にしても変わることのないその飄々とした態度に、アルマークは同じ北の人間として深い感銘を覚えていた。
「弔いの歌は」
そう尋ねてみる。
「あなたの心にも届いたのかな」
届いていてほしかった。最後は穏やかに逝ってほしかった。
「届くかよ」
ギザルテは即答した。
皮肉な笑み。最後までギザルテはギザルテのままだった。
だが、その傭兵としての姿勢が、アルマークにはひどく懐かしかった。
「知らねえのか、俺がどうして“銀髑髏”なんて呼ばれていたのか」
ギザルテは崩れゆく顔でアルマークを見た。その酷薄な目を、誇らしげに細める。
「髑髏は、涙なんか流さねえからだ」
それが最後だった。“銀髑髏”ギザルテの身体は崩れて消えた。




