邂逅
アルマークの全体重を乗せた剣が、ギザルテの身体を貫いた。
その勢いで、アルマークの身体はそのままギザルテの身体に激しくぶつかる。
ギザルテはその細身からは想像できない頑強さでそれを受け止めた。
アルマークの目が、ギザルテの忌々し気に細められた目を見上げる。
「この、嘘つき小僧が」
ギザルテがアルマークの顔を覗き込んだ。
「腕で、目で、嘘ばかりつきやがる」
そう言って、口元を歪める。
「何が魔術師だ。てめえ、立派な傭兵じゃねえか」
目を見開いたアルマークの頬を、ギザルテがいきなり左手で殴り飛ばした。
避けることもできず、アルマークはまともに拳を受けて吹っ飛ぶ。
その拍子に、アルマークの手は剣の柄から離れた。
戦場で剣から手を離すことなど、決してあり得なかった。
だが、精も根も尽き果てていた。
アルマークはそのまま甲板を転がった。
命を懸けるということが、全霊で戦うということが、こんなにも過酷なことだったとは。
こんなにも精神をすり減らすことだったとは。
北にいた頃は、これが日常だった。
アルマークは、自分が気付かぬうちに南の安穏とした暮らしにすっかり慣れていたのだと痛感する。
身体が、戦いを忘れていた。
手にも足にも、もう力が入らなかった。今更のように全身が、がくがくと震えた。
「へっ」
倒れたままで起き上がることもできないアルマークの様子を見て、ギザルテは鼻で笑う。
と、不意にその口からごぼりと血を吐いた。
「くそ。なんてざまだ」
真っ赤な口でそう漏らして自分の剣を捨てると、腹に突き刺さったままのアルマークの剣の柄に両手をかける。
「同じ相手に二回も負けるなんてよ。俺も焼きが回ったぜ」
力任せに剣を引き抜いたギザルテは、噴き出す血にも構わず、それをアルマークの方に放り投げる。
「返すぜ。まだ使うだろ」
剣は乾いた音を立てながらアルマークの方へと転がった。
その意図が分からず戸惑った顔で見上げるアルマークを、ギザルテは笑って見やると、よろよろと船べりへと歩いた。その足元を、たちまち血が濡らしていく。
「いてえな、くそったれが」
空を見上げてそう罵ると、ギザルテは船べりにもたれかかった。
ようやく上半身を起こしたアルマークの目の前で、ギザルテはそのままずるずると座り込んだ。
「刺されたのが腹でよかったぜ」
ギザルテは笑った。
「まだ、もう少し見られそうだ」
「見られる?」
アルマークは眉をひそめる。
「何をだ」
「決まってるだろうが」
ギザルテは薄く笑う。
「お前の戦いをだよ」
「僕の、戦い」
アルマークはギザルテを見た。
まだ戦おうというのか。
だが、腹を貫かれてもはや立ち上がることもできないその身体では、とても戦えるようには思えなかった。
それに、今ギザルテは、戦いを“見る”と言った。
「どういうことだ」
「お前、まさか」
ギザルテは笑いながらそう言いかけて、こみ上げてきた血に激しくむせた。咳き込むたび、花びらのような真っ赤な血が床に散る。
しばらくうつむいて咳き込んだ後で、ギザルテは顔を上げた。
凄絶な表情をしていた。
「俺を倒せばめでたしめでたし、だとでも思っていたのか」
ギザルテは言った。
その言葉とともに、アルマークの右手がざわりと反応する。
まさか。
アルマークは全身の血の気が引いていくのを感じた。
北の傭兵、“銀髑髏”ギザルテ。
蘇った、恐るべき強敵。
一流の傭兵を相手にして、アルマークは全力を使い果たした。
命のありったけを剣に込めて、ぎりぎりのところでついにギザルテを貫いたのだ。
もう、戦う力なんて残っていない。
それは自明だった。
だが、右手の震えが止まらない。
今までになく強い震え。
全身にうまく力が入らない。立つだけでもやっとだった。
戦うことなんて、できるはずがない。
それでも、アルマークは床に転がる剣を拾い上げた。
それはもはや本能に近い動きだった。
「ほら、おいでなすったぜ」
ギザルテが首をのけぞらせて帆柱の方を見た。
アルマークもつられてそちらに目をやる。
ゆっくりと柱の陰から現れたその姿を見て、アルマークは目を疑った。
巨漢だった。
ギザルテよりもさらに長身、巨躯。
全身を包む鈍色の鎧が、月明かりを反射していた。
携えた長大な槍の穂先も、鎧と同じ光を放っている。
顔をすっぽりと覆う兜の口元にあしらわれた、牙。
「そんな、まさか」
アルマークは呟く。知らず、声が震えた。
「あなたが、なぜ」
それを聞いてギザルテが低く笑った。
見間違えるはずもなかった。
北にその名も高きガレット重装傭兵団。そこで長きにわたりエースを務める、天地に隠れなき勇士。
“陸の鮫”アンゴル。
かつて、アルマークの胸を一撃で貫き、死の淵に追いやった戦士。
全身をくまなく覆う鎧のわずかな隙間から、煙のように黒い霧が漏れた。
「闇……」
アルマークは目を見張る。
蘇ったギザルテや彼の配下の傭兵たちとは違う。
それが直感で分かった。
この戦士は、闇に包まれている。
「そいつは俺たちとは違うぜ」
アルマークの心を読んだかのように、ギザルテが言った。
「俺たちは、この船の上でしか生命を保てねえ。船を下りればたちまち灰になっちまう。だが、そいつはどこへでも行ける」
ずしり、と鎧の戦士は一歩踏み出した。それとともに立ち上る、禍々しい気配。
「勘違いするなよ」
ギザルテは楽しそうに言った。
「こいつは“陸の鮫”じゃねえ」
「“陸の鮫”じゃないだって。違うぞ」
アルマークは首を振る。
「僕は知っている。この人は」
忘れるはずもない。この男は、父と引き分け、アルマークをまるで寄せ付けなかった、北の剛勇。
「“陸の鮫”アンゴルだ」
「姿はな」
ギザルテは答えた。
「だが、本人じゃねえ」
そう言って、低く笑う。
「こいつはお前の恐怖心が作り出した影だとよ。本物は北の戦場でぴんぴんしてるか、それとももう死んだか。その辺は俺ももう知らねえが」
「僕の、恐怖心が」
アルマークは、その巨漢の戦士を見た。
アンゴルは、無言で歩を進める。
その威圧感。それは記憶に残るあの日のアンゴルとまるで変わらなかった。
だが、確かに血の通った人間のようには見えなかった。
「ここでお前がそいつを倒さなけりゃ」
ギザルテは言った。
「そいつは、船から降りるぜ」
船から降りる。
それが何を意味するのか、アルマークが理解するのに少しかかった。
「それは、つまり」
「殺すぜ」
冷徹な傭兵の口調で、ギザルテは言った。
「お前の仲間も、この島の人間も」
アルマークの脳裏を、仲間たちの顔がよぎる。
「なんたって、“陸の鮫”の影だからな。力は本物と遜色ねえ」
嘲笑うようなギザルテの声と同時に、鈍色の巨漢がまた一歩踏み出す。
アルマークの肩の傷が、思い出したかのように激しく痛み始めていた。




