剣
モーゲンはウェンディの涙を見つめて、唇を噛む。
自分の無力さに腹が立った。
「僕たちじゃ、アルマークの力にはなれないのか」
「違う」
ウェンディは首を振った。
「まだ、何かあるかもしれないって」
ウェンディは涙声を振り絞る。
「だから、私たちにこっちのみんなを頼むって」
「こっちのみんなをって」
モーゲンは絶句した。
「いつも、信頼のかけ方が大きすぎるんだ、アルマークは」
そう呟いて首を振る。
「僕がどれだけ優秀な人間だと勘違いしてるんだろう」
モーゲンが勇気を奮い、勇敢に戦うことができるのは、自分が勇敢な人間だからではない。少なくとも、モーゲン自身はそう思っていた。
僕は、ウェンディやネルソンとは違う。
彼らのような、本当に勇敢な人間とは。
僕が勇敢に振る舞うことができるのは、そこにアルマークがいるからだ。
アルマークが、僕を信じて背中を預けてくれるからだ。
だから、アルマークがいなくなった後で、そんな大役を任されたって。
「分かってあげて、モーゲン」
ウェンディが言った。
「ごめんなさい」
「そんな、ウェンディが謝ることじゃ」
モーゲンはそう言って、うつむいた。
「本当につらいのは、君じゃないか。僕にだって、そのくらいは分かるよ」
「あれ、アルマークはどうしたんだ」
不意に、ネルソンが辺りを見回して声を上げた。
「姿が見えねえぞ」
「いいの」
ウェンディが顔を上げて、そう声を上げた。
「探さないで」
「いや、ウェンディ。何言ってるんだよ、こんな状況で」
言いかけたネルソンは、ウェンディの目にいっぱいに溜まった涙を見て口をつぐむ。
ほかの仲間たちも、驚いたようにウェンディを見た。
「……まさか」
口を開いたのは、レイドーだった。厳しい表情をしていた。
「あの幽霊船に行ったのかい。一人で」
頷くウェンディに、セラハが息を呑む。
「そんな。どうして」
「追いかけましょう」
真っ赤な目で、ノリシュが言った。
「今ならまだ間に合うわ」
「違うの」
ウェンディは首を振った。
「行かせてあげて」
「……どういうことなの」
唖然としたように、ノリシュが呟く。
「さっきの霧や骸骨や、闇の魔術師。いったい、何が起きてるの。あなたたちは、それを知っているの」
それは、ノリシュたちからしてみれば当然の問いかけだった。
だがウェンディは答えなかった。何も言わず、辛そうにうつむく。
「そうなのかい、ウェンディ」
レイドーがウェンディの硬い表情を見て静かに言った。
「君たちはさっきの連中やあの船について、何か知っているのかい」
「レイドー」
モーゲンはたまらず口を挟んだ。
「あの、これはその」
だが、うまい言い訳の言葉は出てこない。
「モーゲン。君も何か知っているのか」
逆にレイドーにそう問われ、モーゲンは言葉に詰まる。
「いや、なんていうか」
嫌な汗をかきながら、モーゲンは思った。
ほら。僕にはウェンディの秘密を守ることだってできやしない。
ああ、僕もウォリスやアインくらい頭が良ければよかったのに。
「無理に話す必要はないのよ」
そう言ったのは、キュリメだった。
「ウェンディ。あなたが話したくないのなら」
しばしの沈黙。
「いいえ」
ウェンディは首を振った。
「話すわ」
その声に、誰も触れられないような気高い響きがあった。
「ウェンディ」
モーゲンがうろたえた声を上げる。
「いいのかい」
「ええ。ありがとう、モーゲン」
ウェンディは言った。
「今までみんなに黙っていて、ごめんなさい」
そう言って顔を上げたウェンディの、壮絶な美しさ。
決意を秘めたその瞳の強さに、仲間たちは息を呑んだ。
砂浜をまっすぐに横切り、海に入る。海水が膝まできたところで、船の真下に着いた。
さて。
アルマークが上を見上げると、まるでそれを待っていたかのように、甲板から縄梯子が垂らされた。
アルマークはそれを掴んで強く引っ張る。
縄はびくともしない。
それが確かめられると、アルマークはマルスの杖を背中に背負った。
もうすっかりアルマークの手に馴染んだマルスの杖。
今日まで、ともにいくつもの苦難も乗り越えてきた。
でも、この軽さにだけは、まだ慣れないな。
アルマークは口元を緩めた。
長剣の重さには、安心感があった。命を預け、命を乗せることのできる安心感。
そう思うのは、僕がまだ魔術師になり切れていないからなのかもしれない。
アルマークは縄梯子に手をかけ、ゆっくりと登り始めた。
未練だな。
父に、明日南へ発てと言われたあの日。傭兵への望みはきっぱりと断ち切ったつもりでいたのに。
自分の身に危機が迫り、死が命を撫でられそうなくらいまで近づくと、僕はいつも剣を求めてしまう。
自分の剣でどうやってこの危難を切り開くか、いつも無意識にそれを考えてしまう。
それは、魔術師の考え方ではない。
じゃあ、何が正しい魔術師の考え方なのかと言われれば、まだ分からないのだけれど。
アルマークはイルミスの顔を思い出す。
先生なら、どうするだろう。
少なくともこんな風に、杖を剣みたいに背負って縄梯子を登るような真似、イルミス先生なら絶対にしないだろう。
さあ、切り替えよう。
アルマークは思った。
僕の手に、もう剣はない。
僕はもう、傭兵じゃない。
甲板のへりに手をかけ、アルマークは一気に自分の身体を引き上げた。
甲板に立つと、視界が開けた。船の帆柱に寄りかかる男の姿が見える。
男は、一人だった。
「ずいぶんと遅かったな」
聞き覚えのある、冷たい無機質な声だった。
「おじけづいたんじゃねえかと思ったぜ」
「あなたにまた会うことになるとは思わなかった」
アルマークは答えた。
「“銀髑髏”ギザルテ」
へっ、と声を上げてギザルテは口元を歪めた。
酷薄な笑顔。細身の身体を覆う、抜け目のない雰囲気。その姿は、生前と何ら変わらぬように見えた。
「そりゃこっちの台詞だぜ、黒狼のガキ」
そう言って、柱から身を起こす。
その腰には、あの日冬の屋敷でアルマークと打ち合った剣を佩いていた。
「お前を殺さにゃならんのだとよ」
ギザルテは言った。
余分な感情を交えない、彼らしい言い草だった。
「死んでも傭兵は傭兵だ。雇い主のご意向は聞かねえとな」
そう言って、ギザルテは腰の剣を抜く。
アルマークは距離を保ったまま、マルスの杖を握ると、構えた。
「うん?」
ギザルテが目を細める。
「お前、そんなもんしか得物がねえのか」
ちっ、と舌打ちして、ギザルテは後ろを振り向いた。柱の陰から、一振りの剣を持ってくると、無造作にアルマークの足元に放り投げる。
「ほらよ」
ギザルテは言った。
「生きてる時なら、こんなことはしねえでさっさと殺しておしまいにするんだがな。今夜はサービスだ」
ギザルテは、唇を酷薄に歪める。
「木の棒を振り回すガキの相手をするために目ぇ覚ましたわけじゃねえんだ、こっちも」
その剣は、ちょうどアルマークの長剣と同じくらいの長さだった。
拾い上げようとしないアルマークに、ギザルテが苛立った声を上げる。
「おら、早くしろ」
剣の刀身が、月明かりに反射して光を放つ。
剣。
アルマークは息を止めて、その剣を見つめた。




