反撃
哀れな骸たちが氷漬けにされた、即席の棺。
砂浜に出来上がったそれを上空から見下ろし、闇の魔術師グラングは牙を剥くようにして笑った。
「どこまでも面白い子供たちじゃないか。こちらの予想を何度も上回ってくる」
素直に認めたグラングは、ふと考える仕草をした。
「骸はまだまだいるが、それもそろそろ飽きたな。まあいい、霧で圧殺してあげようか」
そう言って掲げた両手が、不穏な闇の色を帯びる。霧のカーテンが揺らめいた。
「敵が上にいるとして」
レイドーが声を潜める。
「どうやって攻撃するんだい。この霧じゃ相手の姿は見えない」
「うん」
アルマークは頷いて、目の前の視界を遮る霧に目を向けた。
「だから、この霧を使わせてもらおう」
「え?」
きょとんとしたのはレイドーだけではない。ネルソンもモーゲンも皆、要領を得ない顔をする。だが、彼らの表情に構わず、アルマークはウェンディを振り返った。
「ウェンディ。君にはやっぱり風をお願いしたいんだ」
「ええ」
ウェンディもやはり曖昧な顔で頷く。
「もちろんいいけど。でも、風をどうすればいいの」
「うん。霧が僕たちの周りに来ないように、風を吹かせておいてほしい」
「さっきまでと一緒っていうこと?」
「そうだね。でも、さっきまでよりももっと重要な役目だ」
アルマークはそう言って、ぐるりとほかの仲間の顔を見回した。
「ほかのみんなには、稲光の術を使ってほしいんだ」
「稲光の術?」
ノリシュが目を瞬かせる。
「どこに向かって?」
「霧だ」
アルマークは答えた。
「レイラが以前、教えてくれた」
それは泉の洞穴での、魔影との戦いでのことだった。
あなたの霧に、私の稲光の術を乗せる。
レイラはアルマークが出した霧に、自分の稲光の術の電光を“乗せ”、魔影を一網打尽にしたのだ。
「この霧を利用させてもらう」
アルマークは言った。
「みんなの全力の稲光の術を、この霧に“乗せる”」
アルマークの言葉に、ネルソンが口元を緩める。
「おもしれえ。敵の魔法を逆手にとってやるわけか」
「ああ」
アルマークは頷いた。
「だから、ウェンディには霧が絶対に僕らの方へ来ないよう、風の壁を作ってほしいんだ」
「分かったわ。確かに重要な役目ね」
ウェンディが頷いた時だった。
霧の壁が不意にゆらめいた。
それと同時に、みしり、と圧迫感が強まる。
「霧が濃くなった」
ピルマンが呟く。
「重いよ。息苦しくなってきた」
ピルマンの言う通りだった。霧の密度がいつの間にか増していた。まるでどっしりとした泥のような重さを伴ったかのような錯覚。そして、呼吸することすら困難にさせるような圧迫感。
「敵が次の手に出てきた」
アルマークは顔をしかめる。
「この霧を払うのは、ウェンディ一人じゃ苦しいかもしれない」
「やれるわ」
「僕もやる」
ウェンディの声を遮るようにそう声を上げたのは、バイヤーだった。
「バイヤー。大丈夫かい」
アルマークは、まだ血の気のない顔をしているバイヤーを見て言った。
「君は怪我が治ったばかりだろう」
怪我が治っても、失った血がすぐに戻るわけではないことを、アルマークも経験から知っていた。
「無理はしないでくれ」
「無理だってするさ」
バイヤーは答えた。
「知ってるだろ、僕は足手まといになるのが嫌いなんだ。足手まといになるくらいなら出ない方を選ぶんだよ、武術大会の時みたいに」
そう言って、薬湯の蓋を開け、一息に飲み干す。
「でも、これは不参加ってわけにはいかないだろ。だったら、難しい役目は僕にやらせてくれ」
バイヤーは強い目でアルマークを見た。
「ここでやらなきゃ足手まといのままじゃないか。僕はそんな自分が許せない」
「君は足手まといなんかじゃない」
アルマークは答えた。
「でも、バイヤー。君の気持ちは分かった。君に頼むよ」
「ありがとう」
バイヤーが緊張した顔で、それでも笑顔を作る。
「アルマーク、お前はどうするんだよ」
ネルソンに問われ、アルマークは少し口元を緩めた。
「申し訳ないんだけど、僕はみんなの後に回らせてもらいたいんだ。それで、デグ。相談がある」
アルマークの説明に、デグはにやりと笑って頷いた。
「いいぜ、任せてくれ」
「決まったわね。それでいきましょう」
ウェンディの言葉にセラハが頷く。
「うん。始めよう、この重い霧に包まれちゃう前に」
「ああ」
ネルソンが頷く。
「やろうぜ」
ふう、とモーゲンが息を吐いた。
「これで終わるといいな。じゃあ、薬湯を飲むよ」
まだ薬湯を飲んでいなかった全員が、覚悟を決めたように瓶の中身を飲み干す。
「うぅ。覚悟はしていてもまずいものはまずい」
モーゲンのその言葉が合図だったかのように、ウェンディとバイヤーが両手をかざした。
風が、アルマークたちの周囲に渦巻き、霧を吹き飛ばしていく。
だが、先ほどまでよりも明らかに重い、どろりとした霧が風を阻むように上から垂れ下がってくる。風が、思うように霧を晴らせない。
「頑張ってくれ、ウェンディ、バイヤー」
アルマークは叫んだ。稲光の術には、力が要る。これ以上、風を使うことに人は割けない。
頼む。
アルマークの願いが届いたかのように、バイヤーが歯を食いしばって唸り声をあげた。
風が力を増す。
「いいよ、バイヤー。その調子」
ウェンディがそう声をかけ、自らもさらに風を強めた。アルマークたちの周囲から霧が飛ばされ、視界が晴れた。
「今だ」
アルマークが叫ぶ。その号令一下、モーゲンやネルソンたち残りの十人が一斉に稲光の術を放った。
魔法の霧に、それぞれの電撃を乗せる。電光は、霧を伝って上へ。
「あっ」
足元の霧がたちまち電光に包まれるのを見て、グラングはとっさに立ち上がって身を離した。
だが、それでも電光の方が一瞬速かった。火花とともに体に痛みが走る。
「ガキども」
グラングの顔が一瞬、獣のような形相に変わった。
十人の渾身の稲光の術を乗せられて雷雲のように変わった霧を見下ろし、グラングは凶悪な笑みを浮かべる。
「そんなに残酷な死が望みか。ならばいいだろう」
そう言って、両手を乱暴に大きく振るった。
腐臭。
凶悪な魔力が発散する。
海岸を覆っていた霧が、雷撃の魔力とともに全て霧散した。
月の光が地上に降り注ぎ、視界が開ける。
「直接、殺してやろうじゃないか」
そう言って眼下の少年たちを見下ろした時だった。
「今だ、デグ!」
アルマークは叫んだ。
霧が電光に包まれれば、敵は絶対に霧を消すと思っていた。
視界が開けたこの一瞬がチャンスだ。
デグが腕を大きく振る。ペンで宙に真一文字の線を引くイメージ。
まるで矢のような勢いでアルマークは空中に飛びあがった。
デグの浮遊の術。
「なっ」
空中で目を見開くグラングのごく近くまで飛び上がったアルマークは、渾身の魔力を込めたマルスの杖を振り上げた。
当てたければ、近付け。
それはグリーレストとコルエンから教わった、杖の試練の成果の一つ。
「このガキ」
そう叫んだグラングとアルマークの視線が交錯する。
身を切るような風切り音とともに、アルマークはマルスの杖を振り下ろした。杖から、凝縮された魔力に包まれた空気の塊が射出される。
気弾の術。
「その程度の魔法で」
グラングは腕を振るって空気の塊を弾こうとした。だが意表を突かれたという動揺が、彼ほどの魔術師をして、その質を見誤らせた。
気弾を弾くはずの腕が、逆に大きく弾き返される。
「ばかな」
目を見開くグラングを、硬く凝縮された空気の塊が襲う。かわしきれずに肩をしたたかに打たれ、体勢を崩したグラングは、そのまま地に墜ちた。




