執事姿の男
アルマークは目の前に立ちはだかる骸骨の戦士を風で吹き飛ばす。
それは彼らを倒すためではない。進む道を切り開くため。
「ウェンディ、常に風を」
アルマークは言った。この霧の中では、視界の確保が最も重要だ。
「うん」
ウェンディはアルマークの言葉が終るのを待たず、三人の周囲を取り巻くような風を作り出した。それと同時に、頭上の鬼火が光を増す。
「ありがとう」
視界が明瞭になる。無論、それは目の前わずか十歩程度の範囲ではあるが、今のアルマークたちの命をつなぐ距離だった。
「モーゲンは、後ろを」
走り出しながら、アルマークは叫ぶ。
「わかった」
モーゲンは自分たちの背後に不可視の盾を展開する。これで、突然の攻撃が後方から来てもとりあえずは防ぐことができる。
立ち上がろうとした骸骨戦士たちの足元を、アルマークの風が薙ぎ払った。
それは、トルクとの魔法勝負でアルマークが何度も転ばされた風を真似したものだ。
砂を巻き上げて転倒する骸骨戦士の上をアルマークが飛び越す。
「えいっ」
「うわっ」
その裾を掴んだ二人も、それぞれに声を上げて飛び越えた。
骸骨本体は簡単には倒せない。
アルマークは、自分の目の前にさらに立ちふさがった新手の骸骨に目を向ける。
それならば、その危険を減らす。
「どーん!」
アルマークの気合とともに杖から放たれた風切りの術が、骸骨戦士の持った錆びた剣を根元から叩き折った。間髪入れずに放った風で骸骨を転倒させる。
その脇を、三人が駆け抜ける。踏み砕いた波が足元で跳ねた。
アルマークたちが骸骨の戦士を倒すことよりも、先へ進むことを優先し、道を切り開き始めたその様子を、はるか上空から興味深そうに眺める視線があった。
不定形のはずの霧の上に、それがまるで白いソファででもあるかのように腰かける男。
特に人の目を引く特徴もない、若い男だったが、その口元には隠し切れない邪悪な笑みが浮かんでいた。
「成長している」
男は言った。
「魔法が使えるようになったのか、あの傭兵の少年は。見違えるようだな」
そう言って、微笑む。
まるでそれは、教え子の成長を喜ぶ若い教師のようでもあり。
「連れてきた甲斐があったな。わざわざ、北の果てからあのミレトスまで」
男は言った。
「薄汚い傭兵どもを」
男は魔術師のようであったが、ローブもまとわず、杖を携えてもいなかった。代わりに、まるで貴族の忠実な執事然とした黒い服を身にまとっていた。
「今回もぜひ楽しんでもらえるといいんだがね」
男は呟く。
「そうだな、ほかの部外者の子たちには、早々にこの世から退場していただいて」
男は面白いことを思いついたように微笑む。
「……骸の仲間になって、彼らを襲ってもらうのも面白そうだ」
歪む口元から、牙のようなものが微かに覗く。
腐臭。
「それが仲間の死体だったとしても、ああやって無造作に飛び越えていけるのかな。傭兵の少年も、“門”のお嬢様も」
彼の眼下には、アルマークたち三人と同じように骸の戦士に囲まれている七人の少年少女がいた。
彼らを包囲する輪が徐々に狭まっていくのを男は楽しそうに見た。
「北の戦士は、非情だよ。南の君たちには想像もつかないほどね」
それは、レイドーたち後続の七人だった。
最低限の荷物を持ってアルマークたちを追いかけてきたものの、たちまちこの海岸に張り巡らされていた霧に囲まれてしまった。
ばらばらになってはいけない、という先入観が彼らの頭にあったことが、かえって事態を悪化させた。そうでなければ、異変を感じた段階でこの海岸から離れるという選択肢も当然にあっただろう。だが、彼らはアルマークたちとはぐれるまいと、その姿を探して海岸を深く進み、結果、音も視界も遮る霧の中で孤立した。
そこに、アルマークたちと同じように骸骨の戦士たちの襲撃を受けたのだ。
まずピルマンが腕を浅く切られ、倒れた。
レイドーやノリシュが風の魔法で時間を稼いでいる間にセラハが治癒術で治療をしたが、アルマークやウェンディたちのように闇との実戦経験のない彼らは、たちまちのうちに骸骨の戦士たちに包囲されてしまっていた。敵を近付けまいとそれぞれが魔法を使うが、恐怖心が先立ち、魔法は威力のわりに思ったほどの効果を上げなかった。
前に立つレイドーとノリシュに徐々に疲労の色が濃くなっていた。
「そうだね。君たちは、彼らのようには戦えない」
上空から見下ろす男はそう言って口元を緩めた。
「だって、君たちはそのために魔法を学んでいるわけではないのだから」
骸骨の戦士たちは霧の中から出入りを繰り返し、波状攻撃を仕掛け始めていた。それに対し、レイドーたちはアルマークたちのようには敵の本質を見抜けないでいた。
「ほら。北の剣がもう届くよ」
男のその言葉通り、輪の中の少年が一人、斬りつけられて倒れた。
「まず一人」
男は低く笑う。
別の少女が斬られて倒れ、慌てて仲間が自分たちの輪の中に彼女を引き込んだ。
「これで二人」
男は楽しそうに数える。
「かわいそうに。この島には遊びに来ただけなのにね」
まるで同情心のかけらもない声で、男は言った。
「恨むなら……そうだな。紛れ込んできた北の異分子を恨みたまえ。彼さえいなければ、少なくとも君たちは平和な学院生活を送ることはできただろうに」
包囲の輪がさらに狭まる。
「ああ、これは残りの五人はいっぺんに終わってしまうかな」
男は笑う。
その時。
「む」
男は顔をしかめた。
「これは」
「待って、アルマーク!」
ウェンディが叫んだ。
「止まって!」
アルマークは前方に骸骨の戦士が見えないことを確かめて、足を止める。
「どうしたんだ」
振り向いたアルマークを見て、ウェンディは息をつきながら耳に手を当てた。
「聞こえるでしょ」
「聞こえる?」
アルマークは眉をひそめる。
この霧に包まれて以来、聞こえるのは自分たち三人の声や息遣いだけだ。波の音すら聞こえず、敵の骸骨の戦士たちも極めて静かに襲ってくる。
だが。
「ほんとだ」
モーゲンが目を見張った。
「僕にも聞こえるよ」
「これは」
アルマークもその聞き覚えのある声に目を見開いて二人を見た。
「リルティの歌だ」
リルティの歌が、海岸に響いていた。
聞き間違えるはずもない。
魔術祭の劇。そのクライマックスで、デミガル王の野望を挫けさせた、あの美しく力強い歌声。
それが、音を吸収してしまうはずの霧を貫いて、アルマークたちの耳にはっきりと届いていた。
そうか、これは。
アルマークは理解する。
「魔唱の術だ」
歌声に魔力を乗せる魔法。リルティの美しい歌声が、勇気を鼓舞する響きを伴って三人の胸に届く。
歌に乗せられている魔力は、きっと一人や二人のものではない。この霧を貫くためには膨大な魔力が要るだろう。レイドーたちのグループのほとんどの魔力がリルティの力強い歌声に乗せられているのではないか。
「向こうから聞こえるわ」
ウェンディが指差した方角に、アルマークは迷わず駆け出した。
「行こう」
「うん」
モーゲンとウェンディがアルマークのすぐ後ろに続く。
魔力を乗せた歌が海岸中に響き渡ると、骸骨の戦士たちの動きは目に見えて鈍くなった。
「なんだ、この忌々しい歌は」
海岸の上空。執事姿の男は不快そうに呻いた。
「こんな歌が、霧のカーテンを超えるだと」
その眼下、まるで霧など存在しないかのように一直線に仲間に向かって走るアルマークたち三人の姿を見て、男の笑みが消える。
「このガキども」
低い、怒りを抑えた口調。
「しぶといな」
霧が一瞬開けた。
アルマークの目に、傷ついて膝をつき、それでも仲間を庇おうと手をかざすレイドーとノリシュの姿が見えた。
その後ろで、力強い歌声を響かせるリルティと、その歌声に魔力を注ぎ込むバイヤー、ピルマン、キュリメ、セラハの姿も。
セラハとピルマンは傷を負ったキュリメとバイヤーの身体に治癒術の手をかざしながら、そしてそのキュリメとバイヤーも自らの傷を省みることなく、それぞれが全力でリルティの歌に魔力を注ぎ込んでいた。
「みんな!」
アルマークは叫びながら自分と彼らの間を遮る骸の戦士を薙ぎ払った。
弾かれたように横に吹き飛ぶ戦士を見て、レイドーが叫ぶ。
「アルマーク!」
「聞こえた!」
アルマークも叫び返した。
「君たちの歌が!」
「ウェンディ! モーゲンも!」
ノリシュが目を潤ませる。
「無事だったのね!」
「ノリシュたちも」
ウェンディが答える。
「よかった」
リルティの声が、ひときわ力強く響き、骸の戦士たちがまるでそれを畏れるかのように後ずさった。
「南には南の戦い方があるんだね」
アルマークはそう言って、レイドーの前に立った。
その横にウェンディとモーゲンが並ぶ。
「ここは僕たちが引き受けるよ」
アルマークはマルスの杖を構えた。
「さあ、みんなは傷の手当てを」




