骸
さして広くもない砂浜だ。三人が本気で走り出すとすぐに波打ち際に出た。
「こっちだ」
アルマークは、さっき高台で見た、船が近付いてきていた方向へ向かって、波際を駆けた。
時折、大きめの波が足を濡らしたが、今はそれを気にしている場合ではなかった。むしろ、霧に包まれた中で波を感じることは、自分たちが正しい方角へと走るための貴重な手掛かりと言ってよかった。
走る三人の頭上を、ウェンディの鬼火が遅れることなくぴたりとついてくる。
「確か、もうすぐ」
そう言いかけたアルマークが不意に足を止めた。急に止まれずそのままつんのめりそうになったウェンディの手を強く引く。
そのぎりぎり手前の空間を、何かが一閃した。鬼火の明かりに反射して一瞬きらめいたのは、錆びかけた金属の刃。
「剣」
モーゲンが声を上げた。とっさに立ち止まらなければ、ウェンディが斬られていた。
霧の中からゆっくりと姿を現したのは、剣を握った一体の骸骨だった。ぼろぼろの、かつて鎧だったものが申し訳程度にその身体にまとわりついていた。
「出た、化け物!」
モーゲンが悲鳴を上げる。
その鎧と剣を見て、アルマークは微かに眉をひそめた。
そんな骸骨を、かつて何度も目にしたことがあったからだ。
北の地。
黒狼騎兵団の一員として、または南へと向かう旅の途中で、何度も通りがかってきた場所がある。
かつて戦のあった場所。
それは古戦場に限らない。数年前か。数か月前か。そこで戦が行われた証のように、それらはあった。
錆びた剣。朽ちた鎧。それだけを墓標代わりに眠る、戦士たちの死体。
打ち捨てられたそれは、かつてアルマークの未来の姿でもあった。
その北の戦士の骸が、どうしてこんな南の島に。
それがたとえ闇の罠だとしても、アルマークはひどく場違いな印象を受けた。
骸骨の戦士はアルマークたちの存在を確かめるように頸骨をきしませ、それから再びゆっくりと霧の中に姿を消した。
「ウェンディ、モーゲン」
アルマークは仲間の肩を引き寄せ、マルスの杖を握った。
「離れないでくれ、まだいる」
そう言いざま、マルスの杖に魔力を込めて振るった。がきん、という鈍い音とともに、火花が散る。
霧の中から剣を振るってきたのは、別の骸骨戦士だ。鎧が違う。
「手を離すよ」
ウェンディが息を鋭く吸って、両手を掲げた。
強風の術。
ほとんどが霧に吸収されていくとはいえ、強い風がアルマークたちの周囲の視界を一瞬明瞭にした。
アルマークは目を走らせた。ひとつ、ふたつ、みっつ。
アルマークたちの見える範囲に、骸骨戦士は少なくとも三体いた。
すぐに霧が、まるでそうするよう命じられでもしているかのようにアルマークたちの視界を覆っていく。
「見えるうちに」
アルマークが言い終わらないうちに、モーゲンが手を振った。
光輝く網が地面から湧き出すように現れ、骸骨戦士たちに絡みつく。
アルマークはそれとほぼ同時にマルスの杖を振り抜いていた。
火炎の術。
光の網の中でもがく暇もなく、骸骨戦士たちは炎に包まれた。
「よし」
モーゲンが息を吐く。
「まだよ」
ウェンディが鋭い声を上げた。
「えっ」
モーゲンは目を見開く。
炎に包まれても、骸骨戦士たちの動きは衰えなかった。
光の網の中で、剣を振り、逃れようともがく。
「炎じゃダメか」
アルマークは続けざまにマルスの杖を振った。
風切りの術。ネルソンと練習を重ねた術が、骸骨戦士を吹き飛ばしざまに二つに切り裂いた。
立て続けに残り二体も切り刻む。
「やった」
モーゲンが光の網を消した。
「これなら」
またじわりと霧が視界を包む。
狭くなっていく視界の端で、アルマークは最初に切った骸骨戦士が何事もなかったように立ち上がるのを見た。
「だめだ、また立ってくる」
「そんな」
「落ち着きましょう」
ウェンディの声が凛と響いた。
「私が風を起こして視界を開くわ」
そう言って両手を掲げる。
「あなたたちは、敵をよく見て」
敵を見つめるウェンディの表情の美しさに、アルマークは一瞬目を奪われた。ウェンディは自分が心から信頼する二人の少年に力強く頷いてみせる。
「きっと何かを見つけられるわ。二人の目なら」
その言葉は自信に満ちていた。
「そうだね。魔術師は」
「ありのままを見るんだったね」
アルマークの言葉をモーゲンが継いで頷く。
「行くわよ」
ウェンディの起こした強風に、霧が揺れる。
視界が開け、骸骨の戦士たちの姿が再度露わになる。やはり、燃やし切り刻んだはずの戦士たちは三人とも何事もなかったかのように立ち上がっていた。
アルマークとモーゲンは彼らに目を凝らす。
戦士たちはゆっくりとまっすぐ、三人に向かってくる。
「分かった」
「見えた」
アルマークとモーゲンは同時に声を上げた。
戦士の骨にまとわりつくように、握りこぶしほどの黒い澱みのようなものがあった。場所はそれぞれ違うが、三体それぞれに。
「闇だ」
アルマークはウェンディに言った。
「きっとあの骸を動かしているのはあれだ」
言い終わらないうちに、三体の骸骨戦士を再び光の網が包む。
「僕が押さえる」
モーゲンが言った。
「二人はあの闇をどうにかして」
「引き剝がすわ」
ウェンディが戦士の一体の胸を指差した。そこにあった澱みが胸骨の一部と一緒に浮き上がる。浮遊の術。
「アルマーク」
「うん」
アルマークは空中のそれに向かってマルスの杖を突きだした。
気弾の術。
杖の番人グリーレストに鍛えられたその魔法を受け、胸骨はばらばらに砕けて四散した。
残った澱みが依り代を失ったように揺らめいて落ちてくる。
「汚らわしい」
ウェンディはそのまま浮遊の術で海の彼方に澱みを投げ捨てる。
澱みはたちまち霧の向こうに姿を消し、同時に戦士はもとの骸に戻って地面にくずおれた。
「よし、そのまま」
モーゲンが明るい声を出す。
「どんどん行こう!」
「ええ」
ウェンディが二体目の澱みを剝ぎ取り、それをアルマークが砕く。
力を失って倒れた戦士を見てモーゲンが歓声を上げた時だった。
「危ない!」
アルマークはとっさにウェンディを引き寄せた。全く別の方向から降ってきた刃をマルスの杖で受け止める。
アルマークは剣を押し返し、そのまま杖で新手の骸骨戦士を打ち据えた。
鈍い感触とともに骨が砕け、骸骨の戦士が倒れる。だがすぐに何事もなかったように立ち上がった。
「囲まれたみたいだ」
アルマークの言葉に、ウェンディが再び風を起こす。
視界が開けた瞬間、アルマークは立て続けに気弾の術を打ち込んだ。
新手の三体の骸骨が地に倒れる。だが、それは時間稼ぎに過ぎない。
「おそらくまだ何体もいる」
アルマークは言った。
「倒していたんじゃきりがない。道を切り開くことを優先しよう」
アルマークはマルスの杖を振るって自ら風を起こし、視界を開く。
「離れずに行こう。二人とも僕の裾を掴んで」
「うん」
「分かった」
二人の手が自分の裾を握るのを確認して、アルマークはマルスの杖を握り直す。
「大丈夫。道は開けるよ」
自分に言い聞かせるように、アルマークは言った。
「僕ら三人なら」




