再会
森の奥からセラハとバイヤーの悲鳴が仲良く響き、しばらくしてから、セラハが顔面蒼白のバイヤーを引っ張るようにして帰ってきた。
そのすぐ後で、満足した顔のネルソンたち三人とレイドーも連れ立って広場に戻ってくる。
「レイドー、ちょっとやりすぎだよ」
セラハが恐怖で凝り固まったバイヤーの肩を揉みほぐしながら、レイドーを睨んだ。
「バイヤー、こんな風になっちゃったじゃない」
「ごめんごめん」
レイドーはバイヤーの顔色を見て、さすがに申し訳なさそうに謝る。
「いったい何があったの」
ノリシュが尋ねると、ネルソンが訳知り顔で頷いた。
「いやあ、さすがの俺でもあそこまではできねえよ」
「珍しい薬草が生えてるのをバイヤーが見つけて、喜んでそれを摘んだ瞬間にね」
セラハが答える。
「薬草が全部ムカデとナメクジに変わったの」
「それは」
ウェンディが顔をしかめ、リルティが耳を塞ぐ。
「脅かし役はもうこの一回しかないと思って、ついやりすぎてしまったよ」
レイドーは小さくなって頭を下げる。
「ごめん」
「いやあ、あれはびっくりした。心臓が止まった」
バイヤーがようやく息を吹き返したように言った。
「バイヤー、大丈夫?」
セラハが心配そうにその顔を覗き込む。
「うん。ありがとう、セラハ。もう大丈夫」
そう言って頷くバイヤーの頬を両手で挟み込んで、もう一度しっかりとその顔を確認してから、セラハはようやく頷いた。
「うん。まあこれなら大丈夫かな」
「まったくあんたたちは、ろくなことしないんだから」
腰に手を当てて怒るノリシュの横をすり抜けて、ネルソンが焚火の脇に座る。
「さて、服を乾かさねえと。こっちは誰かさんのせいで下着までびしょびしょだぜ」
「それは、まあ」
ノリシュが言葉に詰まる。
「でも、もとはと言えばあんたのせいでしょ」
「俺は真面目に自分の役目を果たしただけだろうが」
「だからそれが」
「まあまあ、二人とも」
穏やかな声がネルソンたちの言い合いを遮った。
モーゲンだった。
「せっかく遊びに来たのにけんかしてもつまらないし。お菓子でも食べようよ」
そう言って、袋を差し出す。
「僕、今日のためにいろいろと買ってきたんだよね」
緊張感のない言葉に、毒気を抜かれたようにノリシュが口をつぐみ、近くの石に腰を下ろした。ネルソンがさっそく笑顔でお菓子を受け取る。
「まあ、確かに面白かったけどね」
セラハが言った。
「たまには大きな声を出すのもいいわ」
「あ、それ」
ウェンディが微笑む。
「私もさっき、全く同じこと言ったよ」
「あ、ほんと?」
二人が顔を見合わせて笑う。
「俺たちも楽しかったぜ、な」
充実感を顔に滲ませたデグがガレインを振り返り、ガレインも無言でにやりと笑う。
「別に私だって、本気で怒ってるわけじゃないけど」
そう言って口を尖らせたノリシュに、モーゲンが笑顔でお菓子を差し出した。
「はい、ノリシュ。お疲れ様」
「ありがとう」
受け取ったノリシュの脇に、ウェンディとセラハが腰を下ろす。
「モーゲン、私にもちょうだい」
「私は星形のがいいー」
「ぜ、全部はだめだからね」
慌てて釘を刺しながら、モーゲンがお菓子を配っていく。
皆がお菓子を受け取り、それを口にする。
それだけで、尖った空気がいっぺんに和らいだ。
「おいしいね」
ウェンディが言い、アルマークは頷く。
「ああ」
「さあて」
ネルソンが服の乾き具合を手で確かめながら、月を見上げる。
「まだ夜は長いからな。これからどうするか」
「怖い話でもするか」
デグが言うが、すぐにみんなが首を振る。
「もう怖いのはいいよ」
「さすがにさっきまで度胸試しをしたばかりだからね」
「じゃあ、どうしようか」
レイドーが仲間たちの顔を見回した。
「こうやってみんなで焚火を囲んで話すっていうのも、僕は悪くないと思うけどね」
「そうだね」
セラハが頷く。
「普段は、みんなでこんなに夜更かしなんてできないし」
「賛成」
リルティが控えめに言った。
「怖い話以外なら、みんなの話が聞きたいな」
「僕も賛成だな」
お菓子を頬張りながら、モーゲンが言う。
「みんなで好きなことを話して、それで眠くなった人から寝ればいいじゃないか」
「うん。私もそれでいいと思う」
ウェンディが頷く。
「ゆっくり話を聞きたいわ。アルマークの話とか」
そう言って微笑みかけられ、アルマークは困ったように左の脇腹を掻いた。
「え、僕の話かい。そんなに面白い話はないよ」
「そんなに難しく考えることはないよ」
レイドーが言った。
「みんなでのんびり話そう」
「そうね」
ノリシュが頷く。
「こういう雰囲気なら、ネルソンの話も聞いてあげられそう」
「どういう意味だよ」
ネルソンが顔をしかめ、みんなが笑う。
それからアルマークたちは焚火を囲み、思い思いに話し、それぞれの話に笑い、頷き、感想を言い合った。
それはアルマークにとっては、とても幸せな時間だった。
やがて夜も更け、あれだけ寝たはずのモーゲンが大きなあくびをして、そろそろテントに入って休もうかな、と言い出したときだった。
「あ」
不意に、ネルソンが声を上げた。
服がすっかり乾いた後で、焚火の傍は熱い、と言って高台の柵に寄りかかっていたネルソンの目が、今は海に向けられていた。
「おい、あれ」
そう言って、海の彼方を指差す。
「え?」
みんなが何事かと海を見る。
ネルソンの指の先の海。その水面に、一艘の船が浮かんでいた。
比較的大きな、だがひどく荒んだ感じのする帆船。
どこへ向かうでもなく、波に合わせて、その船はただ揺れているように見えた。
「……幽霊船」
キュリメが呟く。
確かに、まるで幽霊船のように見えた。
船の甲板には人の姿はない。
「ただの漂流船じゃないの、あれ」
モーゲンが言う。
「誰も乗ってないよ」
「いや」
ネルソンが興奮を隠しきれない声を上げた。
「こっちに近付いてくる」
「え?」
ノリシュが目を見張る。
「まさか、そんなわけ」
だが、船がゆっくりと旋回し、船首がこちらを向いたのを見て、息を吞む。
「うそ」
「すげえ」
ネルソンは叫んだ。
「幽霊船が、本当に出やがった」
隣に立ったデグの肩を抱き、二人ではしゃいだように笑う。
確かに船は、いまやアルマークたちの眼下の海岸に向かってきているように見えた。
「来る、来る」
デグが叫ぶ。
「おい、下りるぞ」
こらえきれなくなったように、ネルソンが駆け出した。デグとガレインがそれに続く。
三人は海岸へと通じる道を駆け下りていった。
「ちょっと、危ないってば」
「大丈夫だよ!」
ノリシュの言葉に、ネルソンが振り返りもせずに答えた。
「もう、あいつら」
「さすがに危なくなったら帰ってくるだろうけど」
セラハが、そう言いながらもちらりと心配そうな表情を見せる。
「あの三人だって、そこまで分別がないわけじゃないと思う」
「霧だ」
アルマークの言葉に、みんなが振り返る。
アルマークは苦いものを飲み込んだように顔をしかめていた。
「霧を連れてきた」
その言葉通り、いつの間にか、海の上を靄のような霧が覆い始めていた。
それはまるで、ゆっくりとこちらに近付いてくる船から生じているかのように見えた。
「あまり、いい感じがしない」
アルマークはそう言って立ち上がった。
「三人を連れ戻してくる」
「私も行く」
ウェンディも立ち上がる。
「いや、君はここに」
いてくれ、と言おうとしてアルマークは口をつぐんだ。
いつの間にか、船の甲板に数人の人影があった。
だが、霧に遮られて、その姿ははっきりとは見えない。
「誰かいるよ。さっきまでいなかったのに」
ノリシュが言った。その声が震えている。
きらり、と何かが光った気がして、アルマークは甲板に目を凝らした。
あれは。
悪い予感がした。
もしかして。
貨幣。
書物。
不意に、イルミスの声が蘇った。
あれは、夜の森でボラパを倒した後のことだったか。
学院長室で、まるで一つ一つ数えるようにして、イルミスがアルマークたち三人に言ったのだ。
指輪。
杖。
それは、次に来るであろう蛇の罠の推測だった。
最後の罠は、おそらく。
確か、アルマークはその時、そう答えた。
霧が揺れる。
視界がわずかに晴れ、アルマークの目ははっきりと捉えた。
甲板の人影が握る物。アルマークの答え。
剣。
だが、それよりも何よりも。
「見たことあるよ」
目のいいモーゲンが震える手でアルマークの肩を掴んだ。
「僕、見たことあるよ。あいつのこと」
モーゲンはアルマークにだけ聞こえるように囁く。その声も、手と同じように震えていた。
「ねえ、アルマーク。どうしてあいつがここにいるの」
アルマークにも答えられなかった。
自分が見ているものを信じたくなくて、目を見開いていた。
甲板の上のその人物が、アルマークを見て口元を歪めたように見えた。
酷薄な笑顔。
その顔を、アルマークは知っていた。
北の傭兵。
“銀髑髏”ギザルテ。
アルマークの右手が、まるで別の生き物のように激しく震えだした。




