度胸試し
ピルマンとキュリメが茂みの奥に入っていってしばらくして。
「きゃあああああ」
突然、キュリメの悲鳴が聞こえてきた。
広場にいるアルマークたちにもはっきりそれと分かる悲鳴だった。
「あ、すごい」
セラハが呟く。
「キュリメが本格的に怖がってる」
「何やってるのよ、あいつら本当に」
ノリシュが脅かし役のネルソンたちに苛立ったように呟いたそのとき。
「うわあああああ」
次に聞こえてきたのはピルマンの悲鳴だった。
ノリシュがびくりと身体を震わせる。
「ピルマンも叫んでるね」
レイドーが眉を上げる。
「これは本気だね、ネルソンたち」
「もう」
ノリシュがため息をつく。
「本当にばからしい」
やがて、がさがさがさ、というけたたましい音とともに、ピルマンとキュリメが茂みを抜け、広場に駆け戻ってきた。
二人とも転がらんばかりの勢いでアルマークたちのところへたどり着くと、そのまま地面にへたり込んでしまう。
「ちょ、ちょっと大丈夫?」
ノリシュの問いかけにも二人は顔面蒼白で答えることができない。
はあはあ、という荒い息をしばらくついていたが、やがてピルマンが絞り出すように言った。
「怖かった」
その表情を見て、ノリシュがごくりと唾を飲む。
「ピルマン、木の札は?」
アルマークが穏やかに尋ねると、ピルマンは呆然と首を振った。
「無理」
「え?」
「池までもたどり着けなかったよ。木の札なんてとても無理」
「そうか」
アルマークはピルマンの肩に優しく手を置く。
「お疲れ様。ゆっくり休むといいよ」
「うん」
ピルマンは頷く。
「もう無理。怖いのはごめんだ」
「でも、ピルマンえらい」
ウェンディが言った。
「ほら。そんなに怖かったのに」
そう言って、ピルマンの手を指差す。
呆然とへたり込む二人は、それでもしっかりと手を握り合っていた。
「本当だ」
レイドーが微笑む。
「怖くても、手は離さなかったんだな」
やがて、キュリメもようやく人心地がついたようで、はあ、と深く息を吐いた。
「怖かった」
「うん。頑張ったね、キュリメ」
セラハがその肩を抱く。
キュリメはそこでようやく気付いたようで、恥ずかしそうにピルマンの手を離した。
「二人ともお疲れ様」
アルマークはそう言ってノリシュを見た。
「じゃあ、次は僕らの番だね」
「え? あ、うん」
ノリシュはぎくしゃくと頷く。
「そうだったかしら」
「ピルマンたちが帰ってきたら出発だったよね」
アルマークは茂みの暗がりに目をやる。
「あんまり待たせたらネルソンたちにも悪いし。そろそろ行こう」
「少しくらい待たせておけばいいのよ」
ノリシュはそう言ったが、すぐに、はあ、と何度目になるか分からないため息をついた。
「仕方ない。行くか」
ノリシュが自分の隣に並ぶのを待って、アルマークは仲間たちを振り返る。
「じゃあ、行ってくるよ」
「気をつけてね」
ウェンディが手を振る。
「うん」
アルマークはウェンディに手を振り返すと歩き始めた。ノリシュが慌ててその横に並ぶ。
「灯は僕が出すかい」
茂みに足を踏み入れたところでアルマークが尋ねると、ノリシュは一瞬頷きかけて、すぐに首を振った。
「やっぱり私が出すわ」
そう言って、左手の上に炎を出す。
炎が風に煽られるかのように揺れ動くのを見て、アルマークは微笑んだ。
「意外だった」
「え?」
ノリシュが隣のアルマークを振り向く。
「何が?」
「僕は、ノリシュがこういうことが苦手だとは思わなかったよ」
「えっ、別にそんなこと」
ノリシュは否定しかけて、アルマークの穏やかな表情を見て諦めたように頷いた。
「からかわれるのが嫌だから、言いたくなかったんだけど。あなたはそういう人じゃないし」
ノリシュは言った。
「暗いところとか怖い話とかが苦手なわけじゃないの」
「うん」
「でも、その、脅かされたりするのが少しだけ苦手で」
「別に恥ずかしがることじゃないと思うよ」
アルマークは言った。
「誰にでも苦手なものはあるし。正直に言えば、僕も夜の森はすごく怖い」
「嘘でしょ」
ノリシュがアルマークの顔を見る。
「アルマークが怖いわけない」
「本当だよ」
アルマークは言った。
「僕は怖い」
夜の森。鳴り響く笛の音。湧き出し、染み出し、這い寄る闇の眷族ども。救うことのできない仲間たち。
北では、本当に夜の森が怖かった。
「だから、手をつなごう」
アルマークが微笑んで手を伸ばすと、ノリシュは戸惑ったようにその手を見つめた。
それから、おずおずと手を取る。
「うん。よし」
アルマークはその手をしっかりと握り返した。
「ピルマンたちを見習って、離さないようにしよう」
アルマークが言うと、ノリシュは息を吐いて表情を緩めた。
「あなたは本当に不思議な人だわ、アルマーク」
「え?」
「でもありがとう。少し楽になった」
「それならよかった」
ノリシュの笑顔に、アルマークも微笑み返す。
茂みの道は木々や草に遮られ、灯りで照らしても先がほとんど見えなくなっていた。
「そういえば僕は池に行ったことがないんだ」
アルマークは言った。
「ノリシュ、道は分かるかい」
「ええ」
ノリシュは頷く。
「こっちよ」
ノリシュに導かれるままに歩いていくと、不意に足元に霧が漂い始めた。
「やだ」
ノリシュの声が引きつる。
「霧」
「落ち着こう、ノリシュ」
アルマークは囁く。
「霧の流れてくる方向に注意して」
そう言って、足元の霧の流れをノリシュにも確認させる。
「風はほとんどない。ということは、この霧の流れてくる先に術者がいる」
アルマークは言った。
「魔力の流れを感じておこう。次の何かはそっちから来るよ」
「う、うん」
ノリシュが頷いたほんの数瞬後だった。果たして、アルマークの言った方向で魔力が膨れ上がった。と、アルマークたちの眼前に突如不気味な顔が浮かび上がった。
「ひっ」
予想していたこととはいえ、ノリシュが息を呑みアルマークの手をぎゅっと握った。
「大丈夫だよ、ノリシュ。加工してあるけど、あれはガレインの顔だ」
アルマークはノリシュに囁く。
「なるほど、うまいな。陰影を付けるだけでこんなに不気味になるのか」
半ば笑いながら楽しそうに感心するアルマークを見て、ノリシュも気が抜けたように笑った。
「アルマーク、あなたって本当に」
じきにガレインの顔は消えた。
「多分、次はデグだと思う」
アルマークは言った。
「配置を考えると、ネルソンは一番最後、池の近くで待っていると思うんだ」
「私、自信がないわ」
ノリシュが答える。
「ネルソンの顔を見ても、殴らないで我慢できるっていう自信が」
「そこの判断は君に任せるよ」
アルマークは微笑む。
「さあ、行こう」
その後、浮遊術を駆使したデグの仕掛けにノリシュがまた小さく悲鳴を上げる一幕はあったものの、二人は無事、池のたもとに出た。
「石ってあれのことだと思う」
ノリシュが指差したのは、池の縁に半ば水に浸かるように顔を出している、なめらかな表面の、岩と呼んでも差し支えない大きさの石だった。
「そうみたいだね」
アルマークは頷く。
「上に木の札が置いてある」
「ここからでも見えるの」
ノリシュが目を丸くした。
「さあ、ネルソンの仕掛けが始まるよ」
アルマークの言葉にノリシュは緊張した面持ちで頷く。
二人はゆっくりと石に近付いた。
と、不意に生ぬるい風が吹いてきた。その風に、不気味な女のすすり泣きのようなものが混ざる。
「ひっ」
ノリシュが口の中で小さく悲鳴を上げて、アルマークの手を強く握った。
「風の術と、模声の術か」
アルマークは感心したように呟く。
「さすがネルソン。すごいな」
二人が石の前に立ち、木の札を取ろうと手を伸ばしたときだった。
突如、その石全体に無数の顔が現れた。どれも死人のような不気味な顔で、それがアルマークたちを見て一斉ににやりと笑う。
「うわ」
さすがのアルマークも目を見開いて一歩後ずさった。
無数の顔が、大きな口を開けてけたたましく笑い出す。
「いやあぁぁ」
ノリシュがアルマークの手を離して後ろに逃げた。
「だめだ、ノリシュ!」
とっさにアルマークが振り返ると、ノリシュはすぐ後ろの何もない空間に向かって思い切り拳を振るった。
鈍い音とともに、姿消しの術で隠れていたネルソンが姿を現す。
「いってえ!」
「ネルソン、そこにいたのか」
アルマークが目を見張る。
「よく分かったな、ノリシュ」
「あんたは本当に、こういうときばっかり手の込んだことを」
ノリシュが怒りに震える両手を高く掲げた。
「おい、ばか、よせ」
ネルソンの顔が引きつる。その身体がふわりと宙に浮いた。
「池に沈めー!」
「ちょ、うおっ」
「うわああああああ」
広場で順番を待っていたウェンディとセラハは、聞こえてきたその悲鳴に顔を見合わせた。
「今のって」
「うん」
二人で頷く。
「どうしてネルソンの悲鳴が聞こえるんだろう」
ウェンディが不思議そうに呟いた。
「急遽参加したんじゃないのかい」
レイドーが爽やかに笑う。
「ネルソンも、度胸試しに」




