提案
岩場を離れて海沿いの道を戻るアルマークの耳に、野営場の方から、美しい歌声が聞こえてきた。
あれは、リルティの歌だ。
伸びやかな声が、ここから聞いても胸に沁みわたるかのようだ。
アルマークは、少女との邂逅で胸に兆した得体の知れない不安を振り払って、野営場へ駆け戻った。
ちょうど海を見下ろす高台で、リルティが歌っていた。ほかの仲間はみんな、その歌声に耳を傾けている。
三百年の時を経て
石橋の上の騎士は 今も動かないまま
リルティが最後の一節を歌い終えると、真っ先にネルソンが手を叩いた。
その目が真っ赤に充血している。
「いい歌だった」
ネルソンは手を叩きながら、大きく頷く。
「感動したぜ」
リルティが恥ずかしそうにうつむいた。
「ネルソン、また泣いてるの」
セラハが笑って、ノリシュを見る。
「騎士って言葉に弱いよね」
「本当に分かりやすいんだから」
呆れたように答えるノリシュの目も少し赤い。
「お、お前だって泣いたんじゃねえのか」
「うるさいな、こっち見るな」
ネルソンとノリシュのいつもの言い合いが始まったところにアルマークが戻ってきた。
「あ、アルマーク」
少し涙ぐんでいたウェンディが、目の端を拭って声をかける。
「どこに行ってたの」
「ああ、また岩場の方まで」
アルマークは答えてウェンディの隣に立つ。
「猫を撫でてきたよ」
「そう」
頷いてから、ウェンディはアルマークの顔を見ると不意に眉をひそめて囁いた。
「何かあった?」
「何かって?」
アルマークはとぼけた。
せっかくの楽しい雰囲気を、要領を得ない奇妙な話で壊したくはなかった。
「何もないよ。リルティの歌を聞き逃して残念だと思って」
「そう」
ウェンディはアルマークの顔をしばらく見つめた後で、微笑んだ。
「それならいいんだけど。リルティの歌、残念だったね。急に歌うことになったから」
「そうなんだね」
「もう一曲。いや、もう一度さっきの曲!」
ネルソンが人差し指を立てる。
「歌ってくれ! 頼む、リルティ!」
リルティは困った顔をした。
「こうやってみんなに聞かれると、恥ずかしいから」
そう言って、首を振る。
「さっき、リルティはノリシュと二人でいるときに歌い始めたの。それを聞きつけてみんなが集まったから」
ウェンディがアルマークにそっと教えてくれた。
「歌い始めたその一曲は、最後まで歌ってくれたんだけどね」
「恥ずかしがることなんて、何もないのにな」
アルマークは腕を組む。
「素晴らしい歌声なんだから、もっと自信を持っていいのに」
「そうね」
ウェンディは顔を赤くして困っているリルティを見て、微笑む。
「でも、あれがリルティだから」
「うん、そうだね」
アルマークは頷いた。
「そういうリルティの歌だから、胸を打つのかも知れないけど」
「いい加減にしなさいよ。リルティが困ってるでしょ」
ノリシュがしつこく歌をせがむネルソンをたしなめる。
「なんだよ、お前だって」
ネルソンはそう言い返しかけて、急にいいことを思いついたようにぱっと顔を輝かせた。
「よし、分かった。それじゃリルティの歌は諦める」
「な、何よ」
ノリシュが拍子抜けした顔をする。
「意外にあっさり引き下がるじゃない」
「その代わり」
ネルソンは言った。
「度胸試しやろうぜ、度胸試し」
「は?」
ノリシュが眉をひそめる。
「茂みの奥の森に、池があるだろ。あそこの大きな石の上に俺のお手製の木の札を置いてくる」
ネルソンは満面の笑顔で言った。
「それを取ってくるんだ。簡単だろ」
「ばかじゃないの」
ノリシュが顔をしかめる。
「そんなくだらないこと、誰が」
「怖いんだな」
ネルソンはにやりと笑う。
「幽霊船のことも、いろいろと言ってたけど、お前本当は怖いんだろう」
「なっ」
ノリシュが顔を赤くする。
「私は別に。ただ、リルティが」
ノリシュの言葉通り、リルティは度胸試しと聞いただけで、顔を青ざめさせて今にも倒れそうな表情で首を振っている。
「リルティにやれとは言わねえ」
ネルソンは言った。
「嫌がる子に無理になんて、そんなのは騎士のすることじゃねえからな」
「騎士じゃないでしょ、あんたはそもそも」
ノリシュの言葉が聞こえていないふりをして、構わずネルソンは続ける。
「俺とデグとガレインが脅かし役に回る。そうすれば、男子と女子で一人ずつペアになれるだろ。それで順番にひと組ずつ池の石の上から札を取ってくるんだ」
「あんた、ばかなの?」
ノリシュが言い放った。
「リルティが抜けたら、数が合わないじゃない」
「ふふん」
ネルソンは親指で男子のテントを指差す。
テントからは微かな寝息が聞こえてきた。
「モーゲンは起きてこねえ」
「そういえば、夕食の後ですぐテントに入っていったよね」
ウェンディが呟く。
「リルティの歌でも起きなかったのね」
「いっぱい食べていたからね」
アルマークは頷く。
「モーゲンらしいと言えば、モーゲンらしいよ」
「ということで」
ネルソンは勝ち誇ったように言った。
「参加するのは男も女も四人ずつ。ちゃんとペアになれるだろうが」
「ぐっ」
ノリシュが言葉に詰まる。
「え、私達も参加することになってるの」
キュリメが戸惑った声を出す。
「僕らもか」
レイドーもバイヤーと顔を見合わせた。
「私は別にいいけどね。面白そうだし」
明るい声でそう言ったのは、セラハだ。
「でも、ネルソン。しっかり怖がらせてくれるんでしょうね」
「おう、任せろ」
ネルソンが胸を叩いて、後ろを振り返る。
「な、デグ、ガレイン」
頷く二人を見て、セラハが笑う。
「暗いところで見たら、ガレインの顔が怖いんだろうなぁ」
「まあ、僕もやるならやるでいいけどね。脅かし役のほうが面白そうではあるけど」
レイドーが言い、バイヤーも、
「どうせ今夜はもう薬草を取りには行けないしね。別にいいよ」
と頷く。
「アルマーク、どうする?」
ウェンディに尋ねられ、アルマークは首をひねった。
「僕は別にどっちでもいいけど」
そう言って、ネルソンの楽しそうな顔を見る。
「でも、ネルソンがあんなにやりたがってるし、参加するよ。きっと頑張って考えたんだよ」
「そうかなぁ。今思いついたように見えたけど」
首を傾げて、ウェンディはくすりと笑う。
「でも、そうね。じゃあ私も参加する」
「ほれ。ウェンディもセラハもやるってよ」
ネルソンが勝ち誇った顔でノリシュを見る。
「ノリシュ。お前はどうするんだよ」
「くっ」
ノリシュはキュリメを振り返った。
「キュリメはどうするの」
「私も、セラハがやるなら」
キュリメの言葉にノリシュはがっくりと肩を落とす。
「……分かったわよ」
ノリシュはネルソンを睨みつけた。
「やればいいんでしょ」
「おう。決まりだな」
ネルソンは心から楽しそうに言った。
「ペアを決めねえとな。くじ、今から作るからよ」




