夕食
太陽は徐々に傾き始めていた。
アルマークたちは管理人小屋で大きな鍋を借り、小屋の脇から薪をもらってくると、夕食の準備を始めた。
釣り好きのモーゲンが先頭に立ってバイヤーたちと釣ってきた魚をさばいている間に、ネルソンたちが大騒ぎしながら薪を積んで魔法で火をつける。
女子のグループは野営場に来る前に村で買ってきた食材を手分けして切り始める。
モーゲンがこの日のためにわざわざ寮の食堂から借りてきた調味料の小瓶を荷物から取り出し、ウェンディやノリシュと話し合いながら味付けを加えていく。
全員がそれぞれに行動し、思ったことを言って、決して効率的で手際が良いとは言えなかったが、調理の間中はずっと賑やかな笑い声が絶えなかった。
やがて、野菜や魚の切り身のたくさん入った鍋が完成した。
材料を鍋に入れて煮込むだけの簡単な料理だったが、外で作るにはこのくらいでちょうどよかった。
リルティが村で買っておいた付け合せのパンを配る。
大きな鍋で13人分をまとめて作ったので、味付けはかなり大雑把だったが、全員で車座になって食べる鍋はおいしかった。
海からの風が心地よく頬を撫で、火照った身体を冷ましていく。
目の前には、穏やかに談笑する仲間たち。
「おいしいな」
アルマークがぽつりと言うと、隣りに座っていたモーゲンが目を丸くした。
「アルマーク。君がおいしいだって」
「本当ね」
ウェンディも目を瞬かせて頷く。
「初めて聞いたかもしれない」
「そりゃうめえよな」
ネルソンが魚の骨をぷっと器用に吐き出して笑う。
「こんな天気のいい日に、さんざん遊んだあとで、こうやってみんなで食えば何だってうまいんだよ。な、アルマーク」
「ああ、そうだね」
アルマークは初めてそれに気付かされたような気がして、頷く。
「味のよしあしは僕にはあまり分からないけど」
そう言って、輪になっている仲間たちの顔を見回す。
「この雰囲気が、きっとおいしいって言うんだろうなって思ったんだ」
その言葉に、ふふ、とキュリメが笑う。
「そうだね、アルマークの言う通り」
キュリメは優しい目でアルマークを見た。
「これがおいしいって言うんだね」
「うん、おいしい」
ウェンディが頷く。
「おいしくて、よかった」
「正直、味はもう少しどうにかなったと思うんだけど」
モーゲンが言う。
「アルマークがおいしいって言ってくれたから、今日のところはよしとするよ」
「モーゲンは味に厳しいけど、僕はそんなに悪くないと思うよ」
レイドーが言った。
「この量をいっぺんに作って、この味なら上等さ」
「そうそう」
デグが頷く。
「腹に入っちまえば一緒だよ」
「いや、まあそうなんだけどね」
複雑な顔でそう言ったモーゲンの肩をバイヤーが叩く。
「そんなモーゲンに朗報だ」
「え?」
「このミライヒラキの葉を」
そう言って、バイヤーは毒々しい赤い筋の入った葉っぱを取り出した。
「刻んで混ぜるだけで、なんと料理のうまみが何倍にもなるんだ」
「え、ほんとかよ」
ネルソンが目を見張る。
「入れてくれ」
そう言って自分の器を突き出そうとするのを、ノリシュが止めた。
「やめなさい。あの色を見て何とも思わないの」
「え?」
「ミライヒラキって、本物は初めて見たけど確か」
ウェンディがバイヤーの手元を覗き込みながら言う。
「一時的に味覚を何倍にもする作用があるんだよね。だけど副作用で、しばらくしたら舌が痺れて今度は何を食べても何の味もしなくなるはずじゃ」
「正解」
嬉しそうに頷くバイヤーの頭をネルソンが叩く。
「ばかやろう。人におかしなもの食わせようとするんじゃねえ」
「味覚が何倍にも」
アルマークが真剣な顔で手を伸ばす。
「食べてみようかな」
「だめよ、アルマーク」
「バイヤー、それを引っ込めなさい」
ウェンディとセラハが同時に声を上げるが、バイヤーは、いひひ、と笑う。
「実際に食べたらどんな風になるのか知りたいんだ。食べてみてくれると本当にありがたいんだけど」
「自分で食え、自分で」
ネルソンが叫ぶ。
「人に食わせようとするな」
「そうしたいのはやまやまだけど、僕も舌が痺れるのはちょっとね」
「どういう性格してんだよ、お前」
涼しい顔で答えるバイヤーの頭を、ネルソンがもう一度叩く。
なおも真剣な目でバイヤーの手元の薬草を見つめるアルマークを見て、ウェンディが厳しい顔で首を振る。
「だめだよ、アルマーク」
「あ、うん」
アルマークは頷く。
「分かってるんだけどね。どうしても、少し興味が」
「そんな薬草に頼らなくても、ね、モーゲン」
ウェンディはモーゲンを振り返る。
「そうそう」
モーゲンが何杯目か分からないお替りをしながら頷く。
「僕とウェンディで約束したんだ。いつか君が本当においしいと思える料理を食べさせてみせるよ」
「え」
目を丸くするアルマークに、ウェンディは微笑んだ。
「うん。だから、楽しみにしていて」
「いつの間にそんな約束を」
「アルマーク、世の中はね」
ピルマンが訳知り顔で言った。
「自分の見ていないところでも動いているものなのさ」
海の向こうに夕日がほとんど姿を消そうとしていた。
夕食を終え、みんなで鍋や食器を片付けると、自然と、それぞれが自由に過ごす時間になった。
さっそくテントにもぐりこんで安らかな寝息を立て始めるモーゲンや、いまだ元気に追いかけっこをするネルソンたち。焚き火の前ではレイドーとウェンディたちが座って話し始め、セラハとキュリメは高台から海を眺めている。
採ってきた薬草の整理を始めたバイヤーにしばらく付き合った後で、アルマークは一人で海沿いの道を歩いた。
日が完全に沈んでしまう前に、初めて来るこの島の景色をもう一度きちんと見ておこうと思ったのだ。
今日の朝まで確かに冬の寒さの中にいたのに、今は初夏か初秋のような空気の中にいる。
不思議な気分だった。
息を思い切り吸って、島の空気を胸に満たす。
気付けば、モーゲンたちが釣りをしていた岩場の近くまで来ていた。
あまり遠くまで行くと、みんなに心配をかけてしまう。
野営場の方へ戻ろうとして、茂みから野良猫が一匹のそりと顔を出したのに気付く。
しゃがみこんで、ちちち、と舌を鳴らすと、猫は意外に素直にアルマークに近付いてきた。
アルマークの膝に自分の頭をこすり付けるようにして、にゃあ、と鳴く。
アルマークはしばらく猫の顎の下や首の脇を掻いてやったりした後で、周囲がすっかり暗くなってしまっているのに気付いて立ち上がる。
野営場の焚き火の明かりがここからも見えた。
きっとみんなあそこで賑やかにやっている。
そう思うと、自然に口元が緩んだ。
戻ろう。仲間のところへ。
最後に猫の頭を撫でてやってから一歩踏み出したとき、アルマークはその気配を感じた。
足元の猫が、短く鳴いて身体をすくめる。
振り返ると、そこにあの少女がいた。
黒い髪。
白い肌。
闇の中でも、まるで淡い光を発しているのかと錯覚するほどに透き通った肌。
「君は」
アルマークは目を見開く。
「アルマーク」
少女は言った。
「やっぱり、ここへ来たのね」
「やっぱり?」
アルマークは聞き咎める。
「それは、どういうことだい」
「もう回り始めているのね」
少女は悲しそうにうつむいた。
「大きな運命の渦が」
「運命の渦? それはいったい」
アルマークの問いに、少女は無言で首を振る。
「聞いても君は答えてくれないのだろうけど」
アルマークは少女に向き直った。
少女が顔を上げてアルマークを見る。
「君は」
アルマークは言った。
「ウェンディの何なんだ」
「何って」
少女が小首をかしげる。
「どういうこと」
「ウェンディの魔力の声を聞いたとき」
アルマークは思い出す。ウェンディとの補習で、アルマークが治癒術を使おうとウェンディの魔力に集中したときのことだった。
「君の声が聞こえたんだ」
聞いてくれるの。私の声を。
そう囁いたのは、この少女の声だった。
「君はウェンディの何なんだ」
アルマークはもう一度言った。
「アルマーク」
少女は悲しそうな声で、ぽつりと言った。
「偽りの言葉に耳を傾けないでね」
「え?」
「あなたには、選ばなければならない義務なんてないのよ」
不意に足元の猫が鋭く鳴いた。
一陣の風。
少女の姿は消えた。




