冬の休暇
翌朝。
アルマークはいつもどおりの時間に目を覚ますと、今日から授業がないことを思い出して、ベッドの上で大きく伸びをした。
昨夜も遅くまで机に向かった。
朝食まで、もう少し時間がある。
眠気覚ましに外を歩いてみようか。
そう思い立って、制服のローブを肩から引っ掛ける。
寮を出ると、外はまだ闇だった。
アルマークは、左手の上に炎を灯すと、庭園に足を向けた。
確か、夏の休暇初日も朝、庭園を歩いたんだったな。
アルマークは思い出す。
あのとき、険しい顔で学院を出ていくレイラにちょうど出会ったんだっけ。
たかだか半年くらい前のことのはずなのに、それがもうずいぶんと昔のことのように思える。
レイラのここ最近の柔らかな笑顔を思い出しながら、徐々に夜の明け始めた庭園を歩いていたアルマークは、植え込みの向こうから歩いてくる人影に気付いた。
大柄な身体から、白い靄のような蒸気が上がっている。
トルクだった。
冬の冷気の中で真夏のように汗だくになったトルクは、アルマークの姿を見て舌打ちをした。
「朝から、嫌なやつを見たぜ」
「おはよう、トルク。こんな時間から訓練かい」
アルマークはトルクの尋常ではない汗の量に目を見張る。
「そんなに汗をかくまで」
「うるせえな」
トルクは吐き捨てた。
「お前にゃ関係ねえ」
「さすがだな」
以前の補習で何度も地面に放り出されたことを思い出し、アルマークは頷く。
「君のあの魔法の技術は、この鍛錬の賜物か」
「うるせえって言ってるだろうが」
トルクは地面に唾を吐いた。
「しばらくできなくなる訓練をまとめてしてただけだ」
「そうか、そういえば」
アルマークはトルクの言葉に納得する。
「君は今日、島を出るのか」
「今日の昼前にゃ迎えが来る」
トルクは肩をすくめる。
「当分お前の顔を見なくてすむと思うと清々するぜ」
「僕は寂しいけどな」
アルマークは答える。
「君にも、クラン島に来てほしかった」
「行かねえよ」
トルクは口元を歪める。
「たとえ帰らなくたって、行かねえ」
「どうしてだい」
「行く意味がねえからだ」
言いながら、トルクはアルマークの脇をすり抜ける。
「俺にはお前らと遊んでる暇はねえ」
「仲間との時間を大切にするようにって、イルミス先生にも言われたよ」
アルマークはトルクの背中に声をかけた。
「僕は、君との時間も大切にしたい」
「勝手に俺まで仲間に入れるな」
トルクは振り向かずに答えた。
「虫唾が走る」
「君は僕の仲間だ。僕はそう思っている」
アルマークは言った。
「でも、そう思うことに君の許可は求めないよ。どうせ君は認めてくれないだろうから」
「分かってるなら」
トルクは思わず振り向いて声を荒げかけて、アルマークの表情を見ると首を振って舌打ちした。
「おかしな野郎だ。勝手にしろ」
「ありがとう」
アルマークは微笑む。
トルクは忌々しげに顔を歪めると、歩き去っていった。
アルマークはしばらくその背中を見送った後、また庭園をゆっくりと歩き始めた。
その日の午後には、帰省する学生たちの家族や迎えの者が学院を訪れ、寮の前はまたひとしきり賑やかになった。
とはいえ、初等部のほぼ全員が帰省した夏の休暇と違い、冬の休暇は帰省する生徒のほうが少数派だった。特に卒業試験を控えた3年生はほとんどが寮に残ることを選んだ。
アルマークは自室の窓から生徒と家族や近親者との再会の様子を見下ろし、その中から、荷物を背負った召使いと一緒に歩き去っていくトルクを見付け、その背中に声をかけたが、トルクは振り向きもしなかった。
召使いだけが申し訳なさそうに振り向いて頭を下げた。
冬の休暇は、授業がないこと以外はまるで普段通りの日々だった。
アルマークは、日中は自室や図書館で座学の勉強をし、補習の時間になると魔術実践場へ赴いてクラスメイトとともに魔法の練習に励んだ。
勉強が行き詰まって気分を紛らわしたくなったときは、寮の談話室を覗けば誰かしら知り合いが見つかった。
夏の休暇の頃と違い、今ではほかのクラスや下級生にも多くの友人がいる。
アルマークは勉強の気分転換に、クラスメイトとの他愛ないお喋りを楽しむ以外にも、アインやフィッケと遊戯盤を囲んだり、コルエンやポロイスと武術の練習をしたりして過ごした。
旅行の日が近付くと、アルマークはモーゲンやネルソンたちと一緒に寮の倉庫からテントを引っ張り出して、虫干しをした。
毎日は穏やかに、だが飛ぶように過ぎた。
クラン島への出発を翌日に控えた日のことだった。
図書館での勉強を終え、アルマークは寮への道を歩いていた。
前日、ウェンディとの二度目の補習で再び試験対策に取り組んだアルマークは、一度目の失敗を教訓にして着実な上達を見せ、ウェンディを感心させた。
だが、やはりウェンディが差し出した足に自らの魔力を注ぎ込むことはできなかった。
ウェンディも、それについてはもう何も言わなかったが、また彼女の期待を裏切ってしまったという思いは、アルマークの心に影を落としていた。
今日は本来であればウォリスの二回目の補習に当たる日だったが、彼は休暇前夜に島を出てしまっているので、補習はなくなり、明日の出発に備えることになった。
足早に寮へと急いでいたアルマークは、前方に同じように寮へと向かうレイラの姿を認めた。
レイラもどうやら魔術の訓練か自習の帰りのようだった。
「レイラ」
アルマークが声をかけながら小走りに駆け寄ると、レイラは振り向いて、ああ、と声を上げた。
「あなたも帰りなの」
「うん」
アルマークは頷いてレイラの隣に並ぶ。
「レイラも練習の帰りかい」
「ええ」
レイラは表情を変えることなく頷く。
「そういえば、あなたたちは明日からクラン島に行くんだったわね」
「うん。レイラは来ないんだったね」
「ええ」
「君が来たら、みんな喜ぶと思うけどな。きっと船にもあと一人くらいなら乗れるよ」
アルマークの言葉に、レイラは口元をわずかに緩ませる。
「気を使ってくれているのね。ありがとう」
「いや、そういうことじゃなくて」
アルマークは口ごもる。
「本当にそう思うから」
「あなた、私が行かない理由を何だと思ってるの?」
レイラがそう言ってちらりとアルマークを見た。
「それはもちろん」
アルマークは答える。
「レイラは勉強が忙しくて、それどころじゃないから」
「半分正解ね」
レイラは言った。
「半分だけかい」
アルマークは驚いてレイラを見た。
「あと半分は、なんだろう」
「知ってるでしょ。私は大勢で一緒にわいわいやるとか、そういうのが苦手だって」
「そうかもしれないけど」
アルマークは声に力を込める。
「でも、行ってみたら楽しいかもしれないよ。そういうことって結構あるじゃないか」
「そうね」
レイラは素直に頷いた。
「行ってみたら楽しいかもしれない」
「そうだよ」
アルマークは頷く。
「行ってみようよ」
「でも、行かないわ」
レイラは微笑んで首を振った。
「どうして」
「楽しかったとしても、私は必ずいらいらするもの」
「いらいら」
アルマークは眉をひそめる。
「誰にだい」
「そこで楽しんでいる自分によ。こうして遊んでいるときにだって、やれることがあるはずなのに、こんなことしてる場合なのかってね」
「それは」
アルマークは真剣な目でレイラを見た。
「きっと自分を追い詰めすぎだよ。たまには息を抜くことも必要だって」
「イルミス先生が言ってたんでしょ」
アルマークの言葉を先回りしてレイラはそう言うと、前を向いた。
「私は、勉強の息抜きは勉強でするわ」
「レイラ」
困った顔のアルマークを見て、レイラは微笑んだ。
「心配してくれてありがとう」
それから、そっと付け加えた。
「楽しんできて」




