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実践場に戻ると、もうラドマールの姿はなかった。
「今日は随分と慌てて、逃げるように帰っていった」
一人残っていたイルミスがそう言って、微笑む。
「今日で、クラス全員一回りしたのかね」
「はい」
ウォリスが頷く。
「明日はまたネルソンが来ますが。みんな、一通りは教えたはずです。もう後は彼次第ですね」
そう言ってアルマークの肩を叩く。
「そうか」
イルミスは頷いて、ウォリスを見た。
「手伝ってくれてありがとう、ウォリス」
「いえ」
ウォリスは首を振る。
「別に僕が言い出したことではありません。僕はただ、みんなの意見を取りまとめただけです」
「一番難しいのは意見をまとめることだ」
イルミスは言った。
「さすが、クラス委員だな」
「たいしたことはしていません」
そう言って微笑むウォリスの顔には、もう先程アルマークと二人でいたときの雰囲気は微塵もない。
「アルマーク。今日は練習になったかね」
「はい」
アルマークは頷く。
「ウォリスの一言で、魔法が改善しました。ウォリスはまるでひと目見たらすぐに僕の欠点が分かるかのようでした」
「そうか。やはりたいしたものだな」
イルミスが頷くと、ウォリスは苦笑混じりに首を振る。
「アルマークは大げさなんです。僕の助言に効果があったとすれば、それはイルミス先生のおかげです。先生がアルマークの基礎をしっかりと固めてくださっていたおかげで、僕には彼の足りないところがはっきりと見えた」
「謙遜する必要はない」
イルミスは言った。
「君の技術がずば抜けていることは誰の目にも明らかだ」
「僕にも足りないところだらけです」
ウォリスは、何かを掴むように右手を伸ばした。
「この程度の力では、欲しいものも手に入らない」
そう言って、アルマークを見て口元を歪める。
「そうか。だが」
イルミスは目を細めた。
「3年2組。初等部では君のクラスが一番まとまっているように見える」
「ありがとうございます」
ウォリスは微笑む。
「みんなが僕を立ててくれるので」
「いや、実際ウォリスはすごいです」
アルマークが口を挟んだ。
「魔術祭の劇が成功したのもウォリスのおかげですし、今回の補習だって、こうしてまとめてもらって。みんな、ウォリスを頼りにしています」
「君はいちいち大げさなんだ」
ウォリスが笑顔のままで首を振る。
「僕のやったことなど、微々たるものだ。君たちが自分の頭で考えたことがほとんどだ」
「良いリーダーが上に立つことで、下の者に自由な発想が生まれる」
イルミスはそう言った後で、ふと表情を改めた。
「みんなの君への信頼は、私にも分かる。君もそろそろ、その仮面を一枚くらい取ってもいいと思うのだがね」
その言葉に、ウォリスは一瞬表情を硬くした。
だが、すぐに柔らかい笑顔で首を振る。
「先生。仮面でも指輪でも、ずっと着けているともう身体の一部のようで気にならなくなるでしょう」
ウォリスは言った。
「僕も、もう気になりません」
イルミスはまだ何か言おうとしたが、ウォリスはさっと頭を下げて身を翻した。
「失礼します。アルマーク、君もまた明日」
「ウォリス。一緒に帰ろう」
アルマークが言うが、ウォリスは首を振る。
「いい。僕は一人で帰る」
扉が閉まり、取り残された形になったアルマークはイルミスを見た。
その表情に、イルミスは静かに微笑む。
「今日は、彼にいろいろなことを言われたのかな」
「はい」
アルマークは頷いた。
「僕のことや、ウェンディのこと。それに、この杖のことも」
そう言って、マルスの杖を見る。
「今日はいろいろと話してくれました」
「学院長を信用するな、とも言われたかね」
その言葉に、アルマークは驚いてイルミスを見た。
「はい」
思わず頷いた後で、それはイルミスに伝えていいことだったのかと不安になる。
「私から言うべきことではないかも知れないが」
イルミスは言った。
「君は、君自身の目で判断すればいい。学院長が信用に値する人物なのかどうか」
「はい」
アルマークはほっとして頷いた。それは、アルマーク自身が出した答えと同じだったからだ。
「正直なところ、迷いはあります」
アルマークは言った。
「僕はウェンディの近くに、この学院に、いてもいいのか」
イルミスがアルマークを見る。アルマークはうつむいた。
「以前、夜の薬草狩りで起きたみたいに、またみんなを闇との戦いに巻き込んでしまったら。前回は幸いみんな無事でしたけれど、次はどうなるのか」
「今日まで君を教えてくれた君のクラスメイトたちは」
イルミスは言った。
「そんなにやわだったかな」
「いえ」
アルマークは首を振る。
「みんなそれぞれに、強いです。でも」
学院には、まだ力のない下級生たちもいる。
「闇が活性化しているのは事実だ」
イルミスは言った。
「だが、それを防ぐこと」
イルミスの力強い声に、アルマークは顔を上げる。
「それが我々大人の役目だ。君を追い出すことではなくね」
そう言ってから、笑いを含んだ目でアルマークを見た。
「とはいえ、もう君をずいぶんと危険な目にあわせてしまった後だ。私のことはいまさら信用できないかね」
「いえ」
アルマークは慌てて首を振る。
「そんなことはありません」
「君たちの背負うものは重く、大きい。悩むこともあるだろう」
イルミスは言った。
「だが、どんな状況になっても、前を向くことができる人間が、真に強い人間だと私は思う」
北の男なら、前を向いて走れ。
イルミスの言葉に、不意に父の声が重なった。
イルミスがアルマークの肩を叩く。
「未来は我々の前にしかないのだから」
そう言って、自分の前方を指差す。
敵は、お前の前にいるんだ。
「一生懸命後ろばかり振り返って、どんなに目を凝らしたところで、そこに見えるのは過去だけだ。時間は前にしか進まない。我々には過去に戻ることは許されていない」
びびって後ろを振り返るくらいなら、傭兵なんてやめちまえ。
僕はもう傭兵じゃない。
アルマークは思った。
けれど、傭兵の息子だ。
「だから、前を向く」
「はい」
アルマークは頷いた。
イルミスは自分を勇気付けようとしてくれている。言葉の意味以上に、その心遣いが嬉しかった。
「この補習で、みんなの君に寄せる思いが分かっただろう」
イルミスは言った。
「みんなも君から良い影響を受けている。だから、みんなが君の力になりたいと思った。その期待を裏切らないことだ」
みんなの期待。
みんなは、僕に何を期待しているんだろう。
それははっきりとは分からない。
けれど、期待を背負うというのは幸せなことだ。
アルマークはそう思った。
それは、理屈ではない。
自分の大事な人たちから期待されている。そのことが嬉しい。
それは素直な感情だった。
「ありがとうございます、先生」
アルマークは言った。
「明日からも頑張ります」
「うむ」
イルミスは頷く。
「試験までに起こる全てのことを」
イルミスは言った。
「君の糧としたまえ」
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